「《クォ・ヴァディス》の秘密 ~シュールレアリズム画家北脇昇の戦争」にみる北脇昇と草創期の日本美術会
戦争と美術 · 2024/07/13
2023 年7 月2 日、NHK-E テレ「日曜美術館」で「《クォ・ヴァディス》の秘密~シュールレアリズム画家北脇昇の戦争」が放映されました。ご覧になった方も多いと思います。  北脇昇氏は日本美術会の創立会員で、1947 年に京都支部ができた時には支部長もされていた方です。ご病気で1948年に支部長を退き、1949 年に「クォ・ヴァディス」を発表し、1951 年に亡くなられています。 
ガザに明日はあるのか
戦争と美術 · 2024/06/08
もう手遅れだ!! ハマスの攻撃と人質作戦は誤算だった。犠牲があまりに大きすぎた。パレスチナの怒り、忍耐が限界であったことはよくわかる。パレスチナの怒りがマグマになって爆発したのだ!! しかしネタニヤフのあの残忍さはイスラエルのヒトラーだ。救いがない。無差別の攻撃がガザを破壊しつくす。人の心までも。無差別に病院、学校、商店、住居等。私の招待したガザの画家達の画廊も破壊された。ハワジリの親族10 人が殺された。イサの母親、甥も殺された。まるでホロコーストだ。ネタニヤフは民族浄化をねらっている。パレスチナ人は存在しないし領土は全てイスラエルのものだと入植を繰り返している。

反ユダヤ主義検閲に見るアートの限界とウクライナ、エコロジー。
美術評論 · 2024/06/08
 現代アートは「炭鉱のカナリア」、最初に最初に鳴くのをやめて危険を警告する予言者の立場もある。2019 年、あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展事件」の際、初代森美術館館長、デヴィッド・エリオットは、芸術の役割を炭鉱のカナリアの比喩として語った。  その意味ではヴェネチア・ビエンナーレはつねに予言的な役割を発信してきている。それだけ世界美術が時代性に密着している証拠だ。
日本美術会「戦犯リスト」をめぐる、いくつかの疑問(4)
戦争と美術 · 2024/04/07
(4)今後の課題  本稿では、1946 年の「美術界に於て戦争責任を負ふべき者」のリスト作成の経緯と、リストや二種類の『会報』をめぐるその後の言説を簡単に整理した。言説の波は、敗戦直後の1946年以降は、二回の波があったことがわかる。

日本美術会「戦犯リスト」をめぐる、いくつかの疑問(3)
戦争と美術 · 2024/04/07
(3)日本美術家の「戦犯リスト」をめぐる言説 ①敗戦直後、リスト作成までの言説――GHQ の公職追放令  リスト作成に最も影響を与えたのはGHQによる公職追放の動きであろう。1946年1月4日、GHQ は日本政府に「公職追放令」を通達し、追放の範囲をAからGまで7項目に規定して1948年5月までに20万人以上を追放した。美術家や文化人たちを怯えさせたのが、最後のG項「その他の軍国主義者や極端な国家主義者」である。
日本美術会「戦犯リスト」をめぐる、いくつかの疑問(2)
戦争と美術 · 2024/03/31
(2)1946 年リスト作成・再審議の経過  まず、1946 年の「美術界に於て戦争責任を負ふべき者」のリスト作成の経緯について、『日本美術会々報』(以下『会報』、3 号-1 及び3号-2も含む3)をもとに、簡単に振り返っておこう。  1946 年4 月21 日、日本美術会が結成される。72 名のメンバーと来賓が目白の自由学園講堂に集まった。

日本美術会「戦犯リスト」をめぐる、いくつかの疑問(1)
戦争と美術 · 2024/03/30
1)はじめに  アジア太平洋戦争中に戦争画を描いた画家たちは、戦後、どうしたのだろうか?  責任の追及や議論はどうなったのか? 他の美術史研究者と同様、私にとっても関心のあるテーマである。
今、先人に語ってほしい ― 戦争・美術・未来―
エッセイ · 2024/03/30
 いなお氏の年来の素材、技法、大小様々な作品に満ちた好文画廊の空間。その二階のテーブルの周りに二重三重に並ぶ椅子には参加者の輪。司会進行はいなお氏でした。  まず、リモート形式の参加となった古澤氏に、イラク戦争に題材をとった連作の制作動機をうかがう。「日々、何千何百何十何人と伝えられる死者数だが、それは単なる数字に還元できないはずのもの。素朴な方法ながら、その数だけ一人ずつ異なる人型で表して画にしようと思った」とのこと。並行して参加者に氏の作品集も回覧され、氏の発想と表現、そして思いの深さが伝わってきました。

原子力サブカルチャー
エッセイ · 2024/03/28
 2022 年年初1月4日 19 時20分、 核保有国でもある国連安保理常任理事国のアメリカやロシア、中国、フランス、イギリスの5カ国は「核戦争に勝者はいない」と、核兵器の使用と核の拡散防止に対して共同声明を発表した。大変喜ばしい声明のように聞こえた。しかしよく考えてみると、自分には核さえ使わなければ何をやっても良い、要するに凶器さえ使わなければなんでもありのプロレス宣言であり、戦争でも始めるのかと感じたのだ。
画廊業へcome back
エッセイ · 2024/03/28
昨年秋に入間市の美蔵画廊よりオファーを頂き、1 か月ほど悩んだ末画廊の仕事に復帰することになった。以前私がやっていた、ギャラリー木蓮から50m ぐらいしか離れていない距離で、スーパーの2階にある画廊である。エレベーターやエスカレーターもついていて、買い物のついでに立ち寄る客も多い。今までは買い取りで収集した作品を精選し、季節ごとに展示替えしながら営業を続けてきている。

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