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森本仁平現在、画業研究進行中。

一関市博物館 大衡彩織

 森本仁平は、明治44年生まれの洋画家です。

 存命であれば今年108歳という森本の、まずは簡単なプロフィールからご紹介しましょう。生まれは石川(現在の加賀市)、育ちは東京。東京美術学校図画師範科を昭和7年に卒業し、最初の赴任地として岩手(現在の一関市)にやって来ました。朝鮮等への転任も経て、40歳で東京都の小学校へ移り、教職を定年まで勤め上げています。教員生活の傍ら制作を続けて、退職後は画業に専念し、千葉県鎌ケ谷市の自宅アトリエで制作に励みました。

 彼が遺した自作についての記述は決して多くなく、その表現も控え目です。作品の解釈を観る者に委ねようという考えのあらわれに思われて、森本はきっと寛容で潔い人物だったのではなかろうかと推察しています。

 さて、森本の画風は幾たびか変化していますが、彼の作品を知る大半の方が思い描くのは、何と言っても、全体が褐色を帯びた風景画でしょう(図版1~4)。一連の作品に描かれているのは、海辺や河畔、耕地、牧場など。それらは自然の景観でありながらも、いわゆる「大自然」とは異なります。焦点を当てたのは、人々の暮らす場と、自然との境目に当たる領域。ロング・ショットのように、対象からの距離をじゅうぶんに取って、広範囲を画面に収めています。画面は水平線・地平線によって真横に二分され、上半分は、湿潤な大気に満たされた空で占められています。画中には穏やかな陽の光が満ち、微かな風がそよいでいるように感じられます。人物は描かれなくとも、畦、轍、電柱、野焼きの煙といった描写が、市井の人たちの日常の営みを語っています。

 こういった静穏な風景画が森本の代名詞ではありますが、それ以前にはシュールレアリスムの影響を受けた作品(図版5、6)、さらに遡ると、戦後の荒廃から脱し立ち上がろうとする社会の断面を切り取った作品、社会問題や労働者に目を向けた作品(図版7、8)などを手掛けていたこともありました。

いずれの作品も一関市博物館所蔵

図版6~8は、作家のご遺族からご寄贈を受けた作品

 

 話は変わりますが、筆者の勤める一関市博物館は美術分野も扱っており、美術の常設展示室こそないものの、年に一度、美術展を企画しています。2018年春には、「画家の目のつけどころ」と題して所蔵作品の展観を行いました。取り上げたのは、森本仁平のほかに、白石隆一と福井良之助。いずれも当地ゆかりの洋画家です。三者三様の、絵画制作の着眼点に迫ろうという試みでした。

 そこに展示した森本作品は20点。そのうちの8点は長く作家宅に保管されていたもので、ご遺族からの寄贈です。広く知られている「静穏な風景画」以前の作品も含まれ、森本研究を進める上で重要なものです。

 これらを当館に収蔵できたのは、森本の逝去からしばらく経ってご遺族と面談する機を得た折に、「もしも遺品などを整理されることがあれば、頂戴に参上するので、是非お声をかけてください」とお願いしたことに端を発します。

 そのことばを心に留めてくださっていたご遺族から、作品寄贈のご意向がある旨連絡を受けたのは、森本の歿後7年を経てからでした。主なき鎌ケ谷のアトリエへと向かい、ご遺族が見守ってくださる中、邸内に残されていた作品等を梱包、搬出。何ぶんにも限られた時間であったため、作品を細かに確かめることまではできずに、仮縁の付けられた、いかにも初期の作品、額装されていない作品、描きかけの小品の数々、絶筆、イーゼル、絵の道具を収納するキャビネット、絵の具の跡のあるスチール椅子、といったものまで、まさに手当たり次第、運搬車輌に詰め込めるだけ詰め込んで、岩手・一関まで運んで来ました。

 この時に頂戴した資料は整理を進め、また、作品は毎年数点ずつクリーニングや額の新調を行っており、展示できるものもだんだんに増えてきています。反面、調査・研究の時間をじゅうぶんに確保できるとは言い難く、そして所蔵文献の少なさもあって、作品情報をまとめるには、まだかなりの時間を要します。

 

 ところで、作品の展示に際しては、制作年や出品歴、作品の性格等を事前に明らかにしておくのが、あるべき姿だと思います。しかし、寄贈作品に関する情報収集は、とりわけ難航することが多く、調査途上のまま展示する場合もあります。展覧会担当者として不本意なことではありますが、優れた作品を皆さまにご覧いただく機会を逃さないようにするには、それでも致し方がないと踏ん切りをつける時があるのも事実です。

 とは言え、作品を多くの方にご覧いただくと、時折ありがたいことが舞い込んで来るものです。来館されたお客様が、様々な事を教えてくださるのです。多くは作家にまつわる逸話ですが、過去には、手を尽くしても所在不明のままだった作品が見つかり、さらに収蔵へと至った例までありました。ちなみにその時は、展覧会場に「幻の作品、情報求む」と作品写真パネルを掲げたところ、ちょうど会場を訪れていたその作品の所蔵者が、パネルに目を留めてくださったことが契機となりました。

 「画家の目のつけどころ」展でも、似たようなことがありました。展示した森本作品のいくつかは、制作年や作品名が不詳でしたが、貴会の木村勝明氏が《出稼ぎ労働者》の正確な作品名と制作年、出品歴、掲載文献について教えてくださったのです。会場にお見えになった木村氏は、その作品を目にするやいなや、『日本アンデパンダン展の25年 歴史と作品』の所載作品(1953年・第6回展出品)であるとお気づきになったようで、すぐに資料を添えたお便りをくださいました。

 木村氏は「(森本作品の中では)戦後の混沌とした50年代のパッションを感じる労働者像に惹かれる」とのこと。先の書籍に掲載された作品図版を鮮明に脳裏に刻んでおられたのでしょう。それにしても、その記憶力の確かさには舌を巻きました。

 こうやって、またも思い掛けない方からのお力添えで作家研究が一歩前進し、まったくありがたいことだなあ、と身に沁みています。


おおひらさおり

学芸員。一関市博物館建設対策室を経て、一関市博物館に勤務。美術担当。これまでに企画した展覧会は「生誕百年森本仁平展」「佐藤紫煙 幻の花鳥画-新潟・大正時代の豪商別邸に残る板戸絵-」「歿後70年 彫刻家 長沼守敬展」「向井潤吉 みちのくの民家」「生誕80年 森本草介展」等。