稲葉真以(いなばまい)光云大学副教授
2020年の韓国は本来、多くの国際美術展が開かれる年で、通常ならば日本はもちろんのこと、海外から多くの観覧客が訪れるはずだった。しかし周知の通り、コロナ19の影響で三大ビエンナーレのうち開催されたのは釜山のみ。首都圏の国公立美術館は、コロナ対策の段階が変動するたびに開館と閉館を繰り返し、楽しみにしていた展覧会が突然の閉館で結局観覧できなくなったことも一度や二度ではない。小さなギャラリーなどは従来通り運営するところがほとんどだったが、私立美術館なども予約制をとっており、入館の際の発熱チェックなどなど、展覧会一つ観るのに細かいプロセスを踏まなければならず、とにかく面倒くさくなった。思いついたときにふらっと美術館に行って自由に観覧できていた頃が懐かしい…。そんなこんなで見逃してしまった展覧会もいくつかあったものの、一方でいい展覧会を観たときの感動はひとしおであった。特に2020年は朝鮮戦争70周年、光州民衆抗争40周年などの記念の年でもあり、韓国の現代史と関連づけた内容の濃い展覧会が多かったというのが実感である。その中からいくつかの展示と印象に残った作家・作品を紹介してみたいと思う。
■ソウル「見知らぬ戦争」展(2020.6.25.-9.20.)
国立現代美術館ソウル館の「見知らぬ戦争」展は朝鮮戦争70周年を記念して企画された。尹凡牟館長が、既に企画されていた展覧会の日程を変更してまで実現したこの特別展は、朝鮮戦争開戦日である6月25日に開幕したことからも館長の展示にかける思いが伝わってくる。1950年に生れ、母の胸に抱かれて避難したという尹凡牟は、韓国が休戦状態であるにも関わらず戦争の記憶が風化している現状を憂う。
展示では戦争をテーマにした国内外の作家たちの作品約230余点を4つのパートに分け(見知らぬ戦争の記憶、戦争と共に生きる、人間らしく生きるために、何をするべきか)、作品を通じて戦争の惨状と現実を喚起し、戦争とは、平和とは何かを問いかける。 金星煥の<6.25スケッチ>シリーズ(1950)は、朝鮮戦争 当時高校生だった作家のスケッチ集だ。家財道具を背負って逃げ惑う人々、爆撃で破壊された町、道端に転がる死体などが克明に描かれた記録画である。
在韓米軍の姿や、武器品評会を訪れる家族連れ、空を行き交う戦闘機などを撮った、ノ・スンテクの写真は、韓国が今も「戦争中」であるという現実を提示する。
日本からは富山妙子が参加。アジア・太平洋戦争で戦死した日本軍兵士の骸骨が描かれた<南太平洋の海底で>(1985)、アジア民衆の犠牲によって成り立つ日本の繁栄を風刺した<菊花幻影>(1999)の2点が出品された。
艾未未の<旅行の法則>(2017)はビニールで作られた長さ16メートルの立体作品で、地中海を渡りヨーロッパを目指す難民ボートを再現したものである。巨大なボートが伝える難民の命をかけた「旅行」の実態は、観覧者たちを圧倒する。
展示された51名(組)の作家たちの作品は、戦争の多様な様相を浮き上がらせ、現在も世界各地で進行形の悲劇の現実を私たちに突き付けるのである。
■ 麗水「第10回麗水国際美術祭―【解題】禁忌語」 (2020.9.4.-10.5.)
