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第9回コンフューズ展で

日本美術会会員 首藤教之

 日本美術会が従来の日本アンデパンダン展とは別に、若い世代の力と発想による若い世代のための新しい展覧会として「アート・コンフューズ」を発足させて今年で9回目を迎える。来年は第10回というひとつの節目に向かい合うことになる。

 新宿、王子、池袋と会場を移しながら、アンデパンダン展の流れとは別の新しい力の核が生まれ、確信を築きつつ進行しているこのイベントの姿。それを近年、眼にしている。

 50人程度の「さまざまなものがごちゃまぜになった」「何でもありの自由な空間」には50種類くらいの個別の、独創の創作世界が今年も会場の壁や床を埋めている。独特なのはその創作方法だけでなく、その背景にあると思われる世界観や創作感が垣間見られることで、それはこの世界への愛や希望だけでなく、失望感を示しているものまでを含んでいる。思えば、これらのことは「日本アンデパンダン展」でも同様なはずではあるが、相違点はその量的規模にあろう。

 出品者1000人というような大会場の大規模展では本来その全体の内容を親密にリアルに押え、確かな深みを持つ感想を語ることが困難だ。従来記録されているものは基本的に概括であって、触れ得ないままの問題点、課題意識を積み残し、置き去りにしてきているとも言える。

 大規模公募展は明治期以来の日本資本主義の、その文化観・文化政策の結果として生まれ、それに伴って「在野」展も派生した。大きな美術館建築、政府掌握下の「大展覧会」による権威の構築。「強国」の権威は大規模でなければならなかった。そして、その文化の形によって「美術界」が形成され、その概念も生まれた。さらに戦後の民主主義芸術・美術もそれを反映した姿で生まれ、そして現在にまで至っているということになる。

 今後、軌道修正が必要だとして、これは相当複雑で多難なプロセスを踏まざるをえないだろう。しかし、そこから目を反らすことも許されまい。

 今回のコンフューズ展で、あらためてこのようなことを想わされたのは、こういう過大でない規模が持っている自然な交流の形、意思統一の形の良さのためだと思われる。閉会のあいさつの中で、杉山まさし氏も、きめ細かに交流が生まれていたことの喜びを語っていた。

 日本美術会の日本アンデパンダン展は、当然ながら、「戦前」からの歴史の光と影を否応なしに写しつつ進行して現在に至っている。一方、その会が誕生させた「アート・コンフューズ」はそれとは別に、現代の独自の「光と影」をリアルに写しつつ、本人らの意識の如何にかかわらず歩みを進めている。そして、本格的な探究の萌芽がそこに生まれつつあるように見える。私たちはそれを注意深く温かく見つめてゆきたい。