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あいちトリエンナーレ「表現の不自由展事件」極私的考察

森下泰輔(もりしたたいすけ)美術家/美術評論家

■想像できた美術事件

 私があいちトリエンナーレに「表現の不自由展・その後」が“出品”されることを最初に知ったのは、2019年3月27日だった。企画発表会で少女像展示を公表している。

 思ったのは、あいトリで展示が可能なのか?ということだった。というのも、2015年1月に江古田・ギャラリー古藤での「表現の不自由展」を見ているからだ。大浦信行、中垣克久、キム・ソギョン&ウンソン、山下菊二、安世鴻、貝原浩、永幡幸司らが展示されており、講演にはろくでなし子、ホン・ソンダムらが参加していた。古藤のラインナップの妙はより市民運動系の政治的情動が強く、主なポイントが慰安婦問題や天皇制是非に絞られていた。なによりも《平和の少女像》は、昨年4月20日に封切られた映画「主戦場」でも問題視されている話題の中心なので、折しも日韓関係が徴用工問題などでぎくしゃくしている時点での展示に右派が反対することは明白であった。

 あいトリ側の説明では、「2015年の表現の不自由展にその後新たに検閲・展示拒否にあったものも加えて表現の不自由展実行委員会として出品していただく」というもの。なぜか公式ウェブに詳細は出ておらず津田大介の会社が制作したという別の「表現の不自由展・その後」のサイトに当初はリンクされていた。騒動後に、「実行委がいち出品作家というのはおかしいのではないのか?」といった意見も散見したが、国際展の例えばヴェネチアビエンナーレやドクメンタなどにおいてはこうした「展覧会内展覧会」は取り立てて珍しいものではない。

 展示作家を確認すると、旧来の不自由展にChim↑Pom、小泉明郎、岡本光博らが加わっており、即座に芸術監督・津田のさじ加減を感じた。だが、この時点では大浦信行新作映像作品(自作天皇像焼却)の出品は決定していなかった。しかしすでにして戦後最大の美術事件の様相は想像できたのだ。

■不可分な美術の社会・政治性

 「ヴェネチアン・エフェクト」と密かに呼んでいる事象、日本の現代美術シーンはかならずヴェネチアビエンナーレに遅れること3~4年でその主題が着地するという法則がある。2015年というと故・オクウィ・エンヴェゾーがディレクションした「全世界の未来」があり、このときは何らかのプロパガンダも含め左派系の政治美術がメインとなった企画であった。この激しいテーゼは世界現代美術潮流を変えるだろう。海外からは「街おこしと地域経済振興一辺倒」といわれる地方芸術祭や「ヨコハマトリエンナーレ」では政治性作品を非政治的に見せることにやっきになっていたり、リオープンした東京都現代美術館の開館展でも政治性解説はご法度で、あくまでも審美性と海外のイズムの影響で済ませている態度には辟易としていた。「ヴェネチアン・エファクト」がそのまま上陸するとしたらどのような形になるのか? その答えがあいトリの「不自由展」にあるような印象を受けた。津田が国際展視察で「ドクメンタやヴェネチアのようなまっすぐな政治的芸術をやりたい」という意思を持ったとすれば、今回のあいトリでは隠し隔てのない生のヘビー級勝負が展開することになるだろう。

 ヴェネチア、ドクメンタ、光州の各国際展では近年、社会・政治性が当然のように問題視され、これらを見れば今世界で何が起きているのかが一目瞭然に理解できるほど美術の社会・政治性は不可分のものとなっている。日本における国際展に感じ続けている違和はまさにこの点にあって、ぼかされ、検閲され、忖度し、自主規制している美術の在り方には長年疑問を持ってきた。

 

■純政治騒動と化した美術展

 果たして、7月31日、ウェブのhankyorehに少女像展示が物議を醸すだろう旨の記事を確認する。朝日朝刊もまず不自由展のことを報道した。急きょトリエンナーレ事務局に連絡、プレヴュー参加の権利を獲得したが実際には間に合わなかった。その後はご存知の展開となる。この時点ではウェブや各紙がすでに騒ぎ出し、大阪市長からの連絡で河村市長が浮足立った。河村自身は31日内覧の挨拶でも一杯機嫌で国際展の成功をほめたたえていたというから内容に関する関心が実は皆無だった。ここから先は美術展を離れ純政治的な騒動に移行する。河村市長が初めて「表現の不自由展・その後」を内見するのは8月2日午前中。また、菅官房長官、報告を受けていない、文化庁助成はだせないかも発言も出た。ほかに柴山文科大臣、吉村大阪府知事、松井大阪市長、黒岩神奈川県知事らが前後して、本来テロを全力で防止すべきところを電凸恫喝に同調するような保守政治家の白色テロまがいの発言を繰り返した。周知のガソリン男の京アニ模倣テロ告知も出て騒然。河村「中止発言」を受け、3日には中止になるかもしれないと思い、急ぎ早朝からあいトリに出かけた。

