…命をいただいて…「織で表現する人」

日本美術会会員 山下二美子(やました・ふみこ)

(2018/11/14~19 寺川真弓織展 奈良市)

戦火の記憶 2000 年  Silk Natural dye  W235×H260
戦火の記憶 2000 年  Silk Natural dye  W235×H260

生駒山の麓を少し上がったところに小さな古刹がある。境内は木々が繁るままに伸びていて心地よい。寺川真弓さんは境内に接した東向きの一軒屋に三年前越して来た。作業場を整え織機を据え、桑畑を作った。奈良盆地を下方に眺めながら新たに「織で表現する人」としての生き方を自覚し思索を続けてこられたのだろう。庭には耕して育てた桑の木が数十本ある。私には見るからに愛しく思える風景だった。が、ここで産出出来る繭は胸に抱き締める程のものだろう。しかし寺川さんにとってはまずは充分過ぎるものだったと私は確信する。希少繭「小石丸」もいくらかをしっかり育てることが出来たという。

 

 東日本大震災から二年経ったころ、誰もが何らかの心理的傷を負っていた(まして芸術家は環境と無縁ではなく周囲の状況と密接な関連を持っている)。今、私はその時の寺川さんのことを鮮やかに思い起こし、作家の創作の原点に触れた思いでいる。それは〝糸〟だった。「私にとっては今、これが生きるよすがなのです」と寺川さんの手中には初めて自分で繭からひいた糸があった。はかなく、細く、鈍い光を放つ、わずかな風にも戦ぐ存在だった。ーーこの人はいつか天衣でも織るかもしれないと私は感じていた。

 

 「小石丸」の糸はそれよりさらに細い。奈良時代より飼育が始まり日本の蚕の祖先といわれる。現在は効率のいい交雑種がほとんどだ。「小石丸」は宮中御養蚕所で美智子さんによって飼育が継続され絶滅を免れた。極細の糸はけばだちが少なく張りが強く艶があり軽く柔らかくしなやかだが育てるのが難しく収量も少ない。

 「小石丸」のことだろうか。寺川さんが「おかいこさんの身体が蛹に成りたくて半透明になり糸を吐く ーー体内の透明な液が口から出る瞬間に糸になっていくーー その美しさはかなさに〝いのち〟を感じます。」と涙ぐむ。

 寺川さんの母方の祖父は軍医として満州で死亡。戦後50年を期に、大陸へ慰霊の旅行中、寺川さんは自身が残留孤児になってしまったと感じるほどの精神的苦痛を自覚する。一方美術教師だった父方の祖父は寺社に絵馬や土鈴を納める仕事を始めていた。これらは寺川さんに生死に鋭敏な感性や伝統的な祈りの造形への美的感受性を育んだことと無縁ではないだろう。

 戦争、アウシュヴィッツ、阪神淡路大震災、9.11同時多発テロ、東日本大震災など不条理な死者や被災者を自分のことのように感じてしまい、「私に出来ることは何か」と問うて来たという。

 満州を訪ねる旅は本格的に染織を始める時と重なっていた。しだいに〝着物〟を創ることから、表現したいあまりに内容も実用性からも微妙に軋みながら食み出していく。創作着物「朱華…かの地にねむる人に捧げる」(2001)は着物としてはギリギリだったと寺川さん。前後して「戦火の記憶」(2000)を発表。表現者としての意志を持ったインスタレーションが始まっていた。経糸と緯糸という枠組みでシンプルな平織が凛とした佇まいを表し、百枚もの薄い布が重ねられ、まるで犠牲者のメッセージのように炎の中に十字架が揺らめいているよう。寺川作品に折りに現れるロッグウッドの黒が引き締める。さらに「怒りの日、されどわれらは」(2006)は空間を揺さぶるものとして、素材の質と織に相俟ってその黒が実に雄弁である。「宙はわれらの弱さを助けたもう」(2006)は、アウシュヴィッツから生還しながら自死するプリーモ・レーヴィ(1919~1987 化学者・文学者)に触発されたもの。〝死者〟たちとの対話と祈りと救いへの希求であろう。モノクロに近い吊るされた布に小さな四角い布が沢山付けてある。ネガとポジの残像のような顔である。

 

 いわば300号を越える空間に相対した私は、ーー風?ーー透き通る布の方から?ーー静かに深く確かに、こちらに訴えかける気配を感じーー私はしばし動けなかった。

 「死生の響」(2010)はこれらの延長上にありながら構図の制約から抜け出て平織の性質を味方に上質の音楽に織り上げて印象的である。

 阪神淡路大震災は寺川さんに新しい人との繋がりを呼んだ。それは障がいのある人たちに染織を伝えることだった。そして東日本大震災の被災地南三陸の「のぞみ福祉作業所」へ、さらに東北の作家たちとの交流は「小石丸〈亘理〉」の存在を知るきっかけとなり、震災復興プロジェクトとも関わっていく。それらがタぺストリー「ノゾミ」(2016)に結実する。

 

 「ノゾミ」は、寺川さんが手でひいた「小石丸〈亘理〉」の極細の糸と、「のぞみ」の障がいのある人たちが繭を引っ張って撚りをかけた個性的な糸を織りまぜてある。色は南三陸の彼岸桜や仮設の周りのセイタカアワダチソウ、蚕の糞などを染材にした。変化に富んだ淡い桜色を基調にして、みんなで織り上げ繋いでいった。 柔らかく溶け入りそうな色合いが絹の秘めた強靭さと〝織〟という規律を得て品格を感じさせ美事な出来映えだ。素材と人、その内容においても古き良き伝統に新しい意味が加えられた文字どうりの透き通る美しさの瞬間だった。 寺川さんが共作者に寄せた長い手紙は余人には書けないものである。「皆さんが自信を持って〝私がこれをつくりました!〟とお話して下さい。〝南三陸の命がいっぱいつまったタぺストリーです〟」とある。「のぞみ」の人たちは、2019年新設なる「のぞみ」の相談室に掛けられる「ノゾミ」にいつでも会えることになる。 

 今回の個展は「ノゾミ」を中心に「荘厳」、「玉響」、「インドラの網」、「補陀洛渡海」などから小品まで育てた糸を織りまぜて可能性を探っている。糸の強弱、疎密、色の配置を織に乗せて、「紡ぐ女」(若桑みどり『象徴としての女性像』)の屈託もないかのように、ますます自在な表現を見せる。思わず手に取り身にまといたくなる色と風合いの布たちである。しかし人生も半分位(たぶん)の寺川さんが「補陀洛渡海」を織る意味は何だろうか。どうしようもないほど破壊されゆく地球に、人に生かされるしかない虫の糸、微風にも戦ぐか細い糸で「命」を形にすることから“たたかい”を挑んでいくのか。私は渡海船の行方を見守りたい。

 

寺川真弓さんホームページ

http://terakawa.la.coocan.jp


山下二美子

島根県生まれ。島根大学卒。

日本美術会附属研究所卒。

出品:日本アンデパンダン展、平和美術展、関西平和美術展、九条美術展、国際交流展(キューバ、韓国)、

他グループ展多数。

個展(島根、東京、奈良、京都)。