原発被曝地からの訴え

※美術運動141号(2014年3月発刊)

左・「現住所(地震被爆)」、右・「現住所(津波)」、中央・本人
左・「現住所(地震被爆)」、右・「現住所(津波)」、中央・本人

 私の居住地は、福島県南相馬市原町区ですが、南相馬市は、北から鹿島区、原町区、小島区の3区となって居り、原町区に住んで居ります。 原発事故により、爆心地から20K以内に小高区が入り、30Kが原町区ほぼ全域、30K超えが鹿島区と、同じ市内でも三分割に線引きされ、賠償ほか助成などが違っています。 私は女房を2月20日に亡くし一人暮らしとなり、失望中、その後、あの大震災、津波、原発事故の発生。これは大変な仕打ちでした。 女房の骨箱が祭壇から落下しない様抑えるのが精一杯。オロオロするばかりです。 


 続いて原発の水素爆発となり、以来毎日の様に市の広報車から避難命令が出され、3月20日が最終日との通告なので(女房の月命日)、娘の家族3人と近くの小学校から、迎えのバスに乗車、群馬県草津町のホテルに避難。持物は最小限ということで毛布夫々一枚、一週間位の考えだった。


 4月30日、避難準備区域解除の指示で、現住所へ帰宅、更に根拠のない「収束宣言」も出された。 また、自分自身で放射能の危険性も殆んど理解していなかったのも事実であった。 その後の実態は、私は以前から体調関係で医者から薬を受け、毎日運動をする様指示されていたので、毎朝40分位の散歩をしているが深く呼吸をしない様心掛けている。従って現在まで深呼吸は一回もしていない、毎日の洗濯物を外に干すのに裏返しに干さない。原発により常磐線復

活の見込がなく、東京へ行けなくなったこと、アンパン展に出品しても行けなくなった。 東京及び近辺の知人に案内を出すが、本人が同席出来ないのはどうにもならない。仙台経由では日帰り出来ないし、体力もない。 屋外での写生は全く出来ない悲しみ。 現在地での除染はどうなっているか、学校、幼稚園、公園、役場など公共的な処は手掛け、住民に帰還する様呼びかけが、住民の自宅は殆んど除染されないので、子供、孫を持った家族では帰還出来ないでいる。 除染した汚染物の仮置場がないことから全く進まない。2年経過した今年になって郊外地から除染が始められたが、汚染物は、田畑に、ビニールシートに包んで野積みしている。市街地は野積み場所もないので全く除染してない現状。 野積みは大変危険で一部破れているとの声が出ている。


 病院は相変わらず、医師、看護師不足で緊急入院もままならない状態。こうした中、自民党幹

部から「原発で死んだ人間は一人もいない」との発言に、被曝地からの反発は大変なものだった。入院患者も避難命令が出され次々と搬送され、医師も看護師もいなく、手当出来ない情況で多くの方が亡くなった。 又、津波で流された人を救助していた人も避難命令で、まだ助けられた人が何人もいた筈だ。と涙ながらに訴えていた。

苦悩の末自殺した人も数人いた。現在までの記録に依ると、1500人を超えるとのこと。 安倍総理が、オリンピック招致のため、福島原発の汚染水は湾内に完全ブロック、安定を確保していると、大嘘を世界中に発したことは重大!汚染水の流出は四六時中海洋に流出している。 海水の満潮期には当然流出している。防波堤以外からも流されている。さらに、台風が到来した場合には、これ幸いと大量に放出しているのが事実、東電が発表しないだけのこと。 東電も政府も、今まで、都合の悪いことは嘘を言い続けている。


 避難命令を出しているのに、避難方向、経路も指示しなかったので、風の流れる方向、西北へ避難し、放射能の高い方へと、避難したことは重大問題で、国の言い分は、それを発表したら「パニック」になるので報道しなかったとのこと。 人の命など考えていない国に憤り!


 今年11月6日現在、小学校での在籍率は58%、中学校では67%、合計で61%である。 更に入学前の子どもさんは、両親も含め帰還した人は極めて少なく、現在14万人もの人々が、避難生活を送っている実態だ。


 今現在でも、県内数か所に、大学の研究者により線量計が設置されているが、時々高濃度の線量が計測されている。これは国や東電からは発表されていないので、おそらく現場で働いている作業員は、更に高濃度の被曝を受けているものと思われる。発表されないのだ。従って「安定」しているとは全く思えない。


 全国のすべての原発即時廃炉が現実的である。地球環境、人類繁栄に寄与するものと確信出来る。現政権の、原発再稼働、外国への輸出など絶対に許すことは出来ない!


 私は「生業を返せ、地域を返せ」の福島原発訴訟原告団の一員として頑張りますので、日本美術会に関わる皆さん方にも、この実態を広く知らせ、国民が平和で安全に暮せるようにするためにご協力を訴える次第です。


金井 武 かないたけし (日本美術会)

1929年生れ、絵画には50年頃から手始め、労働運動にも

参加(専従職)。98年ふくしま平和美術展創立に参加。