ポロック展覧会を見る

ジャクソン・ポロック展

ポロック、いままで何点か日本の美術館で見たが、あまりにも現代美術の先駆者、悲劇のヒーローという先入観があり、小さな作品からでは共感しにくかったのも事実だ。その生涯といえば若い時からのアル中,最後は描けなくなり、愛人をまきこんだ飲酒運転で事故死。映画にもなっている、栄光と悲惨?その作品をまとめてみることはその神話崩しになる格好の機会だ。


3月のある雨の一日国立、竹橋にある近代美術館にはいる、ここの職員の制服の色のうすぐらさ、それに気を取られながらいつものように狭い、くすんだ色の壁、展示導入部をはいる。しかし最初に展示されていた小さな自画像~その世界に引き込まれる。うっ屈したものを秘めた色彩は何か意味を訴えるものとして働いていて、その粘り気のあるマテイエールは最初から完成度も高い。

色彩は気持ち良いものとして働く印象派、また楽天的に感情を伝えるフォーブ、ヨーロッパのものとは異質だ。その後、米国地方主義的、プロレタリア美術にも関係するベトインに師事、その影響にある作、また小さい彫刻も紹介されている。たらし込み、トリッピングの作がポロックの真骨頂、ポロックがポロックになった、いままでにない絵画空間つくった、歴史を塗り替えたといわれる。しかし見終わってみると、アンフォルメル、ミロなどの影響受ける前の1940年ころの作。具象的なものの残っている、アニミズムの影響うけた、へびがのたうちまわる、祭壇、ガイコツに人が集まっている作。グレコの影響ある作、人体を近くから見て、明暗を強調したもの、求心的な精神性を感じさせる作に一番感動する。このころの作は画集にのっていないことが多く貴重だ。世界と交歓するようなエネルギーも強いようだ。


トリッピング,その画面は隕石を受けた地表、あまりの熱に硬化する、透明化していった石。広がろうと思ってもそこにかたまっていくしかない地表。


アクションペインテイングといっても、同じプレイ続けていくと大きな画面を明暗、バルールを充実させる、という方法しかなかったのではないか。その後の墨絵で人間を描いたような作など又模索の時期のあと最後1年ほどはほとんど作品がないという。テヘランの美術館にあるという大作、最高傑作、という解説のプレートの文がうわずってみえる。この作も一つの部屋に仰々しく展示してあったが、他のトリッピングの作に比べてもうったえてくるものは希薄だ。作品の訴える現在というもの、見てショックをうけるだけならその緊張感も長くつづくものではないのか。それにしても戦後すぐひらかれていた?という印象もある読売アンパンに2点ポロック作品がきているという事実にもびっくりする。ポロック自体がピカソはもちろんカンデインスキー、ミロと影響をこなしていったのだから驚くことはないのですが、確かに難波田龍起の何作か、あと足で書いた作など、常設展にある作品はポロックがなければなかったろう。近代美術館2,3,4階駆け足でみようかと思ったがそれもやめてなにか酸っぱい思いにとらわれながら展覧会を後にする。


自分の話で悪いのですが、パソコンも重くなって?なかなか動かないが、部屋の中にも重いものが多い。これでは健康にも良くない?地震が怖い?たまっていた本、CDなど整理する。うちポロックの画集は持っていなかったと思っていたが古本屋で見つけた薄い日本での素描展、ポロックのカタログがあった。メトロポリタン美術館所蔵のもの。人、動物、仮面など、見てきたものをペンやクレヨンで、ささくれだったままの線で、からみとってしまおうとする力に感動する。素描家、彫刻家としてやっていった方がよかったかも。戦争という題の素描があったが、具象的な絵を作り続けて、ベトナム戦争辺りまでポロックも生き延びたらどの様な作ができたのだろう。


もう一冊、ポロックについての文章、整理していた本の中に見つける、それは大久保喬樹の文章、小沢書店刊、「クリニュ‐の天使」の中にあった。昔、非常に感動したが内容はすっかり忘れていた、少し書きうつしてみる。「ポロックは絵を描くために絵を描く類の人間ではない、絵は一つの手段にすぎない。生きるための、生きてその中で死に出会うための手段にすぎない。挑戦者のポロックが視覚に、表現に、芸術に挑戦した。そしてそれらの挑戦にことごとくポロックは敗れる。ポロックは全面に失敗し、その失敗の中で荒廃していったのだ。だがこの失敗の中にこそ最大の意味がある。アクション・ペインテイング創始者としての新時代の絵画の創始者、輝かしい伝説的ポロックの中にはポロックはいない。ポロックは自己表現としての絵画を極めた。自己という現実は、絶対的に自己を越えようとして遂に破産したポロックにあって初めて最大の表現を遂げた。これ以上進むことは不可能である、彼の絵画は多分、自己表現としての近代絵画の極点なのだ。絵画とは創造、表現ではなく他者の場、あるいは自己と他者の共存する場としての現実であるという認識が現代絵画というサイクルを生みだすかもしれない。それは革命である。


