稲葉真以
秋野不矩と言えば雄大なインドの風景画を思い浮かべる人が多いだろう。しかし私自身はむしろ人物画の方に不矩の真面目が発揮されていたと思っている。特に初期作品に人間に対する不矩の関心が明確に現れていて興味深い。
21 歳で西山翠嶂の青甲社に入塾した不矩が、初めての塾展に出品したのが市電で居眠りする丁稚を描いた50号ほどの<休日>(1930) であった。不矩はこの作品について、粗い黄系統の岩絵の具を思い切り使って丁稚の着物を多彩に描くのは楽しかったと回想している。また同年、在日朝鮮人の母子を描いた<野を帰る>(1930) で第11 回帝展に初入選を果たす。不矩曰く「背中の子供が後ろにひっくり返って寝ている、くたびれたようなのを描いたんです。そういう人が私は好きだったんです」。翌年には野良犬を描いた作品を出品するが惜しくも落選。その後は入選可能な作品を制作していくが、本人はこの時に方向性を変えずにいれば自身の作品世界がもっと違ったものになったのではないかと語っている。
敗戦の翌年「人物画はやはり時代に立脚したヒューマニティを持って初めて本格的だと思う」と人物画に対する思いを語った不矩は、自身の子供たちを中心に多くの人物画を描いていくが、二度の火事で多くが失われてしまい、これらの作品は残念ながら白黒の図版でしか確認できない。一昨年、1950 年頃に描かれた作品が発見され秋野不矩美術館に寄贈された。写真でしか確認できていないが、新しい人物描写に取り組む姿勢が見受けられる。
人間に対する不矩のまなざしは、インドに出会ってからも継続して注がれていった。「インドの計り知れない大地、信仰、これを享受する人々の複雑な深い生の悲しみはいつも私を深く打ちました。それはえぐる様な悲痛の底に見る美しさであり、常にみたされぬ中の人間の、動物たちの生きるしたたかさであり又やさしさでありました」。祖母不矩が人間の中に何を見、何を描こうしていたのか。秋野不矩の人物画についてこれからも探っていきたい。
稲葉真以(いなばまい)
現在、韓国美術研究家で、ソウルの大学で先生されています。
「美術運動」誌の執筆者で、秋野不矩のお孫さんです。
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