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原子力サブカルチャー

日本美術会会員 村田訓吉(むらたくによし)

 2022 年年初1月4日 19 時20分、 核保有国でもある国連安保理常任理事国のアメリカやロシア、中国、フランス、イギリスの5カ国は「核戦争に勝者はいない」と、核兵器の使用と核の拡散防止に対して共同声明を発表した。大変喜ばしい声明のように聞こえた。しかしよく考えてみると、自分には核さえ使わなければ何をやっても良い、要するに凶器さえ使わなければなんでもありのプロレス宣言であり、戦争でも始めるのかと感じたのだ。
 案の定、喜びもつかの間、その後2 月15 日にウクライナ在アメリカ大使館がウクライナを撤退し、2月24日にはロシアによるウクライナ侵攻が始まる。当初アメリカはゼレンスキーに国外脱出案を提示していたが、ゼレンスキーはネットを通して「自分が必要なのは、弾薬であり、(脱出のための)足ではない(I need ammunition, not a ride!)」と拒否し続けて、やがてウクライナに西側諸国の支援が集まり、ロシアの侵攻を押し返すようになる。そして10 月ごろにはロシアは核攻撃の可能性をちらつかせ始めた。状況は一変した。ロシアだけでなく米国も核戦争の準備を始めだしたのだ。この状況下で原子力サブカルチャーでは、あの衝撃作「ザ・デイ・アフター」を取り上げなければと言う結論に至った。


「ザ・デイ・アフター」はソ連との冷戦時1983 年11月20日にABC テレビで放映された。推定1億23万人が視聴したといわれる。それまで核爆弾は第2 次世界大戦を終わらせた素晴らしい兵器だと言うアメリカの人々に、核の恐怖を心から知らしめた映画だ。始まってしばらくはアメリカの平和な家庭生活が映されることが、その後の状況を考えると不気味な印象を与える。各戦争の恐怖が政治的メッセージに繋がりこの映画の反響で各地でデモさえ起ったそうだ。ただ日本人から見ると、広島・長崎の被爆者の黒こげになった遺体や皮が焼け流れ落ちる被害者の列などと比べれば大変甘い表現だったと感じるが、テレビ局側の自主規制が原因であるとされている。
 日本では、1983 年11月26 日にNHK『土曜リポート』で一部が紹介され、その約9 か月後の1984 年10 月21 日にテレビ朝日『日曜洋画劇場』で当時としては異例の早期放映となり、歴代3 位の視聴率を出した。1985 年8 月11日には同枠で再放映される。
 映画は、1984 年に新宿ジョイシネマなどで公開された。この映画のパンフレットに手塚先生のコメントがあり、その最後に「今こそ日本版『ザ・デイ・アフター』をつくり、全世界に公開するための企画を真剣に考えるときだと思うのですが。」と書かれてあったそうだ。 そして自分は以前に「映画ひろしま」を見た後に初代「ゴジラ」を見ることを勧めたが、「ザ・デイ・アフター」の次は2020 年に作られた「ワンダーウーマン1984」を見ることを勧める。どちらの関係も、ある意味どこか概念的連作な意識を感じてしまう映画に自分としてはなっている。

 

 2023 年この冊子が出版されるときに、ロシアによるウクライナ侵攻が終わりを告げていればいいのですが、まさか核戦争が本当のことにならないように祈るだけです。今こそ日本で、全世界を舞台にした「ザ・デイ・アフター」を手塚治虫さんの意思も継いで作り上げるべき時だと強く感じます。
 日本国憲法前文には政府によって戦争の恐怖が2度とやってこないようにと書かれています。今まさに敵基地攻撃能力を持つ軍費拡大はアメリカの核戦争の準備のためであり、抑止力ではなく、実は敵対国を作りこちらから脅しをかけて喧嘩を売っていることになることもしっかり考えていきましょう!全世界「ザ・デイ・アフター」を作ることこそ核戦争抑止につながると信じています。本当の平和を願い、叫び続ける事に防衛費が使われればいいですね。原爆も原発も一字違い。原子力には変わりはありません。原発は自滅用核兵器であることも認識しておきましょう。


 「ザ・デイ・アフター」はユーチューブでオリジナル全編が英語ですが見ることができます。なかなか検索しても見つかりませんが、下のアドレスから見ることが2022 年12 月の時点ではできました。https://www.youtube.com/watch?v=Iyy9n8r16hs&t=3s


日本美術会会員 村田訓吉(むらたくによし)
1974年から何度か呼び方は変わりましたが、愛と平和と地球と子ども達の再生可能な未来と言うコンセプチュアルアート製作継続中。

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