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画廊業へcome back

菱 千代子(ひし ちよこ)

学校のような長い廊下
学校のような長い廊下

 昨年秋に入間市の美蔵画廊よりオファーを頂き、1 か月ほど悩んだ末画廊の仕事に復帰することになった。以前私がやっていた、ギャラリー木蓮から50m ぐらいしか離れていない距離で、スーパーの2階にある画廊である。エレベーターやエスカレーターもついていて、買い物のついでに立ち寄る客も多い。今までは買い取りで収集した作品を精選し、季節ごとに展示替えしながら営業を続けてきている。ただし、この店頭展示で売れる作品はごくわずかで、莫大な家賃を捻出するのは至難の業であるとの事。そこでオーナーさんは多角経営に切り替えた。中古額の売買や貸出し、プロ相手の大口売買、オークションでの海外取引まで手掛けるようになった。

 以前経営していたギャラリー木蓮は開業当初は1日20人前後の人が見に来てくれたが、コロナ発生後は5、6 人の客しか訪れず、それも世間話をしに来る隣人ばかりとなり、赤字続きになってしまった。そんなわけで残念ながら廃業せざるをえなかった。その後日高の山手に引っ越ししたが、時々買い物がてら入間に週2、3 回出かけていた。その際立ち寄っていたのが美蔵画廊である。そこは文字通り作品満載の蔵であった。みなどこかの画廊やコレクターに買われた作品であるから、一定の表現技術や品格を持っている。ただ残念ながら飾り方が乱雑で、廊下などは3段掛けの所もあった。ある時期は廊下にはみ出した作品が平積みになっていて、歩くのにも引っかかるような状態であった。それを見かねた建物所有者が「うちは倉庫に貸した覚えはない。改良できないのであれば、撤退してもらう。」とまで言われたらしい。消防署からの定期点検もあり、オーナーも覚悟して作品の整理と部屋の改修にとりかかった。その結果4部屋が貸し画廊に生まれ変わり、利用者を待っている。
 最初に勤めた日本橋の杉本画廊はどうであったろうか。地下鉄茅場町駅から徒歩1分、証券取引所からもまぢかで、ビジネスの中心街という印象である。そんな特殊性からか、時として、景気のいい話もある。30歳ぐらいの青年が入ってきて、「これと、これと、これ!」と指さし、6点予約し、夕方5時には大金をそろえて再訪した。
 大量購入のわけをきくと、「マンションを買ったので、各部屋に好きな絵を飾りたいから。」と答えた。この時期ミニバブルの時代だったのだろうか。またイラクの難民の青年らしく、絵の具とキャンバスを持ち込み画廊の中で制作しながら資金稼ぎを試みた若い画家もいた。それを見に周りの会社から若いOL が集まってきたのも普段ない光景であった。そこで描かれたのは、一見明るい色調であったが、タイトルをみてびっくりした。半分以上が「自爆」となっていたからだ。その後2年ほどして訪れたのが、リーマンショックで、あの有名な山一證券をはじめとする金融界のドミノ倒産がつづき、画廊オーナーの持ちビルの店子も家賃が払えないとのことで出ていく、と通告された。この世界的大不況により、先が読めず、兜町のビルをたたむことになった。
 杉本画廊も、ギャラリー木蓮も開業以来一週も空けず営業してきたのが自慢であったが、時代の大きな波には勝てなかったのである。
 現在もコロナ禍に加え、ウクライナ戦争、物価高騰等厳しい時代になっているので画廊業も難局が続くことだろう。しかしNO ART NO LIFE !である。一時、絵を見ながら、日ごろの憂さを吐き出したり、好きな絵に慰められたりして、帰ってもらえたならと思うのである。