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黙殺か連帯か 表現の不自由展がもたらした内外の波紋

アライ=ヒロユキ

■「封じ、無視し、貶める」3種の政治圧力

 真実を開こうとする力があり、一方で閉じようとする力がある。あいちトリエンナーレ2019での「表現の不自由展・その後」(以下「その後」)の展示中止事件、そしていまも続く議論はこの相克の様相を呈している。

 ある言論や表現がタブーとされる場合、社会慣習上のものなら社会性に属する。しかし政治制度に関わるものなら、政治性の意味を持つ。

 「その後」の本質は社会性でなく、政治性にある。ゆえに加えられた圧力は広範で仮借ない。これはおおよそ3種類に分けられようか。封じること、無視すること、偽って貶めること。

■検閲で封じる

 「封じる」は、「その後」展示中止がそのまま当てはまる。美術界もそうだが、日本社会の多くは事件を検閲と捉えていない。まず日本の裁判所の判例は検閲を「事前規制」と規定し、法的に検閲とみなされない(にくい)事情がある。しかし海外では検閲と理解し、報道された。もっとも権威のある辞書、OED(オックスフォード英語辞典)では、「わいせつ、政治的に受け入れがたい、安全上の脅威とされ、表現に加えられる禁止や圧力」と定義する。

 各国の実定法(実際に運用される法律)は、為政者の意志で時に左右され、悪法が生まれる。しかし人類に普遍的な視点で道理を計るものさし(理念上の法律)もあり、自然法という。いわばこの物事の道理からすれば事件の本質は検閲であり、その罪過の責は大村秀章・愛知県知事/あいちトリエンナーレ実行委員会会長が負うべきものだ。

 検閲は単なる社会的タブーでなく、言論表現が為政者や政治制度の過誤を追及するからこそ起こる。言論表現の自由は、本来この政治性に根拠がある。あいトリの海外作家十数人のボイコットはアートに課せられる社会的責務と自覚の上になされた。だが、日本作家はこの点で曖昧な態度が支配的だった。

■無視するマスメディア

 「無視する」は、マスメディアの報道がそうである。大村知事、津田大介芸術監督、「表現の不自由展・その後」あるいはあいトリの参加作家に多くの紙数や時間が割かれたが、展示空間を立案構成した表現の不自由展実行委員会に肉迫する報道がほぼ皆無だった。『朝日新聞』による2度の長時間取材はほぼ割愛され、名古屋テレビでの12月に放送の報道番組でも筆者を含む辛辣な作家の長時間談話はカットされた。雑誌等での本問題の特集記事も、『美術手帖』を代表例に、同傾向を示す。

■無理解と貶め

 「偽って貶めること」は、「その後」のキュレーションがプロのものでない稚拙さで、起用自体に過ちがあったとする決めつけだ。これはあいトリに出品の美術作家にもしばしば見られ、あいちトリエンナーレ検証委員会の主要批判点でもあった。これは、1)展示空間が過密で美的に拙劣、2)不自由展実行委員会はプロのキュレータではない非専門家集団、に集約される。

 1については、展示空間が検閲問題についての対話を醸成するべく意図されたことが理解されていない。ヨーゼフ・ボイスの直接民主主義に関わる作品やリクリット・ティラヴァーニャの「関係性の美学」とされる作品が参考となる。

 2は、美術評論家(筆者のこと)は潜在的にキュレーターとみなされるが反証だ。昨今の国際美術展はNPOやのアート・コレクティブの参加もしばしばあり、多様化する現代美術の形式分類は意味がない。

 1と2は、名古屋地方裁判所への仮処分申し立ての陳述書で筆者が主張した。仮処分申し立ては、美術界の中で革新的と思われる人々からも反感が強かったようだ。しかし仮処分でのこちらに有利な形の和解という事実上の勝利は、日本社会あるいは美術界の意見がどうあれ、法廷で正当性が認定されたことに等しい。

■伸長する歴史修正主義と反動政策

 以上の圧力は、表現の不自由展が持つ政治性への忌避が背景にある。では、その政治性は何だろうか。「その後」は津田大介芸術監督によってあいトリに招請されたものだが、前史がある。日本軍「慰安婦」の主題作が検閲された写真家・安世鴻に対する支援活動、さらにそこで培われた問題意識と2014年頃から急増した日本社会での検閲事件に対する憂慮から生まれた、2015年の表現の不自由展(ギャラリー古藤)がある。

