第2回アンデパンダン展主宰者討論会── 21世紀型のアンデパンダン展を目指す討論の記録

第2回アンデパンダン展主宰者討論会

深瀬鋭一郎

 

 2013年12月1日15:30~17:30に、第2回アンデパンダン展主宰者討論会が、第4回東京アンデパンダン展会場(11月15日~12月1日、於江東区木場、EARTH+GALLERY〈アースプラスギャラリー〉)で開催された(注1)。継続的に開催されている7つのアンデパンダン展(日本、武蔵野、八王子、横浜開港、東京、日本橋、多摩)の主宰者(または代理者)が全員参加する旨、当初に回答を得ていたことが画期的であったが、当日は4先(日本、横浜開港、東京、日本橋)の参加で行われた。

 

 冒頭、日本美術会前代表 首藤教之氏、日本橋アンデパンダン展 実行委員長 村田邦吉氏、横浜開港アンデパンダン展 次期実行委員長 宮崎和之氏、東京アンデパンダン展 実行委員長 深瀬鋭一郎氏より、各アンデパンダン展の発足の経緯と現在に至る活動趣旨について、説明があった。

 

 首藤氏からは、日本アンデパンダン展について、第2次世界大戦(1939~4年)直後、戦時中の美術家の戦争協力とバーターでの画材配給、作品検閲等の統制がなくなった中で、真に自由かつ人間的な表現を探求することを趣旨に日本美術会が結成され、活動内容や会の適切な展覧会形式を検討した(注2)。その結果、万人に開かれた「アンデパンダン展形式」が採用され、鑑査(選考)通過のため下見会、勉強会、パーティ等への参加を暗黙に強制するなど権威主義化がみられる公募展の理不尽に我慢がならない人たちへの受け皿となってきたことが説明された。

 

 村田氏からは、アンデパンダン展はアートの世界の「自由民権運動」のようなもので、既存の公的・私的勢力による統制に対抗していくため不可欠の活動である。日本「橋」アンデパンダン展と名付けたのは、日本最初のアンデパンダン展である日本アンデパンダン展の名前のもじりではあるが、右傾化により表現の自由への制限が懸念される日本の世相の中で「自由民権」を一段と振興していく趣旨で活動しているとの説明があった。

 

 宮崎氏からは、横浜開港150周年記念の関連事業として、市民による展覧会イベントを開催することにつき前実行委員長の浅野康則氏へ相談があり、浅野氏が、硬直化した公募展「ハマ展」や、市民とかい離したイベントとなってしまっている「横浜トリエンナーレ」へのアンチテーゼとして、真に現代的かつ市民の自由参加による展示形式として、アンデパンダン展形式を選択した旨の説明があった。

 

 深瀬氏からは、東京アンデパンダン展は、第2次世界恐慌とも呼ばれる2008-9年の経済危機に際し、出展料さえ支払えば誰でも出展できるアンデパンダン展という展覧会形式を美術作家のサバイバル策として活用しようと呼び掛けつつ(「二十一世紀初頭のアンデパンダン展のための檄文」を公表)、「21世紀型のアンデパンダン展創造」を目指して実験的に立ち上げたもので、アンデパンダン展主宰者による討論会の開催もその一環であるとの解説があった。

 

続いて、各アンデパンダン展の実行委員会の在り方、母体となる美術会の有無に関して、まず首藤氏から、日本美術会は日本アンデパンダン展の母体だが、展覧会の実行委員会は日本美術会と別個の組織であり、日本美術会会員でなくても誰でも参加できる。会という組織が存在することによって、広報や郵便物の発送等の事務を多くの会員が分担して行うなどの組織力が役立ち、日本アンデパンダン展を66回連続開催していく原動力になったのではないか、との見解が示された。

 

 村田氏からは、日本橋アンデパンダンはまだ1回しか開催されておらず、近く第2回の開催を企画している段階。現時点では、美術会は設置しておらず、運営にあたっても実行委員会というほど組織化はしていないとの紹介があった。

宮崎氏からは、横浜開港アンデパンダン展は、横浜美術協会「ハマ展」へのアンチテーゼでもあるため、市民の手による運営を重視し、美術会は設置せず、協賛とりや広報など総勢約60名の大実行委員会を構成して運営しているとの説明があった。

 

 深瀬氏からは、東京アンデパンダン展は第1回からほぼ毎回開催会場が変更されているが、いずれもNPO的な運営を行っている民間最大級のギャラリーとの連

携開催であり、都度、柔軟に実験的プログラムで開催を行う見地趣旨から、会員組織は設立せず、深瀬氏を核に当該ギャラリーの運営メンバーと他の若干の協力

者が数名の小実行委員会を形成する形で運営しているとの説明があった。

 

 この点につき、聴衆より、アーティスト・イニシアティブとして、少人数の実行委員会で自主展示を行う長所・欠点の質問があった。質問に対して、複数のアンデパンダン展主宰者からは、会を設置すると社会的認知度や開催の安定性は高まる長所がある一方で権威主義化、硬直化、形骸化し易い欠点がある。少人数の実行委員会形式は、小回りが利き、柔軟性に優れ、硬直化を免れ易い長所がある一方で、実行委員の関心の移行や生活環境変化により熱意が薄れ易いことから、1~2回の開催には適するが長期安定的な開催を行い難い短所がある旨回答した。

 

