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美術教育の発展は国民的な課題 ~美術館の教育普及がめざすもの 

美術館の教育普及とは

府中市立小学校美術鑑賞教室~対話を通して子どもの鑑賞する力を育てる
府中市立小学校美術鑑賞教室~対話を通して子どもの鑑賞する力を育てる

私は、府中市美術館という開館12年になる東京・多摩地区にある公立美術館に勤務している。開設準備室の時代から数えると、もうすぐ15年になるが、ほぼ一貫して「教育普及」に関する業務を担当してきた。この「教育普及」という言葉は、美術館・博物館の業界用語であり、少し説明が必要かもしれない。別の言い方をすると、「美術館教育(ミュージアム・エデュケーション)」のことである。美術館教育と聞けば、作品を前に子どもに解説をするギャラリートークや、展示室で配布されている鑑賞用のワークシートのようなものを思い浮かべるかもしれない。それは、美術館教育の中核とも言える鑑賞教育に関わるものだ。

だが、今日の教育普及は、展示作品の鑑賞にとどまらない、多様な活動を意味するようになっている。いまや、どの美術館でも、各種の講座、ワークショップ、作家によるイベント、地域に出かけるアウトリーチの活動など多彩なメニューを用意するようになっている。府中市でも、毎週土曜日に開催する「ティーンズスタジオ」というワークショップ、作家の制作プロセスを市民に観てもらう「公開制作」など、年間を通した特色ある事業を展開している。府中市美術館の建設基本計画には、「美術館本来の使命である美術品の収集・保存・展示を中心とする。また、他の文化・社会教育施設と役割分担を図りながら、美術館ならではの教育普及活動を行うものとする」とある。教育普及を、展示に付随する活動としてではなく、独自の活動として位置づけているのだ。

 

もともと博物館法における意味で、美術館教育の前提となるのは、社会教育施設として教育的配慮のもとに資料を「展示」することにある。しかし、「教育普及」という言葉が指し示す活動は、「展示」にはとどまらない教育活動、つまり「展示」以外の教育活動「教育普及」と総称するのが通例である。美術館には、教育的な機能以外にも、文化的、あるいは娯楽的な機能もつよく求められる。美術館の大きな事業が、「展覧会」であることは広く共通の認識になっているが、「教育普及」は「展覧会」がカバーできない各種の教育的な活動を指す場合が多い。子どもや学校を対象とするもの、ギャラリートークやワークショップといった形態のものに限定して、「教育普及」事業と呼ぶことも多い。

 

美術館教育の広がり

日本の美術館界で、この「教育普及」が重要だという認識が共有されるようになったのは、1 9 90年代前半ではないだろうか。バブル経済のまだ余韻の残る時代、海外の事例を紹介するシンポジウムが開かれ、美術館教育に関する研究会が生まれ、『ミュージアムマガジンDOME』(1992年4月~2006年2月、日本文教出版から隔月で発行)のような専門誌も創刊された。その前から先駆的な教育普及活動を行う美術館がなかったわけではないが、1990年代に入ってようやく各館において教育普及の推進体制が整えられ始めたのだ。日本の多くの美術館が加盟する全国美術館会議に、教育普及ワーキンググループ(EWG、現在教育普及研究部会として継続している)が発足したのも1993年で、美術館の間での情報や経験の共有化が進むきっかけとなった。

 

この時期に変化がおきたのには、理由がある。一つは、国の教育行政のあり方が、学校教育中心から生涯学習中心の体系へと、移行しつつあったことである。博物館に生涯学習の中核施設という役割が期待され、学校との連携が強調されるようになった。学校でも、鑑賞教育や美術館活用の重要性が語られるようなり、2000年代の学習指導要領に実際に反映された。それらが美術館の外側からの変化の要因だとしたら、内側からの要因もあった。バブル崩壊後の公立美術館は財政状況が厳しくなり、自らの存在理由を問い直さざるを得なかったのである。そのとき日本の公立美術館は、新たな事業の方向性を「教育普及」という領域に見出したのだと考えられる。幸いこの動きは、それまでの権威主義的、ハコモノ的な美術館のあり方を見直す契機となった。人々が美術にふれあう場を積極的につくる努力を美術館の側が行い、ボランティア制度の導入など市民の関与や参加を促 進する傾向をも生み出したのである。

 

このような美術館をめぐる社会情勢の変化を受けて、2000年代に入ってから設立された美術館では、運営方針として教育普及活動を重視するところが多い。たとえば、2004年に開館した金沢21世紀美術館では、四つの美術館コンセプトの中に、「まちに活き、市民とつくる、参画交流型の美術館」や「こどもたちとともに、成長する美術館」を挙げるなど、教育普及重視の姿勢を鮮明にしている。「ミュージアム・クルーズ」という、市内小学校の4年生を学校毎に招待し、ボランティアと一緒にコレクション展を鑑賞するプログラムが、マスコミからも大きく注目された。学校と連携した教育活動は、いまや美術館の事業として不可欠であり、ボランティアもなくてはならない存在になったのだ。

