石川雷太 (現代美術)
2018年秋、上海の美術館で展示する機会を得た。短い滞在期間だったが、その間に見えてきた中国についてレポートしてみたい。(内容の性格上、場所や個人が特定できる部分は割愛いたします)
上海には30年前に一度訪れたことがあるが、その頃はまだ街の人々のほとんど全員が人民服を着ているような状況で、今回の訪中で上海の街がどのように変わっているかがまず第一の関心だった。現在の上海の人口は2千4百万人、東京に匹敵する巨大都市となっている。近郊にふたつの空港が建設され、縦横無尽に走る地下鉄を利用すれば移動にも全く不便はない。乗客も皆お洒落だ。都市化された街の中心部にはローソンやファミリーマート、スターバックスなども普通にある。しかし、スターバックスのevianは1本360円だが、郊外の露店の肉まんは1個25円である。席巻する自由経済の影響で格差は凄まじい。かつての共産圏の理想のイメージからは程遠い。共産主義の「平等」は存在しない。郊外に行けば、ボロボロの外套を着た老人がゴミ拾いをしていた。でも人懐っこいお婆さんの笑顔には心を救われた。
今回参加したのは、私が在学していた日本の美術学校の講師と卒業生、中国で活動する作家、総勢50名による文化交流を目的とした展覧会で、ある作家が所有する美術館で行われた。
まず第一に問題になったのが、作品やプロフィールに政治的な内容は入れるな、ということだった。現在の中国では、外国人作家の展示の資料を事前に政府機関に届け出ることが義務となっている。そこでクレームが付くと展示が出来ないばかりか、展覧会自体の中止を命じられることもある。ちなみに仙台から参加した作家、関本欣也の日章旗をモチーフにした作品は展示の許可が下りなかった。戦争を想起させるものはダメらしい。
石川雷太の作品は「放射性廃棄物ドラム缶・福島第一原子力発電所バージョン」で、受け取りようによっては体制批判とも解釈できるものだがクレームは付かなかった。中国政府批判、共産党批判はNGだが、他国の政府批判はOKということらしい。やむなく、用意していた中国全土の原発マップのパネルは、招聘して下さった主催の皆さんに迷惑がかからぬよう展示を断念。また、すべての信号機にカメラが設置されていると聞いたため、予定していた街頭でのガスマスク&防護服パフォーマンスも断念した。しかし、せめてもの抵抗としてタイトルを中国向けに『真実を見ないことによって保証される平和と生活』とした。
日本では「中国人は共産党によって洗脳されている」というイメージを持っている方も多いと思うが、これは間違ったイメージだ。もちろん教育も中国共産党が仕切り、ネットも監視され、言論統制されているのは事実だが、実際には「洗脳」は全く機能していない。そのことは実際に現地の人に会って話をすればわかる。中国のネットからは一掃され、ご法度とされる「天安門事件」のことも皆普通に知っている。ただそれを声を大にして公然と話せば逮捕されるという状況があるだけだ。つまり「思想統制されている」(=洗脳が機能している)という建前のみがある。少なくとも私が会った中国の人々は、中国政府を全く信頼していない。自分たちに参政権も与えず、党の都合で勝手に法律を変え、高圧的に一方的な判断で人々を逮捕する、そんな中国共産党とはできるだけ関わりたくないと思っている。言われた書類をさっさと出して「許可」だけを貰って、あとは勝手に自分たちの好きなことをやる、そんな感じだ。
そうした現状に照らしてみると、現在の日本の右派政権やネトウヨが喧伝する「一党独裁」「洗脳国家」「中国人は怖い」というイメージ自体が、中国共産党のプロパガンダとマーケティングにまんまと乗せられた結果でしかないことがよく解る。中国人と中国共産党はイコールではない、それに対して「日本人とは?」と自分のアイデンティティを「国」という幻想に求める日本人の方が遥かに不自由な奴隷根性へと洗脳されている。
滞在中に開催されていた「上海ビエンナーレ」を観てきた。中国政府の主導で行われている国際展で、近年東アジアのアートの中心といわれる「上海アート」の現状を見たかったからだ。会場の上海当代芸術博物館は巨大な廃工場をリノベーションした建物で、シンボルともいえる回転する電光掲示板を張り巡らされた165メートルの煙突は「攻殻機動隊」の都市を思わせ期待も膨らんだ。
しかし、展示の内容は思ったより薄いものだった。ラディカルさが無いのである。例えば、東南アジアの多くのアートは、かつての植民地政策やベトナム戦争など大国に翻弄されてきたその歴史を反映し、「アメリカ」等の国名や地名なども特定するダイレクトな表現にこそ価値と魅力と説得力がある。しかし、「上海ビエンナーレ」に並ぶ作品は、漫然とした「世界平和」、曖昧な「思想性」、表面的な「娯楽」や「遊び」の要素が前面化していて、人の心を揺さ振り世界を変革に導くような要素がほとんど感じられなかった。これは、中国であれば第一に問うべき「天安門事件」を論じることができない社会体制の当然の帰結としてもたらされた形骸化したアートの実例だろう。
それでも、アートをめぐる世界的な視線は現在、日本を飛び越えて「上海アート」に向かっている、と言われている。これは本当なのだろうか? もしかしたら、「上海アート」自体が中国政府のプロパガンダとマーケティングの一環で、実は私たちや世界がその戦略に踊らされているだけなのではないだろうか?検証の余地があると思った。
中国のアートには様々なレイヤーが存在する。今回の中国滞在で私はそのことを確信した。中国政府主導の人畜無害な「上海アート」もあれば、私を招聘し展示とパフォーマンスを実現してくれたインディペンデントな活動をしているグループもある。また、今回は会うことはできなかったが、反戦運動をするグループもあり、ノイズ・ミュージックのコミュニティも存在していると聞く。「見えている中国」だけが、中国ではない。近い未来、すべてのレイヤーを全開放できる自由が訪れることを望みたい。その時にこそ、真の〈上海アート〉が現れるはずだ!
いしかわらいた
茨城県に生まれる。鉄、ガラス、文字などを用いたインスタレーションを多数発表。物質と人、自然や戦争の問題まで、様々な角度から〈世界〉を映し出す。ノイズ・パフォーマンス・ユニット『Erehwon』『混沌の首』 の活動でも知られる。展示は、森美術館、府中市美術館、イスラエル美術館、原爆の図丸木美術館、『日本アンデパンダン展』『BIWAKO ビエンナーレ』他。
ホームページアドレス http://erehwon.jpn.org/raita_ishikawa
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