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今日こそを、私達は、生きている

宮田 徹也(みやたてつや)

ギャラリートーク
ギャラリートーク

 韓国・唐津(タンジン)市内に、工場を改築した永津鉄鋼美術館が誕生した。経営は鉄鋼会社である。2022 年11 月10-30 日迄。オープン展には、韓国のアーティストが60 人程参加し、マグロの解体ショー、ロックバンド演奏などで盛り上がっている。日本在住のアーティストのグループ展も、招待された。
 2022 年2 月21-26 日、東京町田のギャルリー成瀬17 で、『国際アートフェスティバル展 木内万宇さんを追悼する会』が開催された。木内とはアーティストであり、かつて東京銀座にあったアーチスト・スペースの企画スタッフであると同時に、韓国との交流展の主宰者でもあった。木内の堪能な韓国語は、日本人離れしていた。

 2010 年から10 年ほど活躍したアーチスト・スペースには、それ以前から韓国との交流展を積極的に行ってきた多くのアーティスト達が、出入りしていた。八田悠吏那は木内追悼展を見て、その頃のことを思い出していたのであろう。同時に、韓国側から企画を依頼されたのであろう。7 月頃から、アーティストに声を掛けていた。
 10 月に顔合わせしたアーティストは、やはり木内と元々関わりがあり、木内追悼展に出品していた者が大半を占めた。上條陽子、魚田元生、河口聖といったベテランを筆頭に、アーチスト・スペース常連であった石原智是、山田陽子、河口の展覧会に参加している樋口慶子、田中一光。
 韓国側のキュレショナーであるキム・ヤチョンと小堀令子、伊藤理恵子、山口清治は以前からの知り合いだったらしい。私は企画ではないので詳細を知らない。韓国人でも日本に住んでいる朴明蘭、八田悠吏那も日本側である。私を含んだ総勢13 人は、韓国を目指した。
 パンデミックの最中、韓国側はビザの発行を求めた。領事館は込み合い、2 ヵ月先までweb でしかできない予約が一杯であった。しかし今回は殆ど高齢者であることが幸運であり、65 歳以上の優先が働いた。Web に慣れないアーティスト達は、乗り切ってビザを取った。
 最終的にはビザどころか総てが不要となったが、日本に帰国する際には、ワクチン証明かPCR が不可欠となった。その点、いつでも国際展に参加する意思を携えるアーティスト達は、それを予想して、予め着実にワクチンを打っていたのであった。ベテラン・アーティスト達は「いい勉強になった」と前向きである。
 この今日の状況を反映させようと、八田は展覧会タイトルを「今日-Tody-」とした。今日こそを大切にして生きる。制作する。発表して、制作者と鑑賞者、国の枠を取り払い、共生して共存する。この切実な八田の思いに対し、各アーティストは作品で応えたのであった。
 我々は11 月9日に羽田に集結し、インチョン空港を目指した。到着して驚いたのは、10 メートルはあろうかという横断幕で、ヤチョン達は私達を迎え入れてくれたのだ。貸し切りバスで空港から2 時間はあろうタンジンを目指す。オーナーのゲストハウス二軒、男女別に泊まる。男性側は夜中に宴会を始めたのはいうまでもない。

 翌日の朝、すっきりと起きた私達は、美術館で飾りつけを行った。三階総てが広大な展示空間であり、二階には一人用のゲスト・ルームが幾つもある。日本側の展示スペースは奥まった場所で、狭いといってもこれだけの広さの画廊は日本で見かけない。壁、床の感触もまた独得なので、展示の方向性が必要だ。
 日本に送られてきた同サイズのパネルにアーティスト達は作品を描き、飛行機に手持ちした。そのパネルを額に入れ、主に河口が配置した。抽象、具象、色合いを配慮に入れた河口の展示は流石に見事であった。年齢、性別、キャリアを超えた、「今日」の展覧会となったのであった。 11日のオープニングを経て、12 日には日本側のみのギャラリー・トークが行われた。韓国で行われることは稀であるので、少ない観衆はそれだけ興味津々である。各アーティストが自作を語り、私が質問して批評するという形式に、その場で決めた。最近抽象画が多い上條の《プ-チンの蛮行》の具象性が素晴らしい。
 河口の《Recollection 16055》は、鳥取の海がタンジンと繋がっていることを意味した。魚田の《Ecdysis and Rebirth》は、写真によってもオリジナルの立体は生きていることを示した。小堀の《Be》は、人間の暴力に負けない姿勢を一貫して表している。田中の《記憶》という抽象絵画は、生命の躍動に満ち溢れていた。 山口の《人》は、立体とは大きさに関係なく迫ってくることを教えてくれた。八田は《Harmony》2 枚により、その相反する世界が一つであることを見せた。樋口の《鹿と逢う》は抽象か具象か等どうでもいいことを伝えてくる。石原の《小比企(kobiki)》は、自然の普遍を訴える。
 伊藤の《ASPECT 21-3》という抽象性に、具体化を私は発見した。山田の《王妃の憂鬱》は日韓を繋いだ。朴の《Untitled》もまた、人生にとって描く意味を問うている。私達は永津鉄鋼株式会社に感謝し、このような展覧会が再び行われることを、深く思いながら、帰路についたのであった。


宮田 徹也(みやたてつや)

1970 年、横浜生まれ。日本近代美術思想史研究。

岡倉覚三、宮川寅雄、針生一郎を経て敗戦後日本前衛美術に到達。ダンス、舞踏、音楽、デザイン、映像、文学、哲学、批評、研究、思想を交錯しながら文化の【現在】を探る