311以後、アートを乗り越えるアートのために

石川雷太「メルトダウン・メルトスルー・メルトアウト」
石川雷太「メルトダウン・メルトスルー・メルトアウト」

福島第一原発が爆発したその日、東京から茨城県の自宅に帰る暗い夜道、片道分のガソリンしかない車の中で、もう生きては戻れないだろうと本気で思っていた。放射能の汚染はどこまで広がっているのだろう、どれだけの人や動物が死に、どれだけの国土が失われることになるのだろう・・・そして思った、「戦争」に行く人の気持ちとはこんなものかもしれない。この時の心境は今もトラウマのように私の心に刻み込まれている。

ふと浮かんだ「戦争」という言葉だったが、その後の日本は未曾有のカタストロフの中で、崩れ落ちるように戦前を思わせるナショナリズムに染まっていった。大和魂を思わせる「頑張ろう日本」、滅私奉公を思わせる「絆」、玉砕精神を思わせる「食べて応援」。震災で砕かれた心を慰めるために、多くの人々が「日本」という実体の無いイメージにすがっていったように見える。「国家」など幻想にすぎないのに。

ダダイストの気持ちがわかったような気がした。第一次世界大戦の最中のヨーロッパで、ダダイスト達はただ叫び声をあげる「音響詩」の朗読からその活動を始めた。表現すべきものの形が定まらなくても表現しなければならない時がある。今の日本も同じだと思った。自分がすべきことは「幻想」へと逃げることではなく、瓦礫も死体も放射能も、住めない土地が生まれたことも、戦争への予震も、すべて直視し、その〈現実〉と〈リアル〉を人々に伝えることだと思った。


私は「放射性廃棄物」「東京電力・福島第一原子力発電所」と書かれた黄色いドラム缶を台車に載せ、ガスマスクと防護服を着た。そして、放射能の〈恐怖〉を引っさげて街に出た。

反原発デモのドラム隊に混じりドラム缶を叩きながら、自分がやっていることが「アート」なのかどうか、そんなことはもうどうでもよくなっていった。美術館でもギャラリーでも街頭でも、出来ることは何でもやろうと思った。「アート/芸術は政治とは距離をとるべき」などと斜に構え、デモにも参加しようとしないアーティスト達が馬鹿に見えた。彼らには〈現実〉を捉える能力が無いのだろうか。ダダイストは〈現実〉に対峙するために、既存のすべての「芸術」を否定したはずだ。


2011年の夏、イルコモンズ氏に誘われ『アトミックサイト展』(於:現代美術製作所)に参加した。イルコモンズ監修で行われたこの展覧会には、イルコモンズ、石川雷太、伊東篤宏、山川冬樹などが出展した。

石川雷太は放射性廃棄物ドラム缶と核兵器と原発をデータ化した作品『GEWALT 2011/核兵器バージョン~アメリカの戦略核兵器と戦術核兵器』、山川冬樹は東京芸大取手キャンパスの汚染土に反応してギターが鳴り続ける『原子ギター 初号機/弐号機』、イルコモンズは福島の保育園の砂場の砂の線量を観客にガイガーカウンターで測らせるインスタレーション『アトミック・ガーデン』などを展示。実際の汚染物質を使っているため会場自体の放射線量が上がっており、場所によっては60マイクロシーベルト/時を叩き出すという凄まじい展覧会だった。

これでもかと〈現実〉を突きつけるこの展覧会を見て、それまでは原発容認だった人もほぼ全員が反原発派になって帰っていったように思う。現実のリアルにふれると人の考えは変わる。結局のところ原発容認/推進という思想は〈現実〉を見ないことによってのみ成り立つ無責任なものなのだということを、この展覧会は証明していたような気がする。私たちには〈リアル〉がまだまだ足りないのだ。


2011年12月に活動を開始した「ゼロベクレルプロジェクト」も〈現実〉を可視化するためのプロジェクトだ。メンバーの石川雷太、万城目純、今井尋也、内田良子、多田美紀子が、希望のシンボル「0」をプリントしたTシャツを着て、東北の被災地、放射能汚染区域に実際に足を運び、その写真と放射線の測定値を展示する。311以後の世界で〈アート〉で何が出来るかという実験でもある。

「未来をもう一度夢見るために、私たちにはやるべきことがある」

これはメンバーの万城目純の言葉だが、実はこの言葉は現在を生きるすべての人に向けられた「ゼロベクレルプロジェクト」からのメッセージでもある。


2012年5月、「イノチコア」という反放射能・反原発グループも作った。メンバーは、大阪、京都、茨城、東京、北海道在住の表現者達。美術家、音楽家、ダンサー、役者、僧侶、ジャンルも様々だ。デモ・講演会・展覧会の自主企画、他の展覧会やデモへの参加、土壌汚染・食物汚染の情報発信、プラカードの制作、NO NUKESグッズの制作などをフレキシブルに行いつつ、現在も活動を継続している。

