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西良三郎氏の展覧会においての話し合い

小野章男

2013年11月2日~7日に葉山の画廊「シャザーン」で西良三郎氏の画集出版記念の展覧会があった。(やむえない事情により出版は遅れる)4日は「作品と人を語る催し」を企画し私は司会を務めた、都心から遠い中20名以上駆けつけていただいた。ほとんど独力でこの展覧会、作品集を進めた村永泰氏の努力は大きい、またこの近辺の人達に支えていただいた。ここではその催しで出た問い、煎じ詰めると作品と言葉、音楽と美術の関係、そして抽象の作品の表現するものとは何か。昔からの問題だが西氏の作品にからめて考えてみたい。

美術家、音楽家西氏については前号で村永氏、河合氏が触れ、私も132号「美術運動」、また新しい作品集にも執筆、参照していただければありがたい。繰り返すがその場での録音もなく、皆さんの言葉を再現するのが目的ではない。西氏の持っている問題を普遍的な言葉で語れるかが狙いである、このことをまず御了承願いたい。

 

作品について参加者の感想を聞く、新美猛氏は「西さんは日本ということは意識しなかったかもしれないが、色の帯のようなものが中心にある作、しっとりとした情緒を感じる、ドライでない。人間的にも広い視点で作品にあたっていた人だった。」

そしてこの葉山の地の住む古沢潤氏と村永氏の間に論争が?

 

古沢氏「僕は初めて西さんの作品をまとめて見る、この緑の勝った「沈める寺」という作は確かに空の広がりがあり風景といえる。むこうの120号の大きな作「森の歌」は狩野派の障壁画を思わせる、またぶどう棚にも見え、このような作では具象も抽象もないよね。西さんも具体的に見えるということは意識していたのでは。あの亡くなった年の10号の紫の作、長襦袢みたいなものが真ん中を占めていてちょっと色っぽい感じもあるね。」

 

村永氏「あ、画集に具象的にぶどう棚を描いた作もあります。しかし西さんは抽象と具象は違う、具象の方が創るのはむつかしいので抽象を描く、と言っていました。」

 

古沢氏「ただ作家の言うことも全部真実とうけとれないこともあるよね。」

 

村永氏「作品に何かのイメージあればその題名をつけたのでは、あまり題名には拘らないで個展の前に私達に題名をつけさせていましたよ」と反論?

 

司会者としては面白い問題が出たと思い、まず古沢氏が奔放にイメージを働かせたのに驚いたのですが、率直な反応は西作品の力を物語っているようで気持ちがよく、その後の何人かの会話中に古沢氏より、画面の中から「言葉」を消していくのが制作だから、という発言がありそれも興味深かった。イラクの死者の数を造形化、葉山の山が開発されるのに抗議し伐られた木のシリーズを描く。社会派の画家かもしれないが、作品とは高度に記号化することが可能、造形上でひとつの言葉、意味にしばられない「もの」にまで追及することが必要という意志に思えました。

 

西作品の喚起力は色彩の力が大きいが、その色は日常扱っていた「音楽」に負うのが大きいのは間違いなく、例えば美しいメロデイーで自然をイメージさせるのは音楽に恵まれた特権かもしれない、しかし狙ったのはそのような情緒でなくその作品の色彩には論理的、倫理的といっていいほどの力があり、定着すると画面は実在する力、磁場をもつ。その深さ。高橋巌氏の言葉に(特定の色や形をしたものが「ある」という存在の切実感を我々に感じさせる感覚的な働きを存在感覚と名付ける。)とある。日本で色の使い方はうまくても装飾的、矛盾のない平面性に終わってしまう作品、また自己表現の手段として楽天的に色を使う画家はいても色自体が「他者」になり存在感覚が問題になる作品は簡単には見つからない。

 

西洋ではゴッホの例をだすのは唐突であるが、ゴッホもワグナーの音色にひかれ(西氏と二期会「ワルキューレ」を聞いて感動したことを思い出す) 妹への手紙で「すべての色を高めると、再び静謐と調和にいたる、それはワグナーの音楽とどこか似ている」と書いた。現在ではゴッホには身近な人に作られた贋作、日記の記述通りに作られた作も多いことがはっきりしてきた。文章をそのまま絵に重ね、文学的な興奮を造形の感動と混合していたという事実。これも日本だけの滑稽な劇と笑っているわけにはいかない。

 

ただゴッホ自身も自分の書いた言葉によって作品を見直し、制作が進んだ場合もあったのではないか。言葉によって作品を見直す、しかし画面はそこから逃れる豊かなものも新しく出る自由さを持った「場」でもある。「全画集」を見ると野外で描かれた作が圧倒的に多い。大地、樹木、そして花や空。その豊穣な緑と茶や多くの色、そして渦の中から生まれるような線が絡まっていく画面からは過剰な言葉は消えていく。変貌する自然自体の顕れる場とでもいった最晩年の横長の作品は中国の古典的な絵に近づいているようで、その「存在感覚」はなにげない日常風景も神話の生まれる場とする、制作は言葉を内に秘め画面で調和を希求する劇となる。

 

これに対して西氏の場合は、制作は音と一体になった色を画面に実現させる劇といえるのではないか。(形は無意識から、自分の深い名づけえない場所から出てきたものもあるようだ、絵がうまくゆかないと音楽の現場の夢を見ることを書いた文章もある。)テーマが最初にあり、最初からある程度作品がイメージできる、そして他者との幸福な一致も望める古沢氏のような画家に比べ、西氏の色を定着する劇は他者の参加しにくい一回限りのプレイであったようだ。形の美、色の美とはその作者にとってなにか、何を西氏は追及したのか、それとも「絵」によって西氏が逆に追及されたのか。西氏の音と色の「劇」は日本には珍しい「思想」の格闘劇だったのではないか。理解されにくい不器用な問いであっても、それは日本のような思考、造形の脆弱な場所では貴重なものに思える。 

 

小野章男