発表することと自作について

2009年の冬にアートギャラリーこはく(見沼区)画廊主の推薦で〈創発〉プロジェクトに参加することとなり翌年の2010年9月の二年目(ウェブ上での立ち上げは2008から)からアートギャラリーこはくとアートプレイスK(北浦和)の二会場で参加し、2011年~2013年はアートプレイスKとオープンアトリエ(秩父・アトリエ古都)にて参加する。プロジェクトとしては2009年~2011年の3年間をひとつの区切り(括り)とし、その後の2012からは主にウェブ上のみの紹介という形になって今日に至っている。 

ところで埼玉はご承知のように主なる発表の場が東京であることから、その東京にあまりにも近すぎる為埼玉独特の括りと立ち位置が曖昧で全県的なものは旧態以前の“県展”でどちらかというと日展等の“公募団体展色”の強いものであり、ましてや“現代美術”までは括りきれない状態で今日に至っている。__とはいうものの一部の画廊や土蔵などの展示スペースでは静かに現代美術系の展覧会は開かれていた。 

 

そして、作家側も『地元では理解もされず、開いても数人の人が見に訪れるぐらいで遣り甲斐が生まれない』ことから主なる発表の場は銀座・京橋等の都心であってこのプロジェクトへの不参加も多い。

 

また、推薦画廊からは『団体系の作家にこのプロジェクトの話を進めてもややこしい人間関係が問題となり事がスムーズに進まないので概ね団体に所属しない作家の方に声をかけている』との旨の説明から参加を決意する。また、以前に参加した「毎日・現代日本美術展」で感じたことは明快な判断基準と規範があったということです。・・・その一方、こと、今日の多くの公募団体展で出される賞の“くれっこ”も“内的なこと”で旧態以前現象と言わざるをえないことを感じる。・・さらに、個展(空想ガレリア)に来て頂いた折に野見山暁治先生が話された『本来あるべき姿の展覧会が日本現代美術展ですね』の言葉が心に落ちた。

 

そのことは、先のさいたま美術展<創発>プロジェクトはアート・コーディネーターが作品を見続けてきた信頼できる美術家と画廊に声を掛け開かれたもので、選ぶこと・選ばれることと参加する美術家が同一線上にないという第一義的なことが公募団体展とはそもそも違っている。 

 

この様な問題は“団体(組織)であるかぎり矛盾を孕み続ける”というのが私の持論ですが、作家が団体(展)を離れてゆく理由のひとつに第三者的な眼・見地の欠落および平衡感覚不足による根本的な問題があると思うひとりです。 

 

次に、執筆依頼内容の「自作について」少し書きますと、表現はいわゆる一般的な油彩からスタートし、蜜蝋クレパス、コラージュ、混合技法(油彩と顔料による)、立体絵画、モノタイプ版画、紙にペン、紙に蝋&ボールペン、紙に鉛筆、とほぼ2~3年から4~5年おきに表現技法が変わるのは日本では稀有なことのようですが、こと国外のイギリスや北欧の作家にこの例をみる。絵が変化をする理由の一つに同じ技法で約100~150点あまり製作すると行き詰まり、自分で自分の絵のコピーを描き始めてしまいその結果その技法を放棄せざるをえなくなる。・・・そしてその段階でより自分に即した次の技法を探してまた新たに始めるということになります。

 

そんなこんなで4000~6000点あまりの作品数になるが、借りているアトリエもそのうち大家に返却しなければならず、自宅もこれ以上収蔵スペースもないので、・・ここ1~2年は個展の話がない限り作画をしないようにしております。・・・6月の個展と「さいたま美術展<創発>プロジェクト」参加の10月の北浦和・アートスペイスK個展および11月のオープンアトリエ展(in秩父展)の二会場の為の製作のみです。

 

また、今日現在まで400~500点あまり買い上げ頂いているので、“どなたかに無償で差し上げる”こともできず収納スペースの問題を考えるとこれ以上作品をむやみやたらと増さいないことにしています。 

 

今の製作テーマ・ビジョンは“余白”(像と余白との関係性)について思考しています。その余白とは描いた像(形)と余白との関係で動き出す画面上での“立ち登る”、“降り立つ”、“画面裏側に向かう”、“画面の裏側からこちらへ向かってくる”ことを捉えようと描いています。 

 

 

浜口賢一郎 

1949年埼玉県小鹿野町生まれ、画家、古美術・初期西欧古典版画等について執筆活動(ペンネーム:浜口賢一郎と本名での執筆)もする。 


参考文献:

■ギャラリ-2011 Vol.1 通巻309号「さいたま美術展〈創発〉プロジェクト」のゆくえ アート・コーディネーター 松永康 

■NPO法人コンテンポラリーアートジャパン発行「2009-2011身近な現代美術スポトがわかる さいたま美術展〈創発〉プロジェクト」2012