人間は世界に対して全く無力な存在で、それに対抗しようとする芸術さえも空しい。だが全く個人的な情念、経験にすぎないとしても、この恐怖におかれた人間の表情には、成功の中に発見しうる以上に深く、戦慄的な人間の本質があるのではないか、それこそギリギリの、それゆえに普遍的な人間の意味なのではないか、我々は拒絶し、死んでいくポロックの無言の表情の中に真のポロックを発見するだろう。」 (一部縮める)


この文章はポロックの晩年の作を超えるのではないか。大久保氏20代前半、「美術手帳」新人賞を取った文章、ポロック死んでまだ12年。若い時でしか書けない文とも思うが。そのころの美術手帳の水準は高かった?


また沖縄、宮古島にわたって10年近く?いる友達にあまっている本やCD送りますと、けんこうにやっています、ブログで水彩を公開していますとのこと。無事とのたよりがきました。しかし?むこうからも東京から持っていった本やCD?小さな箱を送ってきました。そこに偶然ポロックの映画、DVDがはいっていました。映画?というものをじっくり見るのも久しぶりです。この2000年制作の映像、良くできているというか、ポロックと妻の画家、出会ったころから追うのですが。最後の5年間、グッゲンハイム認められたに絶頂期以後を写さず,最後の事故をおこすあたり、体型も変わり、酒を浴びるほど飲むだけの中年の姿をリアルにおうのは一見識です、確かにこの時代このような夫婦がいたのではという、リークラズナーという妻との結びつきが制作を支えたのは事実。それを丁寧に描き、このような社会、現実、夫婦があったのではという気にさせる、またそこで描かれた、用意された作もほとんどポロックだ。もっともそれだからこそよくできているからこそ現実味ないものともいえる。これは映像というものの宿命なのでしょうが。見て損はないものですが。


実作を超える文章の存在?カタログ、映像の力、やはりポロックはひとつのものさしではかれない大きな美術家であったとつくづく思います。その作、生涯に共感するかしないかは別にして。

小野章男

ポロック展覧会を見る

                      小野章男            ポロック、いままで何点か日本の美術館で見たが、あまりにも現代美術の先駆者、悲劇のヒーローという先入観があり、小さな作品からでは共感しにくかったのも事実だ。その生涯といえば若い時からのアル中,最後は描けなくなり、愛人をまきこんだ飲酒運転で事故死。映画にもなっている、栄光と悲惨?その作品をまとめてみることはその神話崩しになる格好の機会だ。

3月のある雨の一日国立、竹橋にある近代美術館にはいる、ここの職員の制服の色のうすぐらさ、それに気を取られながらいつものように狭い、くすんだ色の壁、展示導入部をはいる。しかし最初に展示されていた小さな自画像~その世界に引き込まれる。うっ屈したものを秘めた色彩は何か意味を訴えるものとして働いていて、その粘り気のあるマテイエールは最初から完成度も高い。                            色彩は気持ち良いものとして働く印象派、また楽天的に感情を伝えるフォーブ、ヨーロッパのものとは異質だ。その後、米国地方主義的、プロレタリア美術にも関係するベトインに師事、その影響にある作、また小さい彫刻も紹介されている。たらし込み、トリッピングの作がポロックの真骨頂、ポロックがポロックになった、いままでにない絵画空間つくった、歴史を塗り替えたといわれる。しかし見終わってみると、アンフォルメル、ミロなどの影響受ける前の1940年ころの作。具象的なものの残っている、アニミズムの影響うけた、へびがのたうちまわる、祭壇、ガイコツに人が集まっている作。グレコの影響ある作、人体を近くから見て、明暗を強調したもの、求心的な精神性を感じさせる作に一番感動する。このころの作は画集にのっていないことが多く貴重だ。世界と交歓するようなエネルギーも強いようだ。

