エッセイ

半世紀の時空を越えて ギリシャそしてアテネ
エッセイ · 2025/03/23
プロローグ  窓辺の鉢に育つバジルの香りが公園からの微風に乗って、窓の白いカーテンを揺らして長椅子に横たわる顔を撫でる。朝の水やりを忘れていることに気づき、シエスタを切り上げると水道水を汲んで戻りバジルの根方に万遍なく施す。
原子力サブカルチャー12
エッセイ · 2025/02/24
 ロシアによるウクライナ侵攻が続く中、ハマスの大量テロが発端になり、イスラエルのネタニヤフ政権がガザへの侵攻をハマス壊滅の為としてはじめたが、実際はパレスチナ人に対するジェノサイドとしか見えない最悪な状況になり新たな中東戦争の火ぶたが切られた。

「黒の空間・水谷光江展」2023.12/19 ~ 24 府中市美術館市民ギャラリー
エッセイ · 2025/02/22
 身近にある鉛筆、コンテ、パステル等を使いながら、東洋の水墨画に通じる独自の深く厳しい線の一本一本の表現に、山と人の生活を愛した画家の現代胸中山水に鑑賞者が魅せられたと思います。幾人かの人に-どの様な経歴の画家か?-と問われ、初めての出会いに驚いている様子でした。
JARFO の石田淨さん
エッセイ · 2025/01/04
 京都での日韓美術交流展の時、京都・白川と接する古川町商店街の中にJARFO ART SQUARE という画廊があった。この商店街は2016 年だったかJARFO の宿舎があって、泊めてもらった場所のような記憶があった。2019 年には会場に別のJARFO 画廊を貸してもらった。亡き貴志カスケさんの計らいがあったようだった。

旅 バワとウツソンとバラガン
エッセイ · 2025/01/03
01_ 旅  建築を生業にしているので、学生時代から時間があれば建築巡礼の旅に出かけます。グーグルマップ上で訪れたことのある街に印をつけ、さて次はどこ行こうかと思案します。訪れる国や街の選び方に決まりはありません。「なんでそこなの?」とよく聞かれますが、多くの場合、「見たい建築があるから」と答えます。
『中谷泰画文集+アーカイブ』の出版にむけて
エッセイ · 2025/01/02
名品《春雪》と出会う  これまで見る機会のなかった中谷泰(1909-1993 年)の遺作《春雪》(1962 年)が、宇都宮市の栃木県立美術館で開催中の「春陽会誕生100 年 それぞれの問いーー岸田劉生、中川一政から岡鹿之助へ」(2024 年1 月13 日~ 3 月3 日)に出品されていると知り、小山市在住の画家小久保裕氏と連れだって見に行ってきた。

ネパール・ アートビレッジ・プロジェクト
エッセイ · 2024/09/23
「アートで世界を救えるか」  パリのシャルリー・エブド社襲撃事件、シリア空爆の続く中、本誌に金田が『アートで世界を救えるか キッズゲルニカの20年』を寄稿したのは2016 年である。そうした問いを抱きながらキッズゲルニカ (www.kids-guernica.org) の活動を継続してきたが、ロシアのウクライナ侵攻、ハマスの人質事件、イスラエルのガザ地区攻撃と最近の世界情勢は混迷を深めている。
首藤さんと私
エッセイ · 2024/08/14
 2023 年4 月12 日、首藤教之が逝った。90 歳だった。  首藤さんとは2006 年、ノー・ウォー美術家の集い横浜のパーティで初めてお目にかかったと記憶している。修士課程を修了し当ても無く彷徨っていた私は、2004 年に池田龍雄と出逢い戦後美術や暗黒舞踏のアーティストの紹介を受け、小さな雑誌や展覧会のパンフレットに批評を書きはじめていた。2006 年とは、横浜市芸術文化振興財団(当時)が運営するZAIM のアルバイトと、横浜の専門学校の非常勤講師、週刊新聞「新かながわ」での展覧会評等が始まったのであった。

今、先人に語ってほしい ― 戦争・美術・未来―
エッセイ · 2024/03/30
 いなお氏の年来の素材、技法、大小様々な作品に満ちた好文画廊の空間。その二階のテーブルの周りに二重三重に並ぶ椅子には参加者の輪。司会進行はいなお氏でした。  まず、リモート形式の参加となった古澤氏に、イラク戦争に題材をとった連作の制作動機をうかがう。「日々、何千何百何十何人と伝えられる死者数だが、それは単なる数字に還元できないはずのもの。素朴な方法ながら、その数だけ一人ずつ異なる人型で表して画にしようと思った」とのこと。並行して参加者に氏の作品集も回覧され、氏の発想と表現、そして思いの深さが伝わってきました。
原子力サブカルチャー
エッセイ · 2024/03/28
 2022 年年初1月4日 19 時20分、 核保有国でもある国連安保理常任理事国のアメリカやロシア、中国、フランス、イギリスの5カ国は「核戦争に勝者はいない」と、核兵器の使用と核の拡散防止に対して共同声明を発表した。大変喜ばしい声明のように聞こえた。しかしよく考えてみると、自分には核さえ使わなければ何をやっても良い、要するに凶器さえ使わなければなんでもありのプロレス宣言であり、戦争でも始めるのかと感じたのだ。

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