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メキシコ(メヒコ)の壁画運動に魅せられて-萬木 昇(ユルギ・ノボル)の人生

1986 木版画 カタストロフィ *ウィトラコチェ(トウモロコシに寄生するキノコ) 写真家―Hector.garcia
1986 木版画 カタストロフィ *ウィトラコチェ(トウモロコシに寄生するキノコ) 写真家―Hector.garcia

 ユルギさんと京都で再会したのは 2019 年だったか、予期しない出会いだった。実は若い頃東京で会っている。「美術運動」NO.114 にレポートを書いてもらった。タイトルが「メキシコ壁画運動は今も‥‥」という1986 年1月刊行だから、1985 年にお会いしていた。かれこれ34年ぶりの再会だったのだと今回「美術運動」を探して確認できた。

 

 京都ではユルギ夫人と息子さんが一緒だった。夫人はメヒコの人で、大学の先生をされていた方、学者さん。息子さんはオーストラリアから来られていて、日本で合流されたらしい。4人でお茶しながら懐かしくも、長いそれぞれの人生に思いを馳せた。40年近くをメキシコに暮らし、作品も発表しながら、生活してきた彼の人生を探ってみたい。今回画像と共に「自伝的美術」「略歴」「立体紙造形」という文章をいただいた。誌面も限られるので、そこから抜粋して、ユルギさんを紹介しよう。(木村勝明・編集)


シケロスを観にメヒコへ、そして壁画制作の日々
 細かいディテールを書くと長くなる。とにかくシケロスを観に 1983 年1月初旬に、24 歳の時 20 時間かけて単身メキシコシティーに行き、友人のアパートに着いた。そこから出たり入ったりと 1984 年の夏、二日間かかってバスでロスアンゼルスに出稼ぎ、日系のレストランでウェイター半日、半日は高さ2m×6mに4つの民族をテーマに、もう一つは6mの褐色のウエイトレスがファーストフードを乗せての宣伝壁画。アラメダストリートの角、MOCA美術館の駐車場。今も残っているかどうか定かでない。

 1985年、日本の京都でアルバイト中、9 月19 日にメキシコシティーの大地震をラジオで知った。地震後瓦礫から沢山の子供達が救助されたテレビ報道を知り、これをモチーフに2.5m の掛軸状のフォーマットに巨大なトウモロコシの中に、子供達をしたから上にと救助する様子を木炭と鉛筆で描いた。これは京大の11月祭に哲学科の招待でメキシコ関連の資料を含め展示。後に1986 年メキシコの版画工房で2mの板をトウモロコシの形に切って、木版画を制作した。5 枚刷った。

 1987 年に美術集団テピートアルテアカの招待でテピート地区の壁にマンリケ(壁画家)と共に約 5m の高さの壁に聖母グアダルーペを模したトウモロコシを描いた。

 1996 年にデルガディジョ(壁画家)の指導の下に 10 人が集まって移動式壁画を描いた。各自 2m×3m の画面をアクリルで描いた。筆頭は私で、テーマは 21世紀に向けて、私のタイトルは 2000 年の大樹と生と死で、巨大な大樹の地中(過去)から現在、未来へと上に向かって表現した。1997 年に第一回壁画と公衆美術の国際週間で野外彫刻を 2 点出品した。どちらも 2m を超える作品。1 点目はグラスファイバー製でタイトルは「奉納」。2 点目は鉄製でタイトルは「揺り籠」。小さい子供だと 5 人は入る大きさの遊具でもある。

今日もメヒコの壁画運動は続く
 21世紀になってから沢山の若い世代の壁画家がどんどん出現しました。メキシコシティーのビルの谷間にあちこちに見ることが出来ます。20 代 30 代の若い層でテクニックもスプレーやローラーを使ったり、テーマも多彩です。古代メヒコのアイデンティティを感じるアステカ時代の神々をテーマにしたものから自然をテーマに、ウチワサボテンやリュウゼツランの花や鷲やハチドリ(アメリカ大陸にしか生息してない)など、多彩多色の華やかなものが多いです。Youtube で沢山みられるでしょう。2021 年 7 月久しぶりにメトロを利用したら、各地下鉄駅前に壁画がたくさんみられました。そんなに政治的なものは無いのですが、革新市長による政策の成果なのでしょう。いまでも壁画運動は盛んです。もはや私の出番はないようです。ですから、私は立体紙造形に専念しています。

立体紙造形

 跪(ひざまず)く文化、生と死の文化、日本でのお盆の習慣はメキシコでは「死者の日」で、共通点があります。4 元素(水・火・空・土)を表現するのも日本の絵巻物や掛け軸に見受けられ、メヒコでも古代からコディッセ(絵巻物)やレリーフにあり、日本もメヒコでも古代から多神教で水の神、火の神、太陽の神、大地の神と共通項が多いのです。

 最初は球形分割のダンゴ虫みたいな感じの GEOLITO と言う名で創作をはじめ、立方体を分解して組み合わせしたのがキューブモンスターです。創作の動機は、客観的にみて折り紙文化から来ているのでしょう。母方の祖母はテキスタイルデザインで生計を立てていましたが、その母親は滋賀県の西万木(にしゆるぎ)で生まれ育ち、京扇子をつくって生計を立てていたそうです。私の思い出は揺り動かされ、変化する紙造形の京扇子が、平面から立体へと変化して私の前に現れたようです。扇子と折り紙の融合からできた産物じゃあないでしょうか。結論として、私の集合的無意識の中の日本とメヒコのアイデンティティーを求める事によって美術として表現されたのだろうと思っています


萬木 昇(Yurugi, Noboru

1958 年 京都市に生まれる。

1981 年 京都民主美術研究所。京都 AALA( アジア アフリカ ラテンアメリカ)

     連帯委員会 美術班に参加する。

1983 年 メキシコへ短期留学。

1984 年 第 2 回目のメキシコ、民衆版画工房(TGP)に参加。

1991 年 絵本「トウモロコシの人々と小麦の人々」

    (500 年の解放と自由委員会の公募)、最優秀賞受賞

1997 年 壁画と公衆美術の国際週間で野外彫刻 2 点出品「揺り籠」 

     鉄製2mメキシコ工科大学(IPN)ホール

1998 年 個展(京都市堺町画廊)を行う。テーマは「生と死」奉納

2000 年 個展(ドゥランゴ現代美術館)を行う。ドゥランゴ市

2000 年 国際紙造形展に出品する。(サン ロレンソ修道院跡)メキシコ市

2007 年 第 22 回宇部野外現代彫刻展入選する。

2013 年 2 人展(トラスカラ美術館)を行う。テーマ「東洋の展望」

2014 年 個展(バイロン美術館)グァナファト市で行う。テーマ「メキシコの象徴」

2017 年 個展(日墨協会文化会館)メキシコ市で行う。テーマ「幾何変貌」


*イッコサについては YOUTUBE で NOBORU YURUGI で検索してもらえればストップモーションの動画を見ることができます