1959年、安保条約反対の大運動が日本中で湧き上がるが、日本美術会もまた、他会派の美術家と共に旗を掲げ、連日デモに参加した。「安保批判の会」「全国美術家協議会」を組織し参加した。
政治活動と創作の関係をどうみるのか、賛否の議論が白熱する中、14回展「1960年のたたかい」(99点)という課題制作の企画を行った。
この時期の作品として13回展 桂川寛「それでも彼らは行く」、第14回展 市村三男三「夜空に輝く平和の旗」、15回展 上野誠「原爆の長崎シリーズ(原子野・叫び)」、 などがある。井上長三郎は第2回展に「漂流」を発表し話題になったが、1965年(50回検証展出品)「ベトナム」、36回展「光州」と歴史的な作品を発表した。
1960年「美術運動」誌の「安保に関する美術家の発言」特集で「新安保は日米のごく少数の人達の利益を守るため、あの思い出してもぞっとする戦前戦中に味わった臨戦態勢を今度もまた作ろうというのでしょうか」と述べた。