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書評:古川美佳『韓国の民衆美術 (ミンジュン・アート)』 (岩波書店 2018年)

稲葉真以(いなば・まい) 韓国美術研究

 待ちに待った本がついに出た!と喜んだ昨年の春。早速フェイスブックにアップしたら、とある民衆美術家から、韓国語の翻訳は出てるのか?とせっかちなレスが。韓国では多くの研究者によって、さまざまな角度から詳細な研究がなされているが、包括的な民衆美術本はないといってよく、こんな早とちりなレスが飛び出したわけである。「民衆美術」は1980年代から1990年代半ばまで、民主化運動の高まりとともに展開した美術運動である。民衆美術家たちは民主化、南北統一、権威的美術への批判、民主的美術の達成、民族美術(文化)の回復など、多様な目標を掲げて熾烈な抵抗運動を繰り広げた。活動の内容は版画運動、壁画運動、コルゲクリム(巨大な掛絵)、市民美術学校など多岐にわたり、表現方法も絵画や彫刻だけでなく、漫画、映像、出版美術などへと拡大した。そのために一言で民衆美術と言っても、形成から発展にいたる過程を含めてたいへん複雑で、また美術家たちそれぞれの立場や思想、集団の信念や世代による葛藤があったのも事実である。このような複雑さが民衆美術を展望し語ることを難しくさせている。

 1980年代後半に民衆美術に出会い、日本における民衆美術研究の第一人者である古川美佳氏の集大成である本書は、全6章からなる。第1~4章では民衆美術が生まれた社会的背景、運動の拡大過程、女性美術家の活動(1980年代当時はあまり注目されていなかった)、そして民衆美術の理論へと続く。古川氏は複雑に入り組んだ民衆美術の流れを、当時の韓国の社会的・文化的背景とともに分析し、美術と社会の密接な関係を構築するための実践をていねいに読み解いてくれる。特に第5・6章では、民主化後の展開が語られ、民衆美術が決して過ぎ去った運動ではなく、現在進行形であることを明らかにしている。

 本書はまた、アジア各地で行われてきた(行われている)抵抗美術の実践の系譜に、韓国民衆美術が大きな位置を占めていることを確認することができるため、欧米の動向(例えばソーシャル・エンゲージド・アートなど)に目を向けがちな日本美術界のあり方にも一石を投じるものである。

 

( 韓国美術研究 稲葉真以)