あいちトリエンナーレ2013年

名和晃平 フォーム 2013
名和晃平 フォーム 2013

揺れる大地―われわれはどこに立っているのか:
場所、記憶、そして復活 から

 

二回目となるあいちトリエンナーレは「揺れる大地―われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活」をコンセプトとして、8・10~10・27日、愛知県芸術文化センター、名古屋市美術館、名古屋市長者町、納屋橋、東岡崎、康生、松本町などで、国内外122組のアーテイストが参加、先端的な現代美術、パフォーミングアーツ、オペラなどのプログラムを展開した。

特筆すべきは「揺れる大地―われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活」であり、東日本大震災を自ら経験した五十嵐太郎(東北大学)芸術監督の「被災地の復興に関わりながら考えていたことがそのまま今回のコンセプトとなっている。3・11後、日本で始めて開催される本格的な都市型の国際展として、東日本のことをテーマから外すことは考えられない」「にもかかわらずあいちトリエンナーレ2013は東日本大震災トリエンナーレではない」「揺れる大地」という言葉は特定の事象だけに還元されるのではなく、国際展として世界と共振するようなものであるべきだ。

 

すなわち、当たり前だと思っていたようなことが危機的になり、アイデンテイテイが揺らぐような状況がそれぞれの国や地域に起きている、キュレーター・チームの討議では基本的なコンセプトに照らし合わせながら、まずはそうした枠組みにおいて作家が選ばれた。」「今回はアートを楽しむことに加え、アートを通じて社会を考えることも積極的に伝えていきたい」との強い思いが込められているという。

 

 会期中に、長田謙一(社会システム「芸術とその変容」研究代表、名古屋芸術大学)によるシンポジウムが開催され、北川フラム「越後妻有・瀬戸内」大森正夫「神戸から」五十嵐太郎「あいちトリエンナーレ」のデイレクターの話を聞くことが出来た。

 

そこでは、「21世紀を迎えるころから、全世界で、とりわけアジア諸地域で、大型国際美術展が、都市や農山漁村等を舞台に多数誕生し、21世紀の美術は、個々の作品、アート行為においてだけでなく、まさにこの展開形態において、主として美術館を核として展開してきた20世紀までの近代芸術の存在形態を大きく変えるものとなりつつある。

 

それは、閉じた殿堂としての美術館の中で自律的な世界として成立してきた芸術を、社会に諸営為のただなかに解き放ち、社会システム総体の中の経済、政治、文化等と複雑で多様な関係性を切り結びながら成立するものへと大きく変容させつつある。」「大型国際展は、芸術と社会の両義的かかわりの上に立ちながら、芸術の新たな存在の仕方を切り開く舞台となっているように見える。」と分析している。

 

現代アートのアーテイストはトリエンナーレ、ビエンナーレを重要な足場として活動しているようであり、行政が主催する芸術祭において、3・11に傍観者の存在が多いといわれる愛知でこうした芸術祭が行われた意味は大きい。

 

 トリエンナーレ、ビエンナーレは継続して行われなければ意味がないと言われてきた。

継続が、あまり考えられず開始されたあいちトリエンナーレ、それが重要な課題となっている。今回時代の情勢に応える企画があったとはいえ、芸術術作品は、すぐに生れるものではない、カタストロフは作家の中で熟成されて芸術作品となる年月が要る。

 

多くのアーテイストが3・11の被災地で対話を積み重ねながら作品制作に苦闘、奮闘しているという。住友文彦(アーツ前橋館長)キュレーターは、「被害者と加害者、当事者と非当事者を固定的な関係にしないで互いの意識を変えていく方法を考え、その壁をお互いを想像する力によって乗り越えようとする場をつくりあげるアーテイストの試みに触れることで、私はおおいに励まされ、考えさせられることがあった。

 

個人と集団の関係においておそらくいまだに集団の力が強い日本の社会がそのために失っているものは何なのか。これらの共同体の外側と内側をつなげる芸術の実践と、そのことを考えることの積み重ねは、この根の深い障害を乗り越えるための試みになっているだろう。」と述べている。これもあいちトリエンナーレ2013の成果の一つかもしれない。

塩沢哲弥(しおざわ てつや・画家 日本美術会会員)