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特集SEOUL・「民衆美術」 2018年9月 ̶接近遭遇した民衆美術の作家たち̶  彼らは歴史の中に(キャンドル革命とともに)再び現れた

編集:木村勝明

今回の特集は、偶然が重なって実現することになったが、SNSの中で知り合った、Maiさんとの関係で突然生まれた出来事であった。公州での韓・日美術交流展があった後、ソウルの仁寺洞のNamu Art 趙眞湖 Cho,Jin-ho展「無有等等」を見に行く。民衆美術の作家でソウルに入った日が最終日だった。Maiさんの提案でここを見に行くことが決まったのは、韓国へ行く2・3日前の事だった。光州事件に関する版画は詩集のカットを沢山されていて、どちらかというと表現主義的な作品。その後故郷の民衆を描いた大きな版画、そして故郷の山に子供らが飛ぶふるさと賛歌のような作品。Cho,Jin-hoさんの人柄を感じる作品群。この画廊主のKim,Jin-Haも民衆美術の作家さん、お二人に我が「美術運動」誌をプレゼントし、親しみを込めてお話を聞くことができた。日本語・韓国語ができる大学の先生のMaiさんと若い研究者のソユナさんが一緒にこの遭遇に立ち会ってもらい、通訳もあって幸いな時間を過ごした。

 Yun,Suk-Nam(ユン・ソクナム)の個展もHakgojaeGalleryで画廊の閉める直後に無理を言って見せていただくことができた。民衆美術の女性作家で、ジェンダーの立場から制作してきた作家。なるほどと思いつつ、カタログを手に入れてきた。これがソウルに到着した21日の午後。日本美術会の十滝、布目も同行した。急な体験だったがお二人とも興奮したとの感想だった。

 

 22日は国立中央博物館に行く。いろいろ鑑賞したが、仏画の企画展が良いとのMaiさんアドバイスに従って、沢山仏画を見て大いにその描かれた人々の品の良さに関心して、公州の麻谷寺の仏画を描いた坊さんのお墓もお参りしたこともあって、親しみを持ったが、「掛仏」といって、巨大な仏画、これも民衆美術との関連があるという情報があったので、それをゆっくり見た。

 

 ホン・ソンダムとは彼のアトリエで会った 

 さて地下鉄4号線をしばらく下った、ソウル近郊の駅でMaiさん、ユナさん、十滝、布目、木村の5人で、有名な(と言っても良いだろう)Hong,Sung-Dam(ホン・ソンダム)のアトリエを訪問。前からホン氏と交流のあるMaiさんの計らいで今回の訪韓に合わせての実現となった。この作家の紹介は後のMaiさんの文章に任せることにしよう。紹介も簡単ではない。それほどの活動・制作をされてこられた。対話の中で印象に残ったのは、最初文学志望だった事、結核で隔離された病院に2年半ほど入院された経験がある事、光州の朝鮮大学美術学部での卒論で日本の50年代美術と韓国の80年代の共通性について論じた事。日本の包装紙など沢山持っておられて、そのデザイン性の問題など評価されているという話。ホワイトキューブの展示よりマダン(広場)の移動展が好きだ。日本の靖国神社はアジアのアニミズム・シャーマニズムの最も堕落した形である。版画の刷り枚数についての逸話。など。

 こちらからは日本美術会の事、「美術運動」誌のプレゼント、最近の大きな統一の流れとその背景など簡単な話をする。あなたの画集を転載して良いか?またあなたの事を記事にして良いか?という事でOKいただいたような次第でした。夕食の生蛸の鍋煮?いただいて、画集カタログなどプレゼントしてもらい、とても印象深い出会いだったな~!と思い返しているところです。

 

相次ぐ「民衆美術」の評価と日本美術会の連帯の兆し

 その後、ソウル市美術館の「時代遺憾」展で民衆美術のGanaArtCollection を見て、日本に帰って竹橋の国立近代美術館での「アジアにめざめたら:アートが変わる、世界が変わる1960―1990年代」という日本・韓国・シンガポール共同企画の展覧会を観て、いずれもホン・ソンダム氏の80年代の版画のシリーズが圧倒的に評価を受けている事。また最近の油彩の社会的風刺を「幻想レアリズム」風にというのか?他の追随を許さない徹底的な風刺絵画を、今後どう評価されていくのか興味津々の作家で在ることを感じているところである。

 福岡アジア美術館での「闇に刻む光-アジアの木版画運動 1930S-2010s」も見て、ここでは韓国の民衆美術の評価があったが、プロレタリア美術運動と戦後の日本美術会の版画運動が多く展示されて、その木版画運動としての強い連帯を感じたわけだった。上野誠・小野忠重・小口一郎・新居広治・鈴木賢二、などその多くが日本美術会の作家であった。

 ホン・ソンダム氏のアトリエからソウルに向けての帰途に、今回のコーディネイトの労をとってくれた稲葉真以さんといろいろ話したことを思い出す。それはとてもポジティブで、楽しい会話だった。