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「リアリズム研究会」が残したもの

日本美術会会員 根岸 君夫

 かつて自身が所属していた今は亡き「リアリズム研究会」について書き残そうと、少し前から取り組んでいる。口を滑らしたことから、それに関して半端な文を書く羽目になった。

 

 日本敗戦から1年を経ずして日本美術会が誕生した。理念において日本国憲法と相通ずる、この画期的な組織の結成・推進と同時期に、その中の写実的作風の作家たちによる1グループの結成が進められていた。それがのちの「リアリズム研究会」である。

 この会は発足後、会名をリアリスト集団(仮称)とし、趣旨も未定のまま、活動を続けていたが、1954年、長文の討議資料を作成、これを基に意見約をはかり、1957年6月、ようやく「リアリズム研究会主旨」及び「会則」を決定した。

 確定した「主旨」は、字数400に満たない文章の冒頭、「現代の美術は新しいリアリズムを切実に求めている。そして社会主義リアリズムの深化発展こそこれに応える道筋であろう」と記し、「この課題を…追求し」、「私達の研究と活動が…民主主義的美術運動の統一、日本美術会の発展…に役立つようねがい努力する。」と結んでいる。

 私がこの会に加わったのは1966年であるから、以上の過程は資料で知るところなのだが、主旨決定に至る期間のこの長さは、メンバー間のリアリズムについての捉え方に、様々なニュアンスのちがいがあったことを示していると推察される。

 こうした状況を抱えながらも毎年、研究会・合評会・写生会などを重ね、1時期、会員展を開くなど活況を呈した期間もあった。しかし、ベテラン会員の相次ぐ逝去、その他諸々の事情により、1998年活動停止、自然解消に至ったのである。

 40余名のメンバーのうちには面識のない方もあるが、触れ合った方々はそれぞれ個性的で、魅力に満ちていた。

 会は消えたが、“社会主義リアリズムの深化発展”をどう受け止め、どう解決するのか。残された課題はあまりにも重く、せめて、慣れない文つづりにあたっている。


根岸君夫プロフィール

1936 年群馬県生まれ、埼玉大学美術科卒業。’66年日本アンデパンダン展初出品。同年日本美術会会員。’75 年画業専念。’77 第30 回日本アンデパンダン展実行委員長。2005 年日本美術会代表(2 期4 年間)、「秩父事件連作画」20 点を吉田町(現秩父市)に寄贈、石間交流学習館に常設展示。著書「根岸君夫秩父事件連作画集」、「根岸君夫油彩画集」

→リア研の活動記録を小冊子に2021 年中にはまとめる予定