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美術のアウトサイドから権威・権力を批判する逆説的存在

森下泰輔(もりしたたいすけ) 美術家・美術評論家

《Flower Thrower》2005 年 ( ベツレヘム パレスチナ) ステンシル、スプレー 火炎瓶の代わりに花束を投げてイスラエルに抗議する人。 「バンクシーって誰?展」より 撮影:筆者
《Flower Thrower》2005 年 ( ベツレヘム パレスチナ) ステンシル、スプレー 火炎瓶の代わりに花束を投げてイスラエルに抗議する人。 「バンクシーって誰?展」より 撮影:筆者

 2020 ~ 2021 はコロナ禍のさなかの国民の同意なき五輪延期・強行という年でもあったが、2つのバンクシー展が開催された。1つは横浜アソビルでの「バンクシー展 天才か反逆者か」(2020 年 )、いま 1 つは寺田倉庫 G1 での「バンクシーって誰?展」(2021 年 ) である。しかし、これらの美術展はともにバンクシーの許諾無しに行なわれたもので、バンクシーのコレクターが中心となって勝手に開催されたものだ。

 

 バンクシー自身は、反資本主義、反戦、難民擁護、パレスチナ擁護、警察権力やアメリカ帝国主義、イギリス議会の腐敗など体制批判を主題に、グラフィティと呼ばれる公共の壁に描くという非合法の発表を行い、逮捕される可能性があるので万事匿名で実践し正体を明かしてはいない。そのため、《風船と少女》をはじめ、本来ならばバンクシーの著作物がマグカップや T シャツなどに許諾無しにコピーされアートグッズとして市場で平気で販売されている。《風船と少女》はサザビーズで1億5000万円での落札の最中に額縁に仕込んだシュレッダーが作動し作品を破砕するという事件でますます人気となり、2021 年 10 月、25 億円で転売されているほどで、不許可グッズも後を絶たない。

 

 一方では初映画監督作品「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」(2010)やドキュメンタリー「バンクシー・ダズ・ニューヨーク」(2014)、「バンクシーを盗んだ男」(2017)なども製作された。 「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」はバンクシーの追っかけのアマチュア映像作家がグラフィティの非合法な活動を記録することで最後にはバンクシーにたどりつくのだが、途中からバンクシーが監督となってこの男をミスターブレインウォッシュ ( 洗脳男 ) と命名し、にわかアーティストに仕立てロスアンジェルスの巨大倉庫で初個展を開催して見事成功するまでを映画にしてしまう。ここには「アーティストといっても宣伝の力で作られているんじゃないか? それなら俺がそのマーケットの手法を逆に利用してやるよ」といった痛烈な皮肉が込められている。

《Di ーFaced Tenner》2004 年 オフセットリトグラフ  10 万枚制作された偽紙幣、「誰も信じるな」の文字がある。撮影:筆者
《Di ーFaced Tenner》2004 年 オフセットリトグラフ  10 万枚制作された偽紙幣、「誰も信じるな」の文字がある。撮影:筆者

 バンクシーは大きく2つの対立軸を当初から有している。1つは先にも述べた政治権力・体制・資本家に抗う姿勢であり、とりわけ夢を売って利権商売に徹しているディズニーの闇を執拗に暴く。バンクシーにとってディズニーのキャラクターは悪の象徴の一つである。また2015年に英国ウェストン=スーパー=メアで開催されたディズニーランドを皮肉ったテーマパーク形式のディズマランドではダイアナ元妃の事件をシンデレラの南瓜の馬車を用いて告発、同展示にはダミアン・ハーストなど有力美術家も参加させている。パレスチナ問題では、イスラエルとパレスチナ自治区を隔てる壁に落書きしたのをはじめ、間近なホテル全体をイスラエルの強権を批判するインスタレーションのように装飾してしまった。

 

 また、いま 1 つは「美術」「美術史」なる場の根本的偽善性に向けられている。これは美術なる既存システムがどうしても国家の威信や権威と歴史的に結びついてきた欺瞞を鋭く突くものだ。バンクシーは政治社会批判から始まってついには王権やブルジョワジーによる既存の美術史そのもの否定に至ったのだ。とりわけ富裕層が黒いマネーをロンダリングすることに血眼になっているオークショナーを痛烈に皮肉る。《Morons》(2007) は「こんなガラクタに金を出すのは馬鹿」なるオークションと富裕層を哄笑した作品だ。だが、一方でコロナ禍に尽力する医療従事者に作品を贈呈するなどバンクシーは社会貢献的側面も持っているので、権力や政権による金の使い方の杜撰さを批判するのである。

 

 「ヴェニスビエンナーレはなぜ俺を選ばない」といってビエンナーレ渦中のヴェニスに出没し、結果的に巨大客船の危険性や難民問題を主題にヴェニスビエンナーレ全体をも食ってしまうという絶大なる影響力を行使したこともある。つまり官主導といえる「現代美術」とも距離をおき敵対しているバンクシーの姿がある。ヴェニスビエンナーレ自体も国中心主義の悪弊から脱するべく、ハラルド・ゼーマンらが闘い、ついには国別から企画展示を分離するといった快挙をなしているが、究極のデモクラシーの側に立つバンクシーにはいまだに閉塞した権威主義に映るのだろう。

 

《Morons》2007 年 オフセットリトグラフ 「こんなガラクタに金を出す のは馬鹿」の文字がある。 撮影:筆者
《Morons》2007 年 オフセットリトグラフ 「こんなガラクタに金を出す のは馬鹿」の文字がある。 撮影:筆者

  バンクシーの見解を解読すれば、「美術家なんて権威権力の犬だろ。俺はそんな美術界にも、美術史なんかにも興味はないのさ。そんなものは叩き壊してやる」ということなのだろうが、そのことで今日最大の美術家として評価されるといった完全なパラドックス ( 逆説 ) 的存在そのものだ。 誰でもない弱者、無名者の視点を維持しているのは、市民運動・社会運動・革命家に近似している。そのために大衆性(ポピュリズム ) といったときに、バンクシーの作風はまったくひねりのない超わかりやすい表現に堕しているのもまた逆説的なのである。「大衆性」を用いて「特権性の虚偽」を暴く、これもまた逆説的だろう。


森下泰輔(美術家・美術評論家)

「しんぶん赤旗」で美術批評を15年務める。「月刊ギャラリー美術評論公募」最優秀賞(2000)。美術家として、天皇の美術と植民地化する日本美術を主題とした「國GHQ皇」(2003)やバーコードを用いた資本主義主題作品を制作。「表現の不自由展・東京」実行委員