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沖縄の復帰50年・「美術運動」総力取材

2022年12月9日~15日 冬でも関東と10度違うあたたかな沖縄に見たものは?

沖縄戦跡国定公園の平和公園

「平和の礎」は沖縄戦でなくなった人々の名前が黒い石に刻んであった。

24 万以上の名があるらしい。私は円形の広場から見える真っ青な鎮魂の海の色を忘れることはないと思った。


沖縄県立博物館・美術館の一日

 博物館は大阪の高校生の修学旅行生で混んでいた。三山時代(戦国時代)を経て琉球王国、薩摩藩による琉球支配。琉球王国は独立の形を保ったが、明貿易の利権を薩摩が奪う。明治新政府は450年続いた琉球王国を解体、県に組み込む、その過程を「琉球処分」というらしい。太平洋戦争の戦地となり、24 万以上の犠牲者を出し、アメリカの統治下で沖縄島の15%が米軍基地とされる。我々の世代は「沖縄を返せ!」というスローガンでデモをした世代だが、日本返還後も米軍基地はそのままである。時の総理の佐藤栄作が、沖縄返還後の記者会見である記者を追い出し、それに怒る各社の記者がすべて退場したニュースを今でも思い出す。そういうアメリカに依存する体質は今も変わっていない。変わったのはジャーナリストたちの保守化だった。

 

 美術館では、復帰50年記念の回顧写真展「平良孝七展」が開催中だった。大量のフォトドキュメンタリーという事になる。一部展示に抗議があったとかで、美術館は展示をやめたらしいが、人権の問題だからそれは致し方ない。遅れて出されたカタログも買い求めた。沖縄の現代史が記録され、その風土と人間が写し取られていた。

 

 県の広報課にいたらしく、復帰の瞬間も複雑な目でとらえられている。外部からの目だけではない、屈折した視点があるように感じた。この写真家を今回発見してよかったと思う。沖縄の現代史を平良孝七の目をとおして追体験できたような気がした。


復帰50年コレクション展FUKKI
QUALIA「復帰」と沖縄美術
 これも見たのだが、それぞれ興味深い作品だったが、手元に作品画像もなく、館のパンフレットから小さなものしか紹介できないが、真喜志勉《大日本帝国復帰記念》1972 その典型かな?もちろん山城知佳子のビデオアートは最近の最も元気のよい、沖縄の現代美術といってよいだろう。米軍のフェンスの前で彼女がアイスクリームを食べてる大きな映像みたけど、良いわ!と感じた。沖縄のアイデンティティーをおおらかに歌っている。


首里城と玉陵など
 正殿火災の記憶はまだ生生しいが、再建の工程も一般観光客にも公開しながら作りなおしている。琉球王国の往時の繁栄を偲ばせる正殿他の復興を待つばかりだが、火災は現在も続く沖縄の苦しみを象徴していた。玉陵(たまうどぅん)と読み、王家の陵墓で、不思議な空間だった。首里城から少し降りたところにあった。仏教や神道とはまた違った死者を祭る廟なのだ。60柱以上の王族が眠っているらしい。


野辺古、埋め立て地を探して
 沖縄に高速道路が一本通っている。それを一気に北上して、そこを降りてから探して、たどり着いたのは、埋め立て反対の正面ゲートの方ではなく、反対側の漁村のテントと浜辺の立ち入り禁止のフェンスのある方だった。テントにいた当番の方と少々説明を受けた。「もう疲れたよ!」って本音を聞いたが、どことなく、反対する事への誇りも感じられた。「美術運動」の名刺も渡してきた。


夜の国際通りとネーネーズのライブ
S さんとO さんが予約してくれたネーネーズのライブ体験は素晴らしかった。夜の国際通りは確かに観光客のお土産を買う場所だった。ソウルの仁寺洞と似ていると思った。しかし沖縄ポップの代表格のネーネーズは、沖縄の民謡伝統を踏まえた、完成された演出のOkinawa ポップだった。メンバーは順次変わってきたが、人生の戒めや悲しさや、喜びや怒りがあった。あの高音のメロディーと調子は、興奮し、帰り際に同じ聴衆のおじさんと自然に握手したほどに、共感をする力をもらった。


今帰仁城跡・識名園
 琉球王国成立以前13世紀頃の城跡で、世界遺産・今帰仁(なきじん)と読む。「兵どもが夢のあと」という感慨にとらわれる石垣の多く残る城跡。識名園は琉球王家の別邸、中国皇帝の使者・冊封使の接待にも使われた。


佐喜眞美術館訪問
 「戦争と戦争の狭間で」という企画展開催中でした。館長の佐喜眞道夫さんにも挨拶してきました。
 丸木位里・丸木俊作の「沖縄戦の図」を沖縄に置くために作られた美術館。復帰50年で写真展もやっていました。ご一緒に写真撮りましょうという事で、この前で写真を撮りました。

 ちょうど韓国からの修学旅行生(ナヌムの家の近くの中学との事)が団体で来ていて、沖縄戦の絵の前で佐喜眞さんが説明されました。なかなかむつかしい内容をハングルに通訳する方も大変なようでしたが、とにかく、沢山の修学旅行生がここに来られるようです。
「美術運動」NO.149号を手渡してきました。佐喜眞さんからもいろいろな佐喜眞美術館関係の冊子いただきました。ケーテ・コルヴィッツのコレクション、上野誠コレクションなどあるようです。浜田知明の「初年兵哀歌」や彫刻なども企画展に出ていました。あわただしい中、対応していただいてありがとうございました。


壺屋やむちん通り
 沖縄では焼き物のことを「やむちん」と呼んだ、今やここは観光の通りになったが、かつて民芸運動の柳宗悦は沢山の民芸運動の職人や愛好者も含めて連れてきたと聞いている。壺屋をはじめ紅型や染織の着物などを大量に買い、それが日本民芸館の所蔵になって残った。あの戦争前のことだった。柳は「琉球の富」という文章の中で沖縄のすばらしさを、多面的に説いています。壺屋の職人の働くところを写真にも残しています。 やむちん通り入り口には那覇市立壺屋焼物博物館がある。そして現在も壺屋の作業場がここらに集中している。


沖縄の海と空には心が洗われました。(美術運動編集部)