イノチコアのデモは、表現することを忘れた人々に表現することを思い出してもらうことが最大の目的だった。普通の人が参加しやすいデモが必要だと考え、従来のデモのイメージを大きく変える「アートデモ」を企画。アーティスティックで個性的な反原発デモに大人から子供までたくさんの人々が参加した。「楽しいデモだった」「こういうデモなら私たちでも参加できる」「これなら声を上げられる」などの感想をいただいた。

徹底してイデオロギー主義を排し、経済や人間主体の考え方ではなく、動物、植物、海、空、大地の視点に立つことが大切だというのがイノチコアの基本コンセプトで、これは日本の古来からある神道や仏教(密教)の考え方と通低するものだ。この観点に立つならば、放射能も原発も戦争も貨幣経済も本来の〈世界〉とは相容れないものだということは子供でも解るだろう。


先程「アートであるかどうかはどうでもよくなった」と書いたが、〈アート〉を否定しているわけではない。〈美術/アート〉は、絶対に必要なツールであり、回路だ。私たちの〈自由〉と〈未来〉を守るための武器にもなる。ただ気をつけなければならないのは、それによって何を守るのかを見誤ると単なる権威主義の城となり、その悪しき制度性が私たちの自身の手枷足枷にもなる。それはかつて、ダダイストが破壊の対象とした「芸術」と同じものだ。

それが「美術」であることや「アート」であること自体には、実は何の意味もない。例えば、見方によっては極めて稚拙なダダイズムの作品群が現在でも高く評価されるている所以は、その「形」にあるのではなく、不敵に貫かれた信念と不屈の精神にある。〈アート〉は工芸ではないのだから、その作品を結果とする精神が「形」以上に問われるべきだろう。そう考える時、その表現者が「アーティスト」であるかどうか、「プロフェッショナル」であるかどうかも問題ではなくなってくる。


311以後、アンデパンダンに大きな意味を感じるようになった。原発を題材とする作品や戦争を題材とする作品が、私たちの生命や存在の根幹に関わる問題を扱っているにもかかわらず、美術/アートのシーンから弾かれる場面を何度も見たからだ。沈黙せよという同調圧力は美術/アートのシーンにも大きく作用しているようだ。〈美術/アート〉が守るべきものが「制度」でも「経済」でも「国体」でもなく、私たちの〈自由〉だとするならば、その本分を最も体現しているのはアンデパンダン=無審査展である。

今年で68回目となる『日本アンデパンダン展』を始め、丸木美術館企画の『今日の反核反戦展』、ノー・ウォー美術家の集いによる『ノーウォー横浜展』など多くの無審査展が健在である。ダダカンの故郷である仙台で6カ所のギャラリーを結んで展開し、94歳のダダカン自身も参加する『せんだい21アンデパンダン展』など、新興のアンデパンダン展も全国で増えてきている。

沈黙が死を意味する社会へと移行しつつある今、それを感覚的に察知し沈黙を破りたいと願う人々が増えてきているのかもしれない。ならば私たち〈美術/アート〉に携わる者は、それらを救い上げ、守らなければならない。すべての人が表現者になれば世界は確実に変わるだろう。それを信じること。そのヴィジョンをもって、〈芸術〉〈美術〉〈アート〉と呼ぶこと。それは既に偏狭な「アート」でもないし、偏狭な「政治」でもない。そこに私たちの〈未来〉があるにちがいない。


石川雷太


石川雷太

 

1965年、茨城県に生まれる。現代美術家。鉄板や鉄パイプ、ガラス、文字、音、電磁波などを用いたインスタレーションを多数発表。ノイズ・パフォーマンス・ユニット "Erehwon" 主宰。3.11以後は放射性廃棄物ドラム缶ドラムとともに全国の反原発デモに参加。物質主義。ダダイスト。「ゼロベクレルプロジェクト」「イノチコア」「混沌の首」のメンバー。展示は、森美術館、府中市美術館、イスラエル美術館、など。

http://erehwon.jpn.org/raita_ishikawa/

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コメント: 1
  • #1

    かばのかばん (日曜日, 12 3月 2017 01:37)

    はじめてあなたをしりました。目が開きました。ありがとうございます。同調圧力に負けず、どうか、お進みください。アートデモ、参加します。