トリッピング,その画面は隕石を受けた地表、あまりの熱に硬化する、透明化していった石。広がろうと思ってもそこにかたまっていくしかない地表。

アクションペインテイングといっても、同じプレイ続けていくと大きな画面を明暗、バルールを充実させる、という方法しかなかったのではないか。その後の墨絵で人間を描いたような作など又模索の時期のあと最後1年ほどはほとんど作品がないという。テヘランの美術館にあるという大作、最高傑作、という解説のプレートの文がうわずってみえる。この作も一つの部屋に仰々しく展示してあったが、他のトリッピングの作に比べてもうったえてくるものは希薄だ。作品の訴える現在というもの、見てショックをうけるだけならその緊張感も長くつづくものではないのか。それにしても戦後すぐひらかれていた?という印象もある読売アンパンに2点ポロック作品がきているという事実にもびっくりする。ポロック自体がピカソはもちろんカンデインスキー、ミロと影響をこなしていったのだから驚くことはないのですが、確かに難波田龍起の何作か、あと足で書いた作など、常設展にある作品はポロックがなければなかったろう。近代美術館2,3,4階駆け足でみようかと思ったがそれもやめてなにか酸っぱい思いにとらわれながら展覧会を後にする。

自分の話で悪いのですが、パソコンも重くなって?なかなか動かないが、部屋の中にも重いものが多い。これでは健康にも良くない?地震が怖い?たまっていた本、CDなど整理する。うちポロックの画集は持っていなかったと思っていたが古本屋で見つけた薄い日本での素描展、ポロックのカタログがあった。メトロポリタン美術館所蔵のもの。人、動物、仮面など、見てきたものをペンやクレヨンで、ささくれだったままの線で、からみとってしまおうとする力に感動する。素描家、彫刻家としてやっていった方がよかったかも。戦争という題の素描があったが、具象的な絵を作り続けて、ベトナム戦争辺りまでポロックも生き延びたらどの様な作ができたのだろう。

もう一冊、ポロックについての文章、整理していた本の中に見つける、それは大久保喬樹の文章、小沢書店刊、「クリニュ‐の天使」の中にあった。昔、非常に感動したが内容はすっかり忘れていた、少し書きうつしてみる。「ポロックは絵を描くために絵を描く類の人間ではない、絵は一つの手段にすぎない。生きるための、生きてその中で死に出会うための手段にすぎない。挑戦者のポロックが視覚に、表現に、芸術に挑戦した。そしてそれらの挑戦にことごとくポロックは敗れる。ポロックは全面に失敗し、その失敗の中で荒廃していったのだ。だがこの失敗の中にこそ最大の意味がある。アクション・ペインテイング創始者としての新時代の絵画の創始者、輝かしい伝説的ポロックの中にはポロックはいない。ポロックは自己表現としての絵画を極めた。自己という現実は、絶対的に自己を越えようとして遂に破産したポロックにあって初めて最大の表現を遂げた。これ以上進むことは不可能である、彼の絵画は多分、自己表現としての近代絵画の極点なのだ。絵画とは創造、表現ではなく他者の場、あるいは自己と他者の共存する場としての現実であるという認識が現代絵画というサイクルを生みだすかもしれない。それは革命である。

人間は世界に対して全く無力な存在で、それに対抗しようとする芸術さえも空しい。だが全く個人的な情念、経験にすぎないとしても、この恐怖におかれた人間の表情には、成功の中に発見しうる以上に深く、戦慄的な人間の本質があるのではないか、それこそギリギリの、それゆえに普遍的な人間の意味なのではないか、我々は拒絶し、死んでいくポロックの無言の表情の中に真のポロックを発見するだろう。」 (一部縮める)

この文章はポロックの晩年の作を超えるのではないか。大久保氏20代前半、「美術手帳」新人賞を取った文章、ポロック死んでまだ12年。若い時でしか書けない文とも思うが。そのころの美術手帳の水準は高かった?

また沖縄、宮古島にわたって10年近く?いる友達にあまっている本やCD送りますと、けんこうにやっています、ブログで水彩を公開していますとのこと。無事とのたよりがきました。しかし?むこうからも東京から持っていった本やCD?小さな箱を送ってきました。そこに偶然ポロックの映画、DVDがはいっていました。映画?というものをじっくり見るのも久しぶりです。この2000年制作の映像、良くできているというか、ポロックと妻の画家、出会ったころから追うのですが。最後の5年間、グッゲンハイム認められたに絶頂期以後を写さず,最後の事故をおこすあたり、体型も変わり、酒を浴びるほど飲むだけの中年の姿をリアルにおうのは一見識です、確かにこの時代このような夫婦がいたのではという、リークラズナーという妻との結びつきが制作を支えたのは事実。それを丁寧に描き、このような社会、現実、夫婦があったのではという気にさせる、またそこで描かれた、用意された作もほとんどポロックだ。もっともそれだからこそよくできているからこそ現実味ないものともいえる。これは映像というものの宿命なのでしょうが。見て損はないものですが。

実作を超える文章の存在?カタログ、映像の力、やはりポロックはひとつのものさしではかれない大きな美術家であったとつくづく思います。その作、生涯に共感するかしないかは別にして。