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天衣無縫の自在さ ―アーティスト、達和子

宮田徹也 (みやた・てつや)

展示風景 写真提供:達和子

 

 達和子(だて・かずこ)の活躍が目覚しい。達は1947年、滋賀県に生まれ。1969年、武蔵野大学卒。1975-1990年、香港在。1991-2000年、武蔵野美術学園在籍。1999年、毎日現代日本美術展より発表開始。達和子webを見ると、2000年からの莫大な個展、グループ展の軌跡を辿ることが出来る。私が達を見るようになったのは、2013年頃からではないだろうか。少なくとも、2014年の第9回ACKid 2014(ダンサー宮保恵とコラボレイション 作品制作|キド・アイラック・アート・ホール|東京)の批評をACKidのWebに投稿している。

 2017年の達の個展は、Steps Gallery (東京)、岐阜現代美術館(企画|関市・岐阜)、ギャラリー志門(香川檀・小勝禮子企画、碓井ゆい 連動個展|東京)、グループ展は「表層の冒険展」ギャラリー鴻(東京)、「版画旅行 11」ギャラリーモーニング(京都)、「達和子×前田精史二人展」ギャラリーDoDo (東京・府中)、「第61回CWAJ現代版画展」ヒルサイドフォーラム(東京・代官山)であった。

 2018年の個展はコートギャラリー国立(企画|東京)、ギャラリーテムズ(企画|東京)であり、グループ展は「四景展 (井上雅之 中野浩樹 菊池武彦 達和子)」なるせ美術座(企画|東京)、「12名の作家による版画展―旅―」アトリエK(横浜)、「第62回CWAJ現代版画展」ヒルサイドフォーラム(東京|代官山)、「遊・桜が丘 現在進行形 野外展2018」桜ヶ丘コミュニティセンター(東京)と前年に比べたら少ないとしても、内容が充実している。私は達の作品に魅了されている。何故なら達の作品は何にも囚われることなく自由であり、自らが編み出した制作方法を追求し、そのため素材に拘ることのない制作が可能となっているからである。

 私は2017年の岐阜現代美術館における、達の個展(9月19日-11月16日)に立ち会った。評を書くタイミングを逃してしまい、どうにかならないかと考えていたが、2018年のギャラリーテムズの個展(10月25日-11月4日)と「遊・桜が丘 現在進行形 野外展2018」のグループ展(10月2日-11月23日)を見て、これは何が何でも書いておかねばならないという気持ちになったので、ここに記す。

 私は岐阜現代美術館に、初めて訪れた。1992年にオープンした同美術館は、天井高というよりも、上階から下階に降りていく為、すり鉢の印象を見る者に与える。下の奥はガラス張りで表と敷石が広がる池が良く見え、自然光が燦々と降り注いでくる。今回、達は2010年以降の近作と2017年制作の4点を含めた、計18点の大小様々な平面作品を展示した。

 二階の入口から一階を見ると、大きな作品が展示されていることが確認できる。今回の展覧会ではパーテーションを最小限にして、一階を広く使用している様子である。階段の壁面にも大きな作品が展示され、正に達の作品が上下、左右、奥手前と自在に展開している。大型の作品には包まれているようで、小型の作品は画面の中の世界観が限りなく広い。一階の窓の展示された新作《FUWA FUWA》は2.82×5mの大作である。画材はアクリル、砂、モデリングペーストであり、支持体に和紙を使用しているため、自然光が作品の中へ注ぎ込み、《FUWA FUWA》が光を発しているような感触が生じた。

 達の作品は、兎も角自由である。描くことに特別な教育が不可欠だとされたのは、近代の合理主義であろう。皆本二三江の一連の研究は「男女の描く差異」にあるのだが、この差異を無視するのが近代主義の偽りの仮面なのだ。描くことと制作することとは、人間の当たり前の営みの一つである。だからこそ、近代に学問として成立したのである。我々は学問に頼る必要はない。宗教、哲学、芸術は第二次世界大戦を止めるどころか、助長した。我々はもっと根源的な宗教、哲学、芸術、政治、法学、医学を考え直すべき発想を携えなければならない。それを最も端的に示すのが、描く行為なのではないか。 達はリトグラフも2点、展示した。今回は出品しなかったが、ガラスによる立体も制作している。画家は絵だけをかけばいいのではない。あらゆる制約から自由となるべく努力を繰り返し、新しい世界の実現が可能であることを、多くの人々と共有すべきなのである。

 達が調布画廊(東京|2009年10月5日-17日)で個展を行った際、企画者の針生一郎がDMに書いた批評を全文引用する。「具象といっても眼に見える形の再現ではなく、抽象といっても観念の図式ではない。達和子は早くから人間・女・生きものたちの『生命のぬくもり』に固執して、多くの画廊で油絵やドローイングを発表してきた。それらの制作はなかなか造形力にみちていて、とりわけ年季が加わるとともにユーモアがあふれてきたのが認められる。作者はモダンアート協会員でもあるが、わたしなど1963年以来公募団体展は一切見ない原則を立ててきたから、やはり個展本位で単純化した表現に天衣無縫の自在さがあらわれるのを待つばかりだ」。

 岐阜現代美術館では優れたカタログを制作している。今回も展示風景が一部含まれているので、是非とも美術館に問い合わせて戴きたい。カタログの年譜によると、達は針生が没した2010年にモダンアートを辞めている。そして私と逢って私はこの評「天衣無縫の自在さ」を書いた。これからも達の活躍に立ち会っていきたい。


宮田徹也 (みやた・てつや) 

1970年生まれ

嵯峨美術大学客員教授。