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「『美術運動』を読む会」は続く

宮田徹也(みやた・てつや)

 「『美術運動』を読む会」の東京都現代美術館、国立新美術館という主だった活動については、『美術運動』No.139(2012年3月)に詳しい。2018年には主催者のJ・ジャスティン、2019年には足立元、2020年には私が著作を出版した。

 JUSTIN JESTY『ART ENGAGEMENT IN EARLYPOSTWAR JAPAN』(CORNELL UNIVERSITY PRESS)のタイトルにある「エンゲイジメント」には「従事」「約束」「動作」などの意味がある。ジャスティンは1950年代の政治と美術の動向をアーティストインタビュー、作品調査などを通じて時間をかけて行なっていたので、「社会との進行」と相応しいのではないだろうか。

 ジャスティンは敗戦後の動向を追うと共に、現代アートの方法の一つである「Socially Engaged Art」(以下SEA)についても深く研究している。日本で2018年7月に刊行された「ソーシャリー・エンゲイジド・アートの系譜・理論・実践」(フィルムアート社)にも、「社会的転回の論争」という研究成果を発表している。

 ここでいう「Engaged」とは「社会との関わり」と訳される場合が多いが、しっくりする日本語がないという指摘もある。いずれにせよジャスティンは、同じような語彙を使用しながらも、SEAとは異なる見解を示しているというのが、専門的な判断である。この違いを前提としながら本書に向き合う必要があることを、覚えていて戴きたい。

 

 ジャスティンの単著の表紙は山下菊二であり、掲載図版は千田梅二、丸木俊&位里、内田巌、箕田源二郎、高山良策などがあり、画家の桂川寛、池田龍雄、中村宏、映像の羽仁進、創造美育、前衛集団九州派は特に章立てて論考されている。緻密な調査と新しい見解は、これまでの日本敗戦後美術の研究に大きな光を射す。

 

足立元『裏切られた美術』(ブリュッケ)もまた、日本近代美術の研究に新たな風を吹き込む。足立は自らを「美術研究者」とせず、「視覚社会史」と位置付ける。従来の美術史の研究では視線が届かない領域と発想によって、視覚芸術を捉え直すのだ。それでも決して美術史を否定しない。研究とはこのように、更新すべきなのである。

 本書は、戦前と戦後を跨ぐ、美術と漫画や映画等の領域を横断する、美術の詳細だけではなく社会や生活との関わりを大切にするといった特徴をもつ。左翼思想、幸内純一、地方のプロレタリア美術、プロキノ、小野佐世男、藤田嗣治の漫画と望月桂、中原佑介の思想、大塚睦、いわさきちひろの前衛性、針生一郎と前衛記録映画、モンタージュ絵画などが語られる。

 

 足立の研究の独自性とは、これまでの美術研究では為し得なかった資料の読み込みにあると私は感じている。徹底的に資料を読み込んだ上で、全く異なる場所の資料へハイパーリンクし、これまで浮かび上がってこなかった実態を掘り下げていくのだ。ジャスティンはフィールドワークに長け、足立は文献を追求する。

 

 では、私は何をしているのかというと、創作者と鑑賞者の隔てを取り払い、国境や人種という場所だけではなく過去、現在、未来という時間軸も取り払った上で、芸術がどのような役割を果たすべきなのか、共に考えていこうと提案したのであった。『芸術を求め、愛する人々へ』(論創社)というタイトルは、芸術を必要としない人々への喚起でもある。

 私はこの本を2019年9月に書き上げていたので、校正の段階で「ポスト・パンデミックの時代に」をはじめに追加し、「本書の成り立ち、私の研究/批評方法」を明らかにし、創造者の決意、社会的役割、遮二無二制作、優れた作品/発表、今日活動する創造者達、現代と近代を知る術、学ぶことの意義、活動方法を記した。

 私はこの本を、私の子どもが通った葛飾こどもの園幼稚園に捧げた。専門的な研究書ではなく、子どもから大人まで楽しみ、考えることの重要性が伝わることを願った。美術、デザイン、建築、伝統芸術と、どのような芸術にも共通することを記した。様々な人間が出逢う場所はコラボレーションに結実するので、その項を最後にした。

 

 早稲田大学教授、鳥羽耕史の尽力と日本美術会の理解により、『復刻版 美術運動』の刊行が始まった。2021年12月刊行予定の解題を担当する足立元(二松学舎大学専任講師)、池上善彦(元「現代思想」編集長)、J・ジャスティン(ワシントン大学准教授)、武居利史(府中市美術館学芸員)、鳥羽耕史、白凛(日本学術振興会特別研究員〈PD〉)、私は、「美術運動を読む会」のメンバーである。研究は続いていくのだ。