藤本信介(ふじもとしんすけ)
1914年に朝鮮に渡り、1931年に朝鮮の土になるまで、朝鮮を誰よりも愛し続けた一人の日本人がいた。彼の名前は浅川巧。彼は植林関係の仕事のために朝鮮に渡ったが、その仕事の傍ら、朝鮮の民芸と美を愛し、生涯をその研究に費やした。特に白磁の研究は有名で、当時、生活の中で使用するただの器だった白磁を、芸術品して広めることにおいて、彼の努力が大きく影響している。
朝鮮人には日本語を学ぶ義務があった時代に、浅川巧は朝鮮人の心に近づくために、自ら朝鮮語を学び、朝鮮の伝統服を着て生活していた。彼が死んだときには、ここまで朝鮮人に愛された日本人はいなかっただろうと言われるほどに、多くの朝鮮人が涙を流した。浅川巧が朝鮮に渡ってもうすぐで100年が経過する。そんな浅川巧の生涯を描いた映画「道-白磁の人」が6月9日に公開される。浅川巧を誰よりも尊敬する私は、監督の通訳スタッフとしてこの映画に参加した。
数年前に、人に進められて偶然読んだ小説「白磁の人」。浅川巧の人生を死って、自分も巧のように生きたい、もっと韓国、韓国人を愛したいと思いと、感動して涙が溢れた。私は韓国が好きで、韓国映画が好きで映画の仕事をしようと韓国に乗り込んできたものの、当時、韓国に来た意味、目的を失いかけていた時期だった。しかし、巧に出会い、自分の目的は韓国、韓国人をとことん愛することだ!と気付くことができた。それがすべてに繋がっていくはずだと。 映画化に関しては、数年前に一度本格化し参加を熱望したが、スケジュールが合わずに参加することができなかった。しかたない、縁がなかったと諦めたが、運よく(?)撮影まではたどり着けずに、映画化の話は流れた模様。そして去年、再び撮影に向けて準備が本格化したときに、再び自分にもオファーが来て、ついに参加できることになった。尊敬する巧を映画として新たに作り上げる作業に関われるとは、どれだけ興奮したことか。これは運命だ!巧が私を呼んでくれたんだろうと思った。
浅川巧の墓は、今でも韓国のマンウリという共同墓地にあり、韓国人の手によって管理されている。クランクインの前に、監督、キャスト、スタッフと共に、撮影を見守って下さいとお願いしに行ったとき、初めて彼の墓に行った。今までは自分が巧を知っているだけだったが、直接、墓に触れることによって、巧にも自分の存在を知ってもらえた気がした。本の世界の人間だった巧が、初めて同じ現実世界に生きている、生きていたという近い存在として自分の中に入って来た。心強さを感じた。
撮影中、吉沢悠さん演じる浅川巧を見ながら、何度も、タイムスリップした感覚に襲われた。浅川巧の数少ない写真や様々な資料から想像した浅川巧が目の前にいる!!一ファンとして、同じものを愛する先輩後輩として、同じ空間にいられることで、彼のパワーが自然に自分に流れてきて、これからさらに頑張れる気がした。
日韓のスタッフが一つのものを作るときには、もちろんぶつかることもある。システムが違うので、お互いが考えていることも違い、誤解を招くこともあった。しかし、お互いを理解しようという心で、相手に近づくことによって、それらの問題はなくなり、お互いが目指す一つの最終地点へと辿りつけた。このような過程を浅川巧も間違いなく踏んだだろう。巧も最初からすべてがうまく進んだわけがない。相手を理解することによって、努力することによって、お互いが近づけるわけだから。浅川巧を作る映画で、私たちは浅川巧が歩んだ道を疑似体験した。
また、浅川巧を演じた吉沢悠さんと、巧と友情を築くチョンリムを演じたぺ・スビンさんは、撮影を通して大の親友になった。お互い英語ができるので、通訳は必要とせずに、休みの日に共通の趣味である釣りによく出かけていた。彼らの姿、そして今でも連絡を取り合っている日韓のスタッフたちの姿を見ると、これこそが巧が目指していた理想の姿であるのではないか。当時は、巧がどれだけ努力をしても、時代のせいで変えられない部分も多かったと思う。そのせいで心を痛めたこともさぞかし多かっただろう。「道-白磁の人」を通して、出会えた両国のキャスト、スタッフの姿を巧に是非とも見せたいと思った。
日本と韓国は近くて遠い国とよく言われるように、様々な問題がある。近くて近い国にするためには、国の努力よりも、個人の努力がさらに必要だと思われる。もっと交流し、相手を理解すること。それは人として一番基本であると共に、一番難しい部分であると思う。「道-白磁の人」を見て、浅川巧という人物がいたこと、理解しあうことは困難であるが重要であるということ、そういうことを感じてもらえたら嬉しい。
映画が完成したときに、監督、キャスト、スタッフと共に、完成の報告をするために再び墓参りに行ってきた。あなたの意思がこれから、数え切れないくらいに多くの人たちの手に渡りますよとみんなで伝えた。自分も巧に負けないくらいに、努力をしていきたいと思う。
当時に比べると考えられないくらいによくなった日韓関係。それを100%の関係にするためには、100年の時を経た巧の意思が、今私たちに必要なのではないだろうか。
藤本信介 (略歴)
1979年生まれ。金沢出身。韓国在住。
韓国での一年間の留学生活を経て、2003年より韓国映画界にて、演出部を中心に働く。
参加した作品に「美しき野獣」「悲夢」「ノーボーイズ・ノークライ」「彼岸島」
「マイウェイ-12,000キロの真実」などがある。
≪韓国映画スタッフブログ≫: http://blogs.yahoo.co.jp/shingenolza79
藤本信介 (略歴)
1979年生まれ。金沢出身。韓国在住。
韓国での一年間の留学生活を経て、2003年より韓国映画界にて、演出部を中心に働く。
参加した作品に「美しき野獣」「悲夢」「ノーボーイズ・ノークライ」「彼岸島」
「マイウェイ-12,000キロの真実」などがある。
≪韓国映画スタッフブログ≫: http://blogs.yahoo.co.jp/shingenolza79
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