· 

宮本和郎 寺院作品を巡る

松山しんさく

東郷寺 新書院
 2022 年4 月、府中市美術館で宮本和郎一門恒例の展覧会があった。その折、宮本宅から徒歩圏内にある東郷寺に納めた軸作品がお寺さんの好意で展示された。町内会も協力し町ぐるみで展覧会の案内を配布したという。日美事務局長の金田勉氏(彫刻家)から会報に紹介記事をと、依頼された。和郎作品を紹介するのは重責である。尊敬する作家の活動、特に下に掲げた襖絵の強い印象を伝えるには美術運動誌がよいと、私見的ではあるが筆を執った。

 本展の掛け軸は、ほかの「筍、若竹」を主題にした展覧会用作品の華やかさに対比すれば、地味な展示であった。これは観る場所が違うのではないか、軸はやはり床の間でみるべき作品ではないか、と思った。そこで和郎ご夫妻の案内で作品を納めた寺院を巡ることにした。

 床の間芸術は、定形、旧弊とみなされ、時代趨勢から都会の家では床の間は廃れている。我が家では仏壇になった。

 毎日新聞夕刊のコラム「田中優子の江戸からみると」(2022/11/16)は、茶室の文化についてこう書いている。(床の間の生け花)「花は盛りのみが良いわけではない。死に向かって枯れてゆく生にも美がある。晩秋の野が床の間に出現した。屋内が遠くの山野にひろがる。さらに掛け軸によって遠い時代に抜け出ていく。床の間とは、そこで時空が拡大する場所でもあった」。この時空が展覧会場では得られなかったのだ。コラムには芭蕉の「虚に居て実に遊ぶ」という俳句の極意も記されている。含蓄のある言葉だ。

 

東郷寺新書院 西床の間、撮影筆者、作品部分 を画像処理で強調、
東郷寺新書院 西床の間、撮影筆者、作品部分 を画像処理で強調、

そこで、和郎作品の寺院での佇まいを求めて日蓮宗聖将山、東郷寺を訪ねた。ここは法華経信者であった東郷平八郎の所有地で、没後、法華経道場を建立し身延山久遠寺の末寺とすることを承諾した、という経緯がある。ご住職はあいにく闘病中。代わって奥方の案内で書院の作品を拝観した。かつて美術運動誌のアトリエ訪問の折、和郎さんからご教示頂いた仏教の経文、「草木国土悉皆成仏」をお寺さんに問うてみた。数年前、宗教の国際会議の標語になったという。ネットで調べると、京都国際会館で開催された世界宗教者平和の祈りの集い」(2012/8/3)で、九条の会呼びかけ人のひとり、梅原猛氏の講演がyoutube にあった。「自然法則を抽象・定式化すれば人間は自然を支配できるというデカルト思想(西欧近代文明)の批判から50 年、考え抜いて到達したのがこの経文だった」という。人間(動物)だけでなく、草木・土までもすべてが成仏するという、人間と自然が共生する思想である。さすれば人間は平らかでなければならぬ、戦争は真っ平。和郎さんの筆はこの思いを作品の下地としている。日本人に浸み込んだ仏教思想の普遍性は、教徒でなくても共鳴できる。自然の原理だからである。
 まずは客殿の蓮の軸二幅対、「天と地」「動と静」をイメージする1985 年の作品。寺に納められたのち、二対の間に仏となった軍神「東郷平八郎」の姿絵が置かれた。象徴的ともいえる間である。宮本兄弟の長兄が東大史料編纂所に在籍中、この寺の古文書調査に当たり、その縁で寺と画家との交流が始まったらしい。

 

 病に伏していたご住職は展覧会場に来られて、車椅子から奇跡的に立ち上がったという。展示作品の竹林屏風に「竹たちの語り合い」を感じて、三幅対を所望された。客殿を飾る楽しみが快気力になるのか。この雑誌が配布される3月には完成しているやもしれない。新書院には東西に二つの床の間があり、季節により掛け替えているという。訪問したのは5 月。東はあやめとぼたん、西は尾瀬の雪解けに春を呼ぶ水芭蕉。厳しい風雪に屈曲しながら耐える低木の逞しい命も描かれている。

圓乗院本堂

 世田谷代田の真言宗豊山派圓乗院。奈良長谷寺の末寺で江戸時代中期からの歴史があるようだが、空襲で焼失。戦後、再建されたという。前庭に焼け残った高野槙が卍のごとく屹立している。環七のすぐ傍にありながら静かな御堂である。和郎塾の皆さんに紛れて訪れた日は、入梅の雨足が繁く傘を打ち、本堂前に並ぶ無数の蓮鉢が早くも蕾を孕んで揺れていた。先代の住職が蓮好きで、その七回忌に蓮の一生を本堂左右外陣の襖に描いてほしいと請われたという( 下図)。

 薄くらい本堂に入り、蓮の葉の明度に驚いた。白緑かと思ったら緑青ですと言う。緑青の蓮は清楚ながら鮮烈で、仏間に異彩を放つ波を起こしている。右翼から芽が立ち上がり、中央の内陣に向かって薄紅の花が咲き始める。左翼では栄華を過ぎ枯れゆく先に蓮の実が未来への転生を予感する。田中優子の言う「死に向かう生の美」である。無数の蓮には無数の人々が坐して往生するのであろうか。この作品を見て想起したのは、光琳の屏風である。比較する無礼を承知で言うなら、光琳図は構図が躍動的ではあるが、個々の燕子花の動きがない金地装飾画である。一方、和郎図には個々の蓮に生のダイナミスムがみてとれる。細い茎に支えられた葉の大きな蓮は、それ自体不安定で揺れやすく、空気の流れを敏感に感知する。全体のうねりは生から死までの煩悩の揺らぎだろうか。制作から30 年を経過して護摩の煙霧により変色したという。

 内陣の奥、ここにも裾に水芭蕉を散らした襖絵がある。仏壇のわきの狭い空間で写真を撮りにくい。

 両寺院を巡った印象は、お寺の希望する寺院装飾畫という伝統美術の枠のなかで、作家の創作過程に仏教思想と見事に統一された日本画の継承があることだった。冒頭の「草木国土…」がまさにそれである。