 

■行政側の狂乱と静謐な観客

 会場はまさに「表現の不自由展・その後」一色、他の展示室には客がまばらなのに、不自由展はすで入場規制され1時間~2時間待ちの長蛇の列ができていた。大体、情報サイトやウェブで大騒ぎしている輩は美術自体に興味があるとは思われない。ただ単に情報上で騒いでいるだけなのだ。実際の不自由展を鑑賞していた観客は生真面目に説明文を読み、労作の規制・検閲・クレーム年表を丁寧に見ていたし、少女像の隣に座って記念撮影も行っていた。背後の狂乱とは打って変わって静謐ですらあった。それだけ皆、行政が規制してきたものを知りたがっているようだった。キム・ソギョン&ウンソン、少女像は世界では戦時性暴力批判のシンボルとして受容されており、かならずしも強制連行や日本軍慰安婦を意味せず、広義にはフェミニズムの文脈で理解されている。同夫妻も、ベトナムでの韓国軍レイプ・虐殺批判の像も制作しているし、次回作では「憲法第九条」をたたえる作品を制作したいとの個人情報を得ている。

 

■可視化された検閲と規制

 4日に中止された。あきらかな検閲だ。出品作家で早々と作品閉鎖に同調したキューバの活動家でアーティストのタニア・ブルゲラは「展示中最も優れていたのは“表現の不自由展・その後”」と断定したが、メディアは同意見をボイコット。同展は現在韓国を中心にグローバルなアートシーンに受容されつつある。まず、今回に関し、「表現の不自由が加速的に増大している」なる意見があるが根本、継続している。日本の美術館は明治以来、西洋美学なる審美性に軸足を置き名誉白人たらんとしてきた。美術の持つ政治性を薄め最新の美術動向の形式と上澄みのみを摂取して外見的に先進国家のふりをしてきたのだ。官主導の規制と事なかれ主義はいまも変わらない。不自由展の騒動そのものが規制の継続を訴えている。今回の一件も86年富山で起こった大浦信行の裕仁不敬事件を完全にリピートしている。これは津田がいうように「SNSと現代美術の相性の悪さ」というよりも「天皇制と現代美術の相性の悪さ」を露呈したかっこうだといえよう。今回の一件は津田と不自由展・その後実行委により全国規模で可視化されただけである。さらに安倍政権や日本会議の歴史修正主義が跋扈するありさまで、その意味で美術官僚と大村知事の仕切り上にある検証委や助成金不交付問題でやはり行政と折り合いをつけたいリフリーダム・アイチの動向は形式的再開を経ても美術の本質的問題の解決に到達するとは思えないのである。

■一石を投じた不自由展の意義

 2014年の光州ビエンナーレは、民衆側に立つ朴政権打倒の契機ともなったホン・ソンダム《セウォル、五月》改竄要請・撤去をめぐり大きな問題提起となった。あるいはInes Doujakの作品《Not Dressed for Conquering》を含む企画展をバルセロナ現代美術館の館長であったバルトロメウ・マリが中止した(のちに再開)ことは世界中から批判されたが、あいトリにおいては検閲を行使した側に理があるような結末を迎えているのはいかにも日本的である。 今回は日本の美術館であらかじめ排除された美術を再展示し、なぜ受容できないのかを問うという企画だ。それがやはり排除されることを見事に証明したのだ。それではどうすれば受容されるのかについては提出法・組立の問題とされたが実際はそうではない。トゥスクEU首脳会議常任議長がリベラルの敵として語った「時代遅れな権威主義、個人崇拝、寡頭政治」に該当する文化水準の問題なのだ。それをいかにして改善していくか、は、国全体に及ぶ抜本的な美術教育の見直しと理解を拡大したうえで表現というものの基本コンセンサス創出が肝要であろう。しかるのちに文化はおろか行政のシステムまでが変化する必要がある。そこに一石を投じただけでも不自由展の意義は大きい。


森下泰輔(もりしたたいすけ)美術家/美術評論家

「しんぶん赤旗」で美術批評を13年務める。

「月刊ギャラリー美術評論公募」最優秀賞(2000)。美術家として、天皇の美術と植民地化する日本美術を主題とした「國GHQ皇」(2003)やバーコードを用いた資本主義主題作品を制作。アートラボグループ運営委員。