 そこには、急増する検閲は日本社会での歴史修正主義の伸張と安倍政権が進める反動政策が根底にあるとする共通理解がある。キム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻の《平和の少女像》の展示もその危機意識からくる。

 あいトリの日本作家には、多くの暴力的な抗議、FAXによる放火予告という憎しみの渦にたじろぎ、「協調」を夢見て、コールセンターなどで右翼との対話を試みたものもいる。しかし不自由展実行委員会にとって、社会の分断は自明の歴史的現状だ。政治的な権力を剥奪され、日本帝国臣民から在留外国人へ一方的においやられた在日コリアンの存在がそうだ。きれいごとでの隠蔽でなく、社会矛盾の可視化と人権侵害者に対する毅然とした否定こそ、むしろ必要な政治的表現だろう。

 

■迅速・明瞭な韓国側の対応

 日本作家の分断への憂いは、「徒に問題事を言挙げする」不自由展実行委員会への敵意と表裏一体だ。だが、海外のボイコット作家ははっきり連帯を表明した。日本の戦争/植民地責任の総括は、日本社会の是正に止まらない。ポストコロニアルと呼ばれる戦後の東アジアの政治的事情そのものの再考でもあり、ここに対外作家との連帯の必然もある。この点、やはり韓国側の対応は迅速かつ明瞭だった。2019年8月27日に韓国のソウルで「表現の不自由展事件と東アジアの平和芸術」というシンポが開かれ、筆者も招かれ、講演を行った。京畿文化財団の主催だ。

 11月30日、不自由展実行委員会は韓国の金復鎮賞を受賞した。金復鎮は近代朝鮮の彫刻のパイオニアで、プロレタリア美術の発展に寄与したことでも高く評価されている。受賞理由はこうだ。「芸術弾圧に抗する東アジアの友に捧げる賛辞だ。東アジアの芸術論空間の構成員として、互いに信じ合い、助け合う関係を続けたいという連帯の気持ちから、賞を差し上げる」。

 日本のなかの逡巡、困惑と対照的に、その外では「その後」が投げかけた問題意識は多くの作家やキュレーターに共有されていく。

 

■国際美術展の中心的役割をなす政治的表現

 2019年12月19日からは韓国・済州島での「EAPAP2019:島の歌」に参加した(2020年1月31日まで)。場所はかの地で起きた1948年の韓国軍による民衆虐殺を鎮魂する施設、済州4.3平和公園。東アジアの3つの島、済州島、台湾、沖縄を中心に作家を集め、暴力(虐殺)や戦争の問題を掘り下げ、平和の模索を芸術から探る試みだ。表現の不自由展のほうからは、多少の作家の異動があり、14組が参加。2019年に伊勢市観光文化会館の展示で日本軍「慰安婦」の主題作が検閲を受けた花井利彦、2018年に東京都大田区立男女平等推進センターエセナおおたでの展示で福島の放射性物質汚染の主題作が検閲を受けた豊田直巳が新たに参加した。

■「その後」事件は国際的共通課題

 今後は、テーマを新たに設定した企画展が4月18日から6月7日まで、台北市現代美術館(台北當代藝術館、MOCA Taipei)で開催予定だ。さらに国内でも、各地で展覧会が予定されている。日本の検閲事件を共通の課題と捉え、相互交流で自由を勝ち取ろうとする動きが広がっている。かたや、ビエンナーレと呼ばれる各国の国際美術展では政治的表現が中心的な役割を果たすようになって久しい。日本のガラパゴス的混迷は、いつ、いかに打破されるだろうか。

 


アライ=ヒロユキさんのソウルでのシンポ-講演画像 韓国・ソウルでのシンポ「表現の不自由展事件と東アジアの平和芸術」 で講演する筆者(2019 年8月27 日)。 写真提供:稲葉真以
アライ=ヒロユキさんのソウルでのシンポ-講演画像 韓国・ソウルでのシンポ「表現の不自由展事件と東アジアの平和芸術」 で講演する筆者(2019 年8月27 日)。 写真提供:稲葉真以

 

アライ=ヒロユキ

美術・文化社会批評。1965年生まれ。美術評論家連盟

会員。著作に、『検閲という空気』『天皇アート論』(社会評論社)、『オタ文化からサブカルへ』『ニューイングランド紀行』(繊研新聞社)、『あいちトリエンナーレ「展示中止」事件』(岡本有佳との共編、岩波書店)、ほか。