 最大の論題は、各アンデパンダン展主宰者や参加者の高齢化問題と対応であった。この討論会の様な会合でも、主宰者や代表、事務局長の高齢化により、討論会の事前連絡や開催場所への集合が困難になりつつあり、当日欠席率が高まってしまうことをはじめ、高齢化が進むと益々世代交代が進みにくくなっていくといった悪循環について、討議者間でまず問題意識が共有され、各アンデパンダン展がどのような対応をとっているか、世代交代のため何が必要かの意見交換が行われた。

 

 首藤氏からは、日本アンデパンダン展自体の出展者は高齢者が多いが、日本美術会では別途、若手の育成を企図して、無鑑査、無褒賞、自由出品の「ART CONFUSE」という展覧会を、若手会員が知人に声をかける形で2010年から毎年主催しており、若手のみという気安さや、日本アンデパンダン展と比較した出展料の相対的な低さ(5,000円)もあり、毎回50~70名が参加しているとの説明があった。

 

 また、首藤氏個人が参加している展示として、サラリーマン、製造業者、元看護婦、塾の先生、主婦といったバンド仲間を核とする出展者30~50名が毎年大倉山記念館で開催している「Green Vibration展」(出展料3000円)があり、子供の部も設けられ、「気まぐれ Café」や「ピクニックパーティー」など興味深い趣向の催しが併催されていることが紹介された(美術運動No.129(2000年9月)参照)。

 

 村田氏からは、日本橋アンデパンダン展の参加者の年齢層は若手から高齢者まで幅広いことが説明された後、「なぜ定期開催の展示が硬直化、形骸化していくのかというと、それは上手、下手を競うからだ。どこから村上隆がでてくるのか判らないのだから、上手、下手ではなく、発想の豊かさを重要視して、若手が気軽に参加できる発表の場を数多く確保していくべき」との問題提起がなされた。

 

 宮崎氏からは、第3回横浜開港アンデパンダン展(2013年)は、市民が皆で自分達の町の展覧会を作る観点から、横浜赤レンガ倉庫1号館を本展会場としつつ、関内・みなとみらい21地区にある周辺8ギャラリー(県民共済ギャラリー、アートスペース イワブチ、画廊 楽、ギャラリーSHIMIZU、万国橋ギャラリー、みつい画廊、吉田町画廊、リーブギャラリー)を廻る回遊型の展覧会とし、高齢者が多いものの、参加者400名の年齢層は幅広いものとなったとの説明があった。

 

  深瀬氏によれば、東京アンデパンダン展は「21世紀型のアンデパンダン展」を標榜して、従来の「展覧アンデパンダン」のほか、出品作家の作品説明会「説明アンデパンダン」、パフォーマンス等の「上演アンデパンダン」、今回の主宰者討論会など「討論アンデパンダン」、それらの模様をユーチューブやユーストリームで配信する「電網アンデパンダン」、展示作品の人気投票兼入札オークションを行う「入札アンデパンダン」といった実験的取り組みを積み重ねていることもあってか、毎回参加者の大部分は20~30歳代とのことであった。

 

 深瀬氏からは、現代人が、勤務や勉強、趣味などで一日の大半をパソコン、タブレット、スマートフォン、テレビ等の画面を見て過ごす中で、リアリティ感がバーチャル空間に移行してしまっているというパラドクスの中で、アンデパンダン展主宰者にとっては、今後「いかに現代人がリアリティを感じられるようなアンデパンダン形態を工夫していけるかが課題」との問題意識が示された。

 

 この点につき、聴衆からは、「これまでネット上でコンセプチュアル・アート作品を発表してきたが、今年初めて日本アンデパンダン展に参加し、逆に、実物展の良さを見直した」、また「実物展とネット上の折り合いや連携関係をどうするか。如何にネットから実物へ、また逆に実物からネットへ、観客や出品者の円滑な移動・観覧を促していくかが鍵」との意見があった。

 

 これらの発言を皮切りに、聴衆も参加して、会場の都合が許すまで1時間に及ぶ白熱した討論が展開された。論点が多岐に亘ることもあり、本号の紙幅の関係上、割愛させていただくこととせざるを得ないのが残念である。本稿に議事録を起こした本編も含めて、極めて有益な意見交換・討論となり、アンデパンダン展主宰者、聴衆とも再開を約しての散会となった。次回の議論も楽しみでならない。

 

(注1)各アンデパンダン展の協調体制の構築(2010年12月)や、アンデパンダン展主宰者討論会の開催(2011年11月)経緯、その議論の模様については、美術

運動No.139(2012年3月)、No.140(2013年3月)を参照。

 

(注2)日本美術会の活動方針をめぐる発足当初の議論の過程では、例えば、会員であった松本竣介(1912-48年)が「会員作家の生活が成り立つよう支援する

活動を行うべき」旨の意見書を提出するなど多くの議論が展開され、その結果として、日本美術会付属研究所の設置や講座開設なども決定された。

筆者のプロフィール

1963年大阪生まれ。1998年深瀬記念視覚芸術保存基金を設置し、現代美術の収

蔵・貸出・展示を開始。ピカソ財団、国際交流基金、上海万博などの依頼で数多

くの展覧会・イベントを組成。2008年モンブラン国際文化賞を受賞。

 

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コメント: 1
  • #1

    杉村勇夫 (木曜日, 24 3月 2016 13:02)

    国立新美術館で開催中の日本アンデパンダン展を見ましたが、一方的な政治主張のプラカードを描いた絵やメッセージの紙を貼りつけた作品があって気が重くなりました。およそ美を求める姿勢も品も感じられず、入場料を払って損をしたように感じられました。こうならないように他のアンデパンダン展はできるだけ守ってほしいと思いました。