朝鮮半島の南端に位置する麗水は、風光明媚な港湾都市として知られているが、麗順(麗水・順天)反乱事件の現場でもある。1948年4月、済州島で南朝鮮単独政府樹立のための選挙に反対する住民たちが武装蜂起し(4.3事件)、やがて遊撃戦化する。鎮圧のために李承晩大統領は10月、麗水に駐屯していた連隊に島への派遣命令を下したが、連隊の左翼系軍人たちは済州島への出動を拒否し、警察打倒、南北統一などを掲げて蜂起する。彼らは順天まで進出し、やがて共産党員や市民も行動に加わるが、政府は麗順一帯に戒厳令を宣布、米軍の協力で鎮圧作戦を開始。夥しい民間人の犠牲が出たが、左翼の反乱として「麗順」の名はタブーとなった。
タブーはどの社会にも必ず存在する。芸術監督の趙恩廷は、禁忌語は禁じられているからこそ、逆に社会や事件、人々の行2020年韓国の展覧会レポート為の真実を明らかにするのだという。だから真実に対する抑圧によって生れた禁忌語は、逆に偽装された社会の嘘を暴く装置にも成り得るのだ。出品作はこの世に存在するさまざまなタブーに対する作家たちの解釈であり表現である。表現=発話された瞬間に禁忌語は解放されるのである。
キム・ギラの映像作品<理念の重さ-真昼の闇>(2014)は、学生時代に民主化運動に関わり、国家保安法でつかまったある男性の催眠治療の一部始終を撮影したものである。絞り出されるように語られる弾圧の記憶は、民主化運動に対する国家暴力の苛烈さの生々しい証言である。
藤井光は<2.8独立宣言書:日本語で朗読する>(2019)を出品。1919年2月8日、東京で朝鮮人留学生たちが「日本語で」作成された「2.8独立宣言書」を朗読し、日本の議会に提出しようとしたが、結局逮捕され失敗に終わる。映像作品の中で、ブルーのシャツを着た日本在住の若いベトナム人留学生兼労働者たちが、禁じられた2.8独立宣言書を拙い「日本語で」順繰りに読み上げていく。100年前の朝鮮の若者たちと、現在日本で働くベトナムの若者の背景には、アジアにおける日本帝国の変わらぬ姿が浮き上がる。
9カ国から46人の作家が参加したこの展覧会は、その挑戦的なテーマと共に、コロナ禍で新たな禁忌が生まれつつある今、覆われた真実を暴く美術の力を提示した。
■ 光州「May to Day」(2020.10.14.-11.29.)
2020年、光州民衆抗争(以下、5.18)は40年周年を迎えた。「May to Day」(以下、MTD)展はこれまで光州ビエンナーレを通じて提示された5.18関連の作品を展示によって再照明するプロジェクトである。タイトルは、5月(May)の日常性(day)を語り、当時のできごとを現在(today)に取り戻すという意味で、これは5.18が生み出した「光州精神」が、現在も有効であることを多層的に示そうというものである。
本来行われるはずだった第13回光州ビエンナーレは2021年に延期されたが、「MTD」は25年間にわたって蓄積されたビエンナーレの歴史と記録を現在へ位置づけることを目的とした。6月には「MTD」のソウル展である「民主主義の春」が開かれ、5・18関連のアーカイブと芸術作品を並置することによって、記録と歴史的事実がどのように芸術によって拡散されたかを示した。また海外(台北、ケルン、ブエノスアイレス)の民主化運動とも連携させた。
「MTD」展の会場は、国立アジア文化殿堂を中心に、旧国軍光州病院、無覚寺、旧道庁の4か所である。文化殿堂と旧国軍光州病院では「光州ビエンナーレ(GB)・コミッション」による作品群が展示された。GBコミッションとは、国内外の作家たちが、5.18の歴史的現場と結びつけた作品を通して、光州ビエンナーレの創設の背景を想起させるプロジェクトである。会場となった旧国軍光州病院は、抗争の際に負傷した市民たちが運ばれ、調査を受けたいわくつきの場所だ。観覧は夜間のみで、冷たく暗い病院の中に展示されている作品は、作家の意図以上のものを訴えかけているように感じられた。一方、無覚寺の「80年代:抗争の証言、運動の記憶」は金鎮夏監修による版画展で、膨大な五月版画と出版物の展示は壮観だった。5.18の現場を目撃した多くの光州作家たちが刻み付けた版画は、熾烈な抗争の真実を観る者に物語ってくれる。
■釜山「2020釜山ビエンナーレ:10章の物語と 5編の詩」 (2020.9.5.-11.8.)
