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今、先人に語ってほしい ― 戦争・美術・未来―

 いなお氏の年来の素材、技法、大小様々な作品に満ちた好文画廊の空間。その二階のテーブルの周りに二重三重に並ぶ椅子には参加者の輪。司会進行はいなお氏でした。
 まず、リモート形式の参加となった古澤氏に、イラク戦争に題材をとった連作の制作動機をうかがう。「日々、何千何百何十何人と伝えられる死者数だが、それは単なる数字に還元できないはずのもの。素朴な方法ながら、その数だけ一人ずつ異なる人型で表して画にしようと思った」とのこと。並行して参加者に氏の作品集も回覧され、氏の発想と表現、そして思いの深さが伝わってきました。

 首藤氏は、自身の経歴とその原点となる少年時代の戦争体験について語られました。太平洋戦争開戦時は小学3 年生で終戦時は中学1 年生。氏が配布された資料に、当時のいくつかの少年向けの雑誌の切り抜きがありました。その一つは写真誌で、絵日記のように上に仲良く肩組む満面の笑顔の5人組男子の大きな写真、その下に短い作文が付いている。もう一つは文字ばかりのページで、ただ文頭に執筆者であるエライ肩書きの軍人の勲章だらけの上半身の小さな写真。レイアウトは対照的だが言ってることはどちらも同じで、子供のは「お国のために喜んで兵隊になり一命を捧げます」、エライ軍人のは「捧げなさい」なのでした。
 また、首藤氏自身「学校にきれいな国旗掲揚台が作られた時、僕も『良いのができて嬉しい』という内容の作文を書いた記憶がある。真にそう思った?いや、そう書くのが当たり前とされていたからではないか。」と語られた。あわせて配られた、画家・藤田嗣治の2 ページにわたる文(戦争画制作の心得に本人の決意を加えた檄文)も今見ると荒唐無稽だが、首藤氏は自分の作文と通ずる問題をもそこに見る、とのこと。 戦後は新たな価値観や文化、民衆の運動等と出会いながら、自分の表現を模索してきたことを語られ、「ユーモアを忘れず、若い人々の環境問題への関心の高まりと行動等にも共鳴しつつ、今後も創作していきたい」と結ばれました。

 次いで、参加者の一人、渡辺皓司氏は首藤氏と同い年で、群馬県の自宅で米戦闘機に射撃され九死に一生を得た戦争体験と、その後、現在に至る「命」をテーマとする自身の制作等について語られました。 もし芸術が、何よりも人の命の尊さを尋ねあい学びあう営みであるとするなら、戦争体験とはその直接・間接を問わず、深いところで制作の動機となしうるものだ、と感じることができた貴重な対談でした。


本誌編集部 大塩幸裕(おおしおゆきひろ)