教育普及は“逆風”の時代に

しかし、2000年代も後半になると、成長し続けてきた「教育普及」にも、かげりが出てきたように思えてならない。首都圏では、六本木をはじめ都心部に大型美術館の建設が進み、展覧会の集客競争はかつてなく激化した。地方でも、ビエンナーレのような最先端の現代美術が観られるアートプロジェクトが林立する。そのような状況下、公立美術館には、指定管理者制度導入のような“民営化”圧力も消えたわけではない。美術館は目に見える成果を数値で示さなければならない時代だ。もともと教育普及に関する事業とは、手間ばかりかかって効率の悪いもの。教育なるものが公立美術館の生命線であったとしても、短兵急に成果を生み出せるような活動でもない。2008年のリーマンショック以後でいえば、経済環境が厳しくなったことで、ますます展覧会中心の運営へと逆戻りしているのが実情だと思う。表向きは、教育普及への取り組みを強調しても、内部の実態は予算や人員の削減という、相反するような状況をしばしば見聞するようになってきた。

 

そのようなわけで目下、「教育普及」は“逆風”の時代だというのが、全般的な私の認識だ。もはや、教育普及とは何かということを自問自答せずして、美術館の担当者は、教育普及活動を進めることはできない。“ブーム”に乗って担当者をおき、パターン化された教育普及メニューを、各館でそろえればよい時代は終わった、ということであろう。少なくとも「教育普及」は、美術館にとって日常のありふれた光景になり、珍しいものではなくなった。そうなると、新しさに惹かれて参加する人は減り、むしろ人々の生活にある日常的な需要に即した展開がことさら求められるようになる。それでも人々の好奇心や学習意欲を喚起し続けるのが、教育普及担当者(エデュケーター)の役割である。何故にそれをするのかを考えなければならないが、地域社会において必要とされ、美術館にしかできない活動とは何か。それがこれからの教育普及事業にとって要になる、と私は思っている。

学校と連携した鑑賞教育の前進

とはいえ、この厳しい状況下でも、比較的着実な前進がみられるのが、学校と連携した鑑賞教育ではないかと思う。府中市でも開館翌年から、市立小中学校を対象に「美術鑑賞教室」を実施している。教育委員会主導で始めた事業ではあるが、学校側の意欲も年々高まり、学校連携の基盤になってきた。近年では、市内の図工・美術科教員と一緒に2年余りかけ、美術館の所蔵品やパブリックアートなど市内で観られる作品を使った授業の研究を行ってきた。一昨年暮れにその成果を、美術鑑賞教育府中エリア研究会編『東京都府中市美術鑑賞教育カリキュラム』という小冊子にまとめた。帝京科学大学の上野行一教授を中心とした研究チームとの連携により、文部科学省の助成金を得て実現したものだ。冊子は、研究課題である「対話による意味生成的な美術鑑賞教育の地域カリキュラム開発」の報告書でもあり、北九州市立美術館でも同じような取り組みが行われた。

 

研究プロジェクトの代表者である上野氏は、ニューヨーク近代美術館教育部でビジュアル・シンキング・ストラテジー(VTS)を実践していたアメリア・アレナス氏を日本に紹介した活動でも知られる。美術の鑑賞において、説明者の一方的な知識の伝達でなく、参加者がお互いにまなざしを共有し、語り合う鑑賞方法が有効であることを提唱し、日本の鑑賞教育のあり方に一石を投じる役割を果たしたのが、アレナス氏である。川村記念美術館はじめ巡回展にもなった、アメリア・アレナス著『なぜこれがアートなの?』(淡交社刊、1998年)は、エポック・メイキングな本だ。こうした理論は、2000年代に入って学校の図工・美術の教師に支持が広がった。もともと美術館での鑑賞教育は、作品をよく知って理解してもらうところに重点がおかれやすい。しかし、学校で行う鑑賞教育は、特定の作品を理解することよりも、自分から作品を観ることができるようになること、つまり子ども自身の鑑賞能力を育てることのほうが重要である。この発想の転換が、こうした「対話型」鑑賞を広める原動力となったのである。

 

