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第7回九条美術展 -練馬での講演会を中心に

日本美術会会員 手島 邦夫

 第7回九条美術展は、西武池袋線中村橋駅前の練馬区立美術館で2017年12月13日から17日まで開かれた。前回の都美術館に比べると会場が狭くなったためもあって、出品作品がやや小ぶりになり、インスタレーションの展示に不便なところがあったが、他方この美術館の空間の特色を生かして200名をこえる出品者の作品が、会場を埋め尽くし、今までとは違った活気ある展覧会になった。

 12月14日に隣の練馬駅前のココネリで開かれた講演会は、ならべられた260席の椅子が、ほぼ満席になる盛況であった。呼びかけ人を代表して岡部昭さんの挨拶があり、続いて野見山暁治さんは「自作を語る」と題して数点の作品をスライド上映して、制作した当時のことを話された。安井賞受賞作「岩上の人」は、アトリエの窓から毎日見ている風景の中にうかんできた人間の形がもとになっていると。異国の地で孤独に励んでいる在りし日の姿がしのばれた。終わりに近く前の方にいたご婦人の質問にこたえて1976年から始めた東京美術学校出身の戦没画学生の遺族訪問の話になると、それまでの和やかな空気が一変した。俺は一体何をやっているのか・・・という訪問の苦しみの正直で誠実な話は心をうつものがあった。当時の画学生はみな絵を描ける時間はあと何か月・・・と限られた中での制作で、無言館に戦争と直接関係のない故郷の風景とか家族を描いた作品が多いのは、もう失われてしまう今の日常に対する痛切な思い入れからであると語られた。

 元NHKプロデューサー永田浩三さんの「四國五郎と原爆の表現者たち-そして今」は70枚のプレートをパワーポイントで映しながらの講演であった。(その同じプリントが資料として配られた)国連の核兵器禁止条約の採択、サーロー節子さんの演説から説き起こし、原爆投下直後の10年間、占領軍の検閲、新聞の報道規制に抗した大田洋子・原民喜・栗原貞子・正田篠枝・峠三吉・四國五郎・丸木夫妻・林幸子・川手健などの作家・歌人・画家たちの個人的な戦いの歴史。永田さんは「このあいまいな世界に輪郭を与えるのだ。峠は言葉で、四國は絵と言葉で、川手は声をあげられない人の声を、困難だからこそバトンを引き継ぐ努力を」「絵を描くことは伝えること。絵画至上主義に陥らない。文字だって立派な伝達手段だ」としめくくられた。

 

  私はこの夏、西武池袋線小手指で開かれた被爆者が描いた原爆投下後の広島―原爆絵画展を見たときのことを思い出した。一枚一枚の絵からは技術の稚拙を超えて何としても伝えたいという作者の強い思いが感じられた。画面のなかにはその絵を補うように細かい字で長い文章がビッシリと綴られていた。極限の状況を記録して後世に伝えたいと願うとき、絵画という手段はある時は写真より総合的な力を持つものだ、と考えさせられた。

 九条改憲、戦前回帰の動きが加速してきた今、70回記念日本アンデパンダン展のアートフォーラムでの小沢節子さんの講演「再考1950年の絵画表現-共同性と個のはざまで」。またこの秋9月から10月にかけて西武池袋線の江古田のギャラリー古藤で開かれた「四國五郎、ガタロ師弟展」など当時の画家、詩人たちの表現、活動の見直し、再評価が続いている。