震災・パンデミック

コロナ・パンデミック◆Pandemic and Art
「死の勝利」とペスト  「感染爆発」という恐ろしい事態に遭遇している。しかし地域的な疫病は古くから在った。あの大航海時代には、島民全体が今でいうインフルエンザで全滅した記録もあるという、黒死病(ペスト)のパンデミックが有名で、最近の研究では、ヨーロッパの半分の人口が亡くなったと言われている。
生駒山の麓を少し上がったところに小さな古刹がある。境内は木々が繁るままに伸びていて心地よい。寺川真弓さんは境内に接した東向きの一軒屋に三年前越して来た。作業場を整え織機を据え、桑畑を作った。奈良盆地を下方に眺めながら新たに「織で表現する人」としての生き方を自覚し思索を続けてこられたのだろう。

2017年3月、彫刻家の安藤榮作さんが、第28回平櫛田中賞を受賞した。 その一報は、井原市立平櫛田中美術館から原爆の図丸木美術館に届いた。安藤さんの連絡先を知りたいという問い合わせだったのだが、結果的に、こちらが安藤さんに(非公式ながら)用件をお伝えすることになって、受話器を持つ少し手が震えた。
 展覧会は二部構成で、第一部は、東北の美術の紹介です。佐藤玄々(朝山)の「青鳩」は、小品ながら面構成がしっかりしていて、生々と鳥の形を表現しています。ブルーデルから学んだ建築的造形力は小品ながら力強い。船越保武の「原の城」は代表作だけあって、ひととき島原の乱に思いをよせました。...

左・「現住所(地震被爆)」、右・「現住所(津波)」、中央・本人
※美術運動141号(2014年3月発刊)
石川雷太「メルトダウン・メルトスルー・メルトアウト」
福島第一原発が爆発したその日、東京から茨城県の自宅に帰る暗い夜道、片道分のガソリンしかない車の中で、もう生きては戻れないだろうと本気で思っていた。放射能の汚染はどこまで広がっているのだろう、どれだけの人や動物が死に、どれだけの国土が失われることになるのだろう・・・そして思った、「戦争」に行く人の気持ちとはこんなものかもしれない。この時の心境は今もトラウマのように私の心に刻み込まれている。

2013年9月・10月、日本美術会附属美術研究所・民美で、「日本近代美術の社会史―震災と戦争から」と題して2回連続の講義を行った。関東大震災と第二次大戦という二つの出来事を通して日本の美術がどのように転換したのかを考える内容であった。美術の歴史は様式や制度を中心に語られることが多いが、近現代を考える場合、社会との関係でみる視点はとくに大事である。そこで、日本社会に大きな転機をもたらした震災と戦争に注目し、美術家がどのように関わったかを考えてみた。
コタンクルカムイ~真実の目 黒田 孝
聞き書き  黒 田 孝 (日本美術会北海道連絡会) はじめに 彼は1948年、北海道伊達市に生まれる。...

コラージュ1945-2011
4度の被ばくを一枚におさめる...