3.11以降の作品制作を振り返る

ラブ発電
ラブ発電

「軍靴の足音が聞こえても、戦争に加担、巻き込まれない、利用されず、時代の方向を変える画家になりたい」とずっと思ってきました。イラク戦争中のバクダットで美術教育を続けるカーシム・サブティ氏の生き方をみて、自分ならどう生きるかと自問自答してきました。今日本は原子力戦争のまっただ中。核燃料サイクルを維持して日本全体を核兵器工場にして国民層奴隷化が進んでいます。私たちは無抵抗で未来といのちを奪われるか、抵抗して流れを変えるかの瀬戸際に居ます。私が考えるこの戦争に負けない画家のあり方は以下です。

反核・反原発・反被ばく表現の規制があるギリギリまで描く。もし国家が破綻したり戦争に突入しても、変わらず応援してくれる人の輪を作っておく。仲間を大切に!信用出来る情報・信頼出来る食料を手に入れられるネットワークを死守。海外での活動を広げて、日本の状況を常に発信する。

 

私は3.11の2日後に東京から関西に放射能汚染を恐れて子どもを連れて移住をしました。いろんな方々にサポートしていただいて、ドイツ、沖縄や福島、東京、福井や北海道、沖縄、四国のデモや集会、原発の前や取材や映画撮影など様々な所で絵を描くことができました。避難生活と子育てとアート活動を両立させていただいています。“ありがたい”ってほんとうに“有り難い”。

 

反省点はじっくりと落ち着いてアート活動に専念出来なかった事です。取材や講演に会わせてその場でギュッと短時間集中して絵を描くという旅芸人的な芸風でした。

 

震災以降、まずは2011年の4月に新宿で経営していたギャラリーネコノマを閉め、最後の展覧会を行いました。お世話になったアーティストたちに参加してもらい、絵の売り上げ30万円ほどを南相馬と太陽光で避難者の為のお風呂を作るぽかぽかプロジェクトにカンパしました。その後赤十字は義援金は原発メーカーの家電セットを買う事に使われるとのことなので、被災地に直接届けることが出来てよかったです。

 

2011年の12月には沖縄の長谷寺ギャラリーで「基地も原発もいらない!」沖縄WAPA展を村田訓吉さんやノブキソウイチロウさんたちと、開催しました。この長谷寺というのは沖縄の戦争犠牲者の為に東京に住んでいた住職が単身沖縄に乗り込んで建てたお寺です。ガマの中に日本兵が居なかった事で、住民全員が生き延びたという糸満市の潮平という地域にあります。平和ということの意味を感じる展覧会でした。滞在中、沖縄の温かい日差しの中、ハイビスカス観音という絵を描きました。ハイビスカスの花びらと二人の子どもを抱える母子像を重ねたものです。花や自然と一部リンクするいのちの表現をしたいなぁと表現のイメージが変わってきたように思います。

 

2011年のクリスマスには、35歳の誕生日に大阪日本橋の討論バー“シティズン”で絵を描きました。髪の毛が海となった母が黒人や白菜や東洋人の子どもらを抱きしめるという絵です。友人たちや家族が誕生日を祝ってくれている、そんな日に絵を描けるそんな喜びが、イメージを具現化する力をくれました。

 

2012年の2月に、ドイツから日本に撮影に来た映画クルー、エネルギー政策担当のドイツ連邦議員のドロテー・メンツナー氏と、ラルフ・T・ニーメイヤー監督の撮影隊を、世界で最も原発が密集している福井・若狭の原発群に案内しました。ちょうど若狭の原発が止まる前日、2月19日でした。もんじゅを目の前にした砂浜で、着物を着て「原発を0にしたい」という思いでインタビューを受けた後、母子像を描きました。「こんな事故を起こして海を大量に汚してなおかつ原発からなかなか脱却出来ないマフィアに巣食わられた国の人間としてせめてものオトシマエをつけたるわ」という思いで描きました。砂浜で犬がじっと私の絵を見てくれました。何か感じるものがあったのかなぁ。

 

2012年の3月11日の一周年の日には神戸市で原発ゼロを作ろうという“原発ゼロの木”を、神戸市で20代30代が中心となった「原発も核兵器もゼロ」を目指すゼロコネットの皆さんとで描きました。参加者の方々に葉っぱの形に切った布に原発0になった未来へのメッセージを書いてもらい、それを木にくくりつけるというものです。木の幹に母子像を描きました。生きとし生けるものへの愛が、原発を無くすのだと信じて、みんなの思いをぶつけました。こう言う時私は巫女になった気がするのです。人々の意識を身体というパイプを経て、具現化する。明治以降に強調された“自己表現”“自分探し”ではなく、今日描くべき絵は何かもっと個人の枠を超えた大きいものであるような気がするのです。そこで描いた「ゼロの木」は国立新美術館で行われたアンデパンダン展で首藤教之さんと村田訓吉さんと一緒に展示し、8月には広島・長崎の被爆者の方と合同で行われた原爆展でもゼロの木を出展させていただきました。

 

2012年の11月にはドイツを訪ね、核最終処分場、原発廃炉の現場、風車、市民電力会社などを視察してきました。「廃炉には少なくとも70年・一基あたり660億円かかる」「地震の無いドイツですら2200億円かけて作った核処分場に塩害がおき浸水してしまい、計画を一から見直し」と知り、人類はなんでこんな厄介な原発を生み出してしまったのか愕然としました。元々脱原発運動をしていたディーター氏が建てた風車に脱原発マークのイラストが描いてあるのがかわいかった。いつか私も仲間と共同運営する風車に絵を描きたいな、という目標が出来ました。ドイツでは“世界中の生きとし生けるものがまるで大きな生き物みたいに、核と闘っていく”という絵を描きました。

 

震災以降住み慣れた東京を離れるのは本当に辛かったけれど、差別構造を知り、ドイツや日本で草の根で動いている人たちの躍動感を肌身で感じました。芸術家、教師、牧師、住職、お母さん、公務員、いろんな人たちが、測定所をオープンしたり、新しい政党を立ち上げたり、映画を撮影したりいろんなアクションを起こしています。先人たちが植えてくれた草の根を大きな木、ゼロの木として、育てていく時期だと思います。「言霊」という言葉があります。悪い言葉には社会を悪くする力があり、いい言葉には良くする力がある。絵にも霊が宿っていると信じています。人々に具体的ないい未来像を共有してもらって、99%の人々が安心して生きていけるための絵霊をこめた暖かい絵を描いていきたい。

増山麗奈 (ますやまれな)

画家・ジャーナリスト。「幼なじみのバッキー」(月曜社)で岡本太郎現代芸術賞入選。

ドイツに脱原発を学ぶ映画「ママの約束」製作中。

新作絵本「げんばくとげんぱつ」を販売中。