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戦後民主主義の輝きと美術―「美術運動」復刻版出版の意義について

鳥羽耕史(とば・こうじ)

一貫性持つ新憲法の時代精神

 1947年1月の「美術運動」第1号には、「1、民主的美術文化を創造し普及する」とはじまる日本美術会の綱領が掲げられている。この精神は、2011年7月改定の「日本美術会趣旨」として現在も受け継がれている。同じ1947年に創刊されて現在も続いている同人誌としては、先に三人社から復刻された「VIKING」がある。こちらは月刊で2020年に73巻、まもなく830号を超える号数を誇る文学同人誌だが、創刊した文学者の富士正晴が交代可能なキャプテン制を敷き、継続を第一義として融通無碍な編集方針をとったため、時代に応じて変化を続けてきた。一方、今年で147号となる「美術運動」は、先の趣旨も述べる通り、「新憲法」の時代の精神を保ち、たぐいまれな一貫性を持つ雑誌として続いてきた。

呼応する激動の時代

 今回、復刻版が刊行される1940年代末から1960年代にかけては、政治的にも文化的にも激動の時代だった。占領初期の民主化の時代から、1948年の韓国と北朝鮮、1949年の新中国の成立、そして1950年の朝鮮戦争開戦に至る過程で、占領軍と日本政府も「逆コース」と呼ばれた再軍備路線へと転換する。サンフランシスコ講和条約による1952年の独立、1953年の朝鮮戦争休戦をはさんでの冷戦の深化、そして1960年安保闘争を経て、再び日本の米軍基地を拠点としたベトナム戦争が展開される。

一望できる美術家の動き

 この復刻版を順に見ていくと、そうした目まぐるしい政治の動きと呼応するように展開していった美術家たちや展覧会の動きを一望することができる。1947年、「美術運動」創刊の年にはじまった日本アンデパンダン展について、準備過程から詳細な記事があるのは当然だが、それだけではない。1949年にはじまった読売アンデパンダン展、1951年のマチス展とピカソ展、職場美術展、1952年からの平和のための美術展、1953年からのニッポン展、1955年の日米抽象絵画展などの他、1958年には世界をまわった「原爆の図」の展覧会のことが紹介される。1960年代にも、1963年の東独版画地方展、1966年の現代中国絵画展などの記事はあるものの、展覧会の記事はほぼ日本アンデパンダン展に絞られていき、「美術運動」は国内外の美術動向の紹介と、芸術についての理論的な議論の場になっていく。海外からは、メキシコのシケイロス釈放運動、ソ連での日本現代美術展などの紹介があり、インドネシア美術、キューバ版画、ベトナム美術、社会主義諸国の現代美術、ケーテ・コルヴィッツ、現代デッサン選などが誌面で紹介される。その間、日本美術会会員たちによる、政治と美術についての熱い議論が展開されていくのである。

振り返る意義ある誌面

 「美術展は美術家の手で」という呼びかけにはじまった日本アンデパンダン展と「美術運動」誌とは車の双輪の関係にあり、ともに初発の動機を維持し続けてきたことが、この復刻版によって確認できる。民主的な制度が次々に切り崩されていく現代、戦後民主主義の輝いていた時代の誌面をふりかえることには大きな意義があるだろう。


鳥羽耕史(とば・こうじ)

1968年東京都生まれ。早稲田大学文学学術院教授。著書「1950年代「記録」の時代」(河出書房新社)、共編著「転形期のメディオロジー」(森話社)ほか。