稲葉真以(いなばまい) 光云大学副教授
2022 年8 月4 日、韓国の植民地歴史博物館で6 月抗争35周年記念招待展「李相浩、歴史を解剖する」が開幕した。当博物館は1991 年に設立された民族問題研究所が運営しており、2018 年、民族問題研究所が龍山に移転した際に開館した。日本帝国による植民地支配の真実を明らかにし、その歴史を青少年がきちんと学ぶことのできる機関として設立され、2 階の常設展のほか1 階の企画展示室でも歴史に関連した様々な展示を行ってきた。
この度の李相浩展は当博物館での初めての美術展であり、李相浩が第13 回光州ビエンナーレ(2021) に出品した大作、<日帝を輝かせた人々>(2020) を寄贈したことがきっかけとなった。92名の親日派が描かれているこの作品は1年かけて完成させた労作だ。李相浩は植民地近代化論者たちの妄言を聞いて怒りにかられ、「親日清算」をテーマに描くことを決心した。
1949
年、日帝協力者たちの断罪を目的に反民族行為特別調査委員会が結成されたが翌年解体され、これによって親日派たちは歴史の審判を受けずに無罪放免となった。李相浩は絵によって審判を下すため、親日派を縄で縛り手錠をはめることによって歴史の罪人であることを示した。人物の横にはそれぞれの罪名が書かれている。この作品は内容的には非常に厳しいものの、韓国の伝統的な仏画の技法や様式や背景の黄土色で優雅さを感じさせるユニークな作品となった。
キューレーションを行うに当たっては上記の作品をメインに、作家李相浩の35 年間に及ぶ芸術活動の全体像を展望することを目的とした。今から約35 年前の1987 年8 月、朝鮮大学の4 年生だった李相浩は同志の全情浩とともに横6.5m、縦2.6m に及ぶコルゲクリム( 巨大な掛け絵)<白頭の裾野を染める統一のあけぼのよ> を描いた(警察に押収されて破棄されたため2005
年に復元)。金剛力士のように怒りに満ちた表情の労働者と農民が画面中央に描かれ、うす気味悪く笑う米国大統領レーガン、独裁者全斗煥や盧泰愚、民主化闘争、炭鉱労働者、水拷問を受ける活動家、米国のミサイルなどで画面が埋められている。絵の周囲を彩る花は春になると朝鮮半島の山々を薄紫色に染めるつつじで、民衆の統一への願いを象徴している。
このコルゲクリムを描いたかどで二人は当局に拘束された。国家保安法の鼓舞・賛美および利敵表現物制作容疑が適用されたのである。凄惨な拷問を受けた李相浩は心と体に深い傷を負い、特にトラウマは彼を長い間苦しめ精神病院への入退院を重ねることとなった。30年余りの歳月が過ぎ、私たちは民主化運動の傷だらけの殉教者でさえも簡単に英雄にしようと考えてしまい、そのような思いから李相浩の不屈の精神に注目する。しかし数多くの英雄譚によって、暴力と恐怖による深い傷痕は覆い隠されてしまいがちだ。しかし今必要なのは、苦難の歳月の中に積もり積もったそれらの傷にきちんと目を向けることではないかと考える。そして過去30
年間にわたって李相浩が経験してきた忍耐の時間を改めて心に刻むべきではないだろうか。英雄にするのではなく。
ところでこのコルゲクリムは、本展に展示されなかった。にもかかわらず言及した理由は、この作品が李相浩作家の価値観と、作品世界の方向を決定づけた分岐点になったと考えるからである。李相浩と全情浩の弁護を務めた韓勝憲弁護士は、彼らについて「負けても勝つ‘受難の勝者’」だと語ったことがある。李相浩は国家暴力に屈することなく、身体的・精神的苦痛に苛まれながらも創作活動を決してやめなかった。その執拗さと愚直さで民衆美術の道をひたすら歩み続けてきたのである。
軍部独裁反対、民主化成就、国家保安法廃止、5・18 民衆抗争、分断体制の解体、民族統一、米軍基地及び米帝国反対、日帝反対…李相浩が扱うテーマは1980 年代から現在まで一貫している。彼がこれらのテーマに執着する理由は、これらの問題が依然として現在進行中だからだ。李相浩は言う。「80
年代に私たちが主張したスローガンのうち、今もなお解決されていないものが多いのです」。ところが李相浩の作品について一部の人びとは「まだこんな絵(80年代的な古い民衆美術)
を描いているのか」と批判する。このような批判に対して李相浩は「私は80年代の意識を抜け出せないのではなく、80年代の意識を抱いて生きるんだ、抱いて歩むんだ」と反論する。また彼には民主化運動に身を投じて散っていった後輩たちに対する負い目があり、今もなお存在する課題を解決できなければ彼らに面目がないと考えている。これがまさに李相浩が1980年代の意識にとどまらざるを得ない、避けることのできない理由なのである。
李相浩にとって民衆美術は宿命であり使命だ。その目標を達成するために李相浩が必死で追求してきた課題は、筆を鋭い刃にして歴史を解剖することだ。李相浩は歴史の巨大な体を切り、問題となる患部を一つ一つ取り出し分析し、真実を丁寧に描いていく。だから李相浩の作品はまさに「歴史解剖図」なのだ。李相浩にとって歴史を解剖するということは、過去と現在の密接な因果関係を可視化する作業である。そのために彼は油画や版画、韓国画など多様な媒体を駆使し問題の本質を伝える。ここで重要なことは李相浩が描く韓国近現代史の問題が韓国特有の現象ではないという点である。つまり彼が作品によって告発し訴え続けてきた諸問題は、植民地時代の日本帝国主義、解放後の米帝国主義、そしてそれに抵抗する民族解放闘争と深く関わっているため、東アジア近現代史において普遍性を内包していると見ることが可能なのである。
展覧会では李相浩の仕事の全体像を展望するために代表作53 点を厳選し、11のセクションに分けて展示した。李相浩は3 ヶ月に及ぶ会期中ほぼ毎日会場に足を運び、観覧者、特に青少年に対して自らの作品について丁寧に解説し続け、そのために精神的に不安定な状態に陥ったりもしたが、彼の情熱は作品とともに見る者へ十分に伝わっただろう。
社会に対する怒りと慈愛、絶望と希望が入り混じった李相浩の作品は、現実に対する私たちの見方を革新し、思考の新たな地平を開く民衆美術そのものだ。歴史をみつめ解剖する作家李相浩。彼の「解剖」は無機質で技術的なそれではない。その刃( 筆) の切っ先に鋭い抵抗精神がみなぎっている。
稲葉真以(いなばまい) 光云大学副教授
1968 年京都出身。日韓近現代美術史研究。
京都教育大学教育学部彫塑専攻。国民大学一般大学
院美術理論専攻で修士・博士。光云大学副教授。
共訳著に『 韓国近代美術史―甲午改革から1950年代
まで』( 東京大学出版会、2019) がある。
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