府中市における鑑賞教育も、そうした美術教育の研究動向を参照しつつ、美術館の学芸員と学校の教員が、論議と実践を重ねながら、自分たちの方法論をつちかってきた。公立の小中学校では、図工・美術教育の存続が危ぶまれている現状もある。とくに中学校では授業時数の削減が深刻だ。中学校では現行の学習指導要領で、選択科目の美術がなくなり、週一回の必修科目の美術しか残されていない。教員の多忙化で、美術教育に情熱を傾ける先生も少なくなりつつあり、中学校美術科はいまや続くか消えるかの瀬戸際だ。だからこそ、子どもたちに美術を好きになってもらうため、美術館とも連携し、鑑賞教育に力を入れよう考える先生もいる。美術には、つくる楽しさだけでなく、観る喜びもあるということを、子どもたちにしっかり伝えなければならないからだ。府中市における鑑賞教育も、そうした美術教育の研究動向を参照しつつ、美術館の学芸員と学校の教員が、論議と実践を重ねながら、自分たちの方法論をつちかってきた。公立の小中学校では、図工・美術教育の存続が危ぶまれている現状もある。とくに中学校では授業時数の削減が深刻だ。中学校では現行の学習指導要領で、選択科目の美術がなくなり、週一回の必修科目の美術しか残されていない。教員の多忙化で、美術教育に情熱を傾ける先生も少なくなりつつあり、中学校美術科はいまや続くか消えるかの瀬戸際だ。だからこそ、子どもたちに美術を好きになってもらうため、美術館とも連携し、鑑賞教育に力を入れよう考える先生もいる。美術には、つくる楽しさだけでなく、観る喜びもあるということを、子どもたちにしっかり伝えなければならないからだ。

求められる美術教育のつながり

都心にある大型美術館に行って、展覧会に押し寄せる観客のにぎわい、各種公募展の盛況ぶりを見ていると、日本人の美術に対する愛好心には根づよいものがある、と思う。明治以降の日本が西洋に追いつくために美術制度の確立に力を入れてきたこと、敗戦後文化立国の理念のもとに初等・中等教育で図工・美術が教科として存続してきたことも、その背景にあるだろう。それ以上に、学校現場における教師が努力したことも、今日の美術の繁栄につながったことは言うまでもない。だが、今日の学校教育ではその前提が変わりつつある。進学や就職に役立たない図工・美術教育は不要だ、と考える子どもの保護者も少なくない。美術館の教育普及が問われているように、学校における美術教育もまた、その存在意義が問われているのである。都心にある大型美術館に行って、展覧会に押し寄せる観客のにぎわい、各種公募展の盛況ぶりを見ていると、日本人の美術に対する愛好心には根づよいものがある、と思う。明治以降の日本が西洋に追いつくために美術制度の確立に力を入れてきたこと、敗戦後文化立国の理念のもとに初等・中等教育で図工・美術が教科として存続してきたことも、その背景にあるだろう。それ以上に、学校現場における教師が努力したことも、今日の美術の繁栄につながったことは言うまでもない。だが、今日の学校教育ではその前提が変わりつつある。進学や就職に役立たない図工・美術教育は不要だ、と考える子どもの保護者も少なくない。美術館の教育普及が問われているように、学校における美術教育もまた、その存在意義が問われているのである。

 

美術館のある地域では、学校との連携も少しずつ発展してはいるかもしれないが、それは一部の地域にとどまっている。少子化ということも考えあわせると、美術教育の今後は決して楽観的にはなれない状況にある。だからこそ、いま美術館や学校などといった制度的な枠組みを超えて、美術教育を発展させるため、人々がつながっていくことが重要になっていると思う。いろいろな芸術のジャンルはあるが、とりわけ美術は日本人にとっても、ナショナル・アイデンティティに関わるものだ。だれもが美術を楽しむことができる条件を維持し、発展させていくことは、真に国民的な課題なのだ。いまや「教育普及」は、地域の人々と美術館にとっての意義にとどまらない、社会的な意義のあることを強調したい。美術教育という「美術運動」がいま求められていると言えるだろう。

 

武居利史(たけいとしふみ)


武居利史(たけいとしふみ)美術評論家/府中市美術館学芸員

 

1968年神奈川県藤沢市生まれ。東京都府中市在住。東京

芸術大学卒業。銀座の画廊勤務を経て、府中市美術館の学

芸員となる。美術評論家として個人で執筆活動もする。

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コメント: 2
  • #1

    武居利史 (月曜日, 18 11月 2013 11:14)

    執筆時に私の認識不足があったので、文中の用語について訂正しておきます。ニューヨーク近代美術館の鑑賞方法は、「ビジュアル・シンキング・ストラテジー(VTS)」よりも、「ビジュアル・シンキング・カリキュラム(VTC)」が正しいようです。VTSは、VTC開発に関わった同館教育部長だったフィリップ・ヤノワイン氏らが提唱している方法です。

  • #2

    akihiko (木曜日, 06 2月 2020 14:41)

    文の途中にダブった記述があり、繰り返しで冗長な部分があるので修正されてはどうでしょうか?内容はとても参考になりました。ありがとうございます。