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「ハンセンヱホン」復刻版の反響

松山しんさく(まつやまふみお研究会)

松山文雄
松山文雄

本誌前号(No.145,2018)に、松山文雄著「誰のために-ハンセンヱホン」の紹介と、復刻版刊行の予告をした。今回はその後の経緯と2018年11月に開催した「ハンセンヱホン展」にまつわるメモを記しておこう。

 ハンセン展に先立ち、6月に日美アトリエで研究会を開いた。復刻版の披露に合わせて、石子順さんが「ハンセンヱホンの時代」と題して講演した。さらにちひろ研究者である宮下美砂子さん(小田原短大講師)に「ふみおとちひろの接点」の話題をお願いした。2018年は、ちひろの生誕100年であり、宮下講演はたまたま前進座で準備中の演目「ちひろ-私、絵と結婚するの」(2018年秋以降全国巡演)の台本作家、朱海青さんの目に留まった。この作品は、敗戦直後に上京したばかりのちひろが「絵描きとして自立する」葛藤を描いたもので、当時の美術界を代弁した人物として登場する松山文雄の役作りに生かされた。2018年は、鈴木三重吉による童話童画雑誌「赤い鳥」の創刊100年でもあった。同誌の挿絵を描いた唯一人の女性画家前島ともは、ハンセンヱホン刊行の翌年から2年8ヶ月獄中にあった松山文雄が出獄したとき、柳瀬正夢とともに身元引受人として出迎え、その後文雄と結婚している。創刊100年記念で刊行された「赤い鳥事典」に前島ともの紹介記事を執筆した童画研究者、坂本淳子さんには、この研究会で講演を依頼していたが、直前で病に倒れ欠講となった。研究会以降、しんぶん赤旗、日中友好新聞(石子順記事)などメディアのお陰で全国からヱホンの注文が相次いだ。とくに文雄の郷里の長野県は、信濃毎日新聞(植草記事)によって県全域に普及が進んだ。上記の前進座との繋がりもこの記事に宮下講演が紹介されたからである。

 

 ハンセンヱホン展は、11月14~25日、共産党本部1F会場で開催した(主催ふみお研究会、共催水沢画廊)。ヱホンの見開き漫画・テキストを拡大してパネルに額装した30点、ふみお年譜、草稿ノート、ふみおが保存していたヱホン原本と国会図書館蔵押収本の表紙比較、ヱホン発行時代のふみお漫画(東京パック、戦旗、少年戦記、1928(昭和3)年作 画帳「あさかぜのうた」(水沢画廊所蔵)、戦後の赤旗復刊第1号の一コマ漫画、絵本「まけうさぎ」、画集「鳥獣戯画」などを本部資料室の協力を得て展示あるいは閲覧に供した。本展は準備段階から、中央委員会管理部の全面的なサポートを受け、会期中は他の部の勤務員が交代で受付や説明役をボランティアで担ってくれた。復刻にあたって、対象になる読者は研究者や好事家くらいかと心配したが、予想に反して本展までに初版500冊の在庫が底をつく状況になり困った。頼りとなる版下製作の相田務さんが入院となったからである。キーパーソンが次々と病に倒れたことは衝撃だった。それでも病躯を押して2版500部増刷が、本展イベントの石子講演日に間に合った。本展は今年1月上田平林堂に巡回したほか、地方独自でヱホンをコピーした展示会を開催した。

 石子講演の内容は、「松山文雄-ハンセンホン 誰のために-の現代的意味」と題して、前衛2019/3-4月号に掲載されている。

 展覧会には、通りすがりのひとから北海道・沖縄まで、全国から630名ほど訪れた。そのうち1割が熱心にアンケートに応えてくれた。ふみお漫画のファンという高齢の方々が多かったが、「若い人達に戦前戦中のことを話す資料を探していた折で時宜に適った良い企画だった」との言葉もあった。母親が是非読みたいと託されてきた30代の女性は、「中味を理解できなくて恥ずかしいが、あの戦争中ここまで描き出版したことに敬意を持ちました。現代を考えるきっかけにもなり、訪ねて良かった」。通りがかりの40代男性は、「戦争は起きるのではなく、起こすものだとあらためて気付いた」。若い人に継承したいという願いが少しは適った。党本部という場所では入りにくい人も居るのではと心配したことも杞憂であった。

 ハンセンヱホンには多くの伏せ字があり、その解読の要望があったが、勝手な解読をすると先入的に想像を邪魔する可能性もあり、今後の研究課題である。

 復刻によって、新しい繋がりが出来たことも成果の一つであった。上記の「赤い鳥」、前進座のほかにも、新宿・落合プロレタリア文化研究会からコンタクトがあり、第1回会合が11月27日夜、下落合の落合第1地域センタで行われた。奇しくも同日午後、新宿区立漱石山房記念館で鈴木三重吉の孫、鈴木潤吉氏の主催で「赤い鳥」の作家・画家・音楽家の子孫の交流会があった。地域センタの前面にある聖母病院は、実は筆者の生まれたところで、文雄が前島ともと居を構えたのが、現住所では中落合1丁目(当時は淀橋区下落合3丁目)であった。プロ文化研究会の作成した地図によると、美術家同盟(PP)の地番(現上落合1丁目)が、ハンセンヱホンの奥付にある東京府下上落合429だろうか。この冊子もこの地で生まれた。


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