2020年の釜山ビエンナーレはビエンナーレとして公式に出帆してから20周年であるため、これまで以上に釜山に焦点を当て、多様な芸術ジャンルと市民を連携する内容となった。芸術監督はデンマーク出身のヤコブ・ファブリシウス。「10章の物語と5編の詩」というタイトルは、ロシアの作曲家モデスト・ムソルグスキーが、建築家・芸術家のヴィクトル・ハルトマンが残した作品を音楽で表現した「展覧会の絵」から発想を得たものである。「展覧会の絵」は、ある芸術を再解釈し、別の媒体へ変換するというアプローチである。
ムソルグスキーに倣いファブリシウスもまた、物語・詩をアート作品や音楽へと翻訳することを試みた。全体の構成は小説と詩が軸となっており、異なる芸術表現を通じて、都市のスペクトラムを拡大しようとした。監督はまず、韓国、デンマーク、アメリカ、コロンビアの文筆家11人に釜山を主題にした作品の執筆を依頼。これらの物語・詩から得たインスピレーションを基に、アーティストが作品を制作するという形態をとった。
参加作家は34か国から文筆家11名、視覚芸術家67名、サウンドアーティスト11名。釜山現代美術館を中心に、釜山の旧市街、影島の埠頭倉庫が会場となった。全体は11の「章(チャプター)」に分けられている。テキストを基にしているため、全ての作品が釜山の街を描き出している印象を与え、観覧者は作品を通じてまるで読者のように釜山を読んでいくのである。
国際展特有の派手なスペクタクル性はないが、むしろそのために展示場と都市が一体化している。注目すべきは、旧市街に展示された民衆美術家盧?喜の1980年代の作品で、1982年に反米主義の学生たちによって放火されたアメリカ文化館(現・釜山近代歴史館)の向かいに壁画として再制作された。
また、市民による物語と詩の朗読が聞けるオーディオ・ブック(会期のみ)や、市民から集めた「釜山の音」と共に制作されたサウンドアーティストたちの映像作品の公開も面白い試みだった。(Youtubeや公式ホームページで視聴可)
釜山ビエンナーレ2020は突然のコロナ禍にも関わらず、芸術監督と作家、そしてスタッフたちが綿密なコミュニケーションを取り合い、工夫を凝らし、釜山の魅力を見事に伝えてくれた。くれた。2021年もますます楽しみである。
■釜山「2020民衆美術オデッセイ」(2020.6.10-8.30.)
釜山民主公園では毎年、民衆美術をテーマにした展覧会を行っている。今年は6月民主抗争33周年を記念し、2か月にわたって全6回の連続展覧会を開催した。
ここでは筆者が観覧した3つの展示を紹介したい。一つ目は「労働美術2020-私たちの友、泰一」(6.10.-28.)。労働者の権利を叫び焼身自殺した全泰一烈士没後50周年を記念し、労働者問題に焦点を当てた民衆美術家たちの作品が展示された。二つ目は「脱核美術行動2020」(7.11-25.)で、民衆美術運動の代表作家でもあり「現場美術」を実践した洪成潭を中心に、脱原発を訴える作家たちによる展示である。彼らは原発所在地へ出かけ、作品制作、パフォーマンス、共同制作などを行い、「脱核美術行動」というグループ名の通り、行動を通じて原発問題の現在を伝えている。
三つめは2014年から始まった民衆美術家列伝の5回目、「朴景孝」展(7.4.-31.)である。釜山を拠点に活動する朴景孝の1980年代から最近までの代表作は、平面、キネティック、インスタレーションなど多様だ。特に目を引くのは、フェリー沈没で多くの修学旅行生が死んだ、セウォル号事件を描いた<歳月は流れても>(2014)だ。事件当時、朴景孝の娘も高校生だったため、娘を助ける自らの姿をモチーフにした。構図は1987年に催涙弾の直撃を受けて倒れたイ・ハニョルの有名な写真のパロディである。深刻な社会問題を、受け止めやすく観覧者へと伝える、朴景孝独特の「民衆ポップ」が全開した展覧会だった。
■地方アートシーンの底力
以上、2020年に観覧した主要展覧会を紹介した。これら以外にも報告したい展覧会があったが、字数の関係で五つに絞った。全体的な印象として、地方の展覧会にいいものが多かったことが挙げられる。韓国は何もかもがソウルに集中しており、美術もまたしかりである。しかし、コロナ禍にも関わらず、展示をやりとげた地方の美術関係者の努力は、地方アートシーンの底力を確認させてくれた。2021年もますます楽しみである。
稲葉真以(いなばまい)光云大学副教授
民衆美術を中心に日韓近現代美術を研究
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