あいちトリエンナーレ2013への『中日新聞』酷評座談会について

あいちトリエンナーレ2013

五十嵐太郎

 

筆者は、昨年の8月10日から10月27日まで開催されたあいちトリエンナーレ2013の芸術監督をつとめた。「揺れる大地:われわれはどこに立っているのか~場所、記憶、そして復活」といういささか長いテーマは、2011年の東日本大震災を意識しつつも、それだけに限定せず、国内外のアーティストが参加できる枠組として構想したものである。前回のあいちトリエンナーレ2010のテーマは、「都市の祝祭」だったが、今回はアートを楽しむだけではなく、アートを通じて社会を考えることも体験してもらうことを狙った。また筆者が建築の専門であることから、建築家が美術館の空間を大々的に活用したり、まちなかの建築を再発見する機会としてオープンアーキテクチャーのイベントやガイドブックの制作を行った。こうした基本的なプロフィールは、公式ホームページでも確認できるので、是非参照されたい(http://aichitriennale.jp)。

 

トリエンナーレが無事に終了し、それなりの手応えを感じたが、その直後、地方紙『中日新聞』が覆面で酷評座談会を行ったことに驚かされた。別に100点ではないと思うし、これ以外の批判はとくに反論したこともなかったが、新聞が事実誤認や、居酒屋談義レベルの恣意的な印象を軸に罵倒するのは無視できない。筆者はtwitterの連投で反論を行い、その後、『中日新聞』に寄稿する機会が与えられる。ところが、新聞社から提出した原稿を変えて欲しいという返事があり、反論している相手から直せという要求はのめないと考え、結局、代理の執筆者を紹介して原稿を引き下げることにした。ただ、この文章は、反論を通じて、そもそもあいちトリエンナーレが何をめざしたのかを説明しているので、ここで再録したい。以下が、『中日新聞』ではボツになった原稿「あいちトリエンナーレへの酷評・座談会に反論する」の全文である。

 

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僕は35歳になるまで非常勤の職しかなく、最初に就職したのが中部大学でした。だから、愛知には心から感謝しており、芸術監督就任の記者会見で恩返しをしたいと述べました。そしてあいちトリエンナーレを通じ、この地がもつ潜在的な力を引きだすこと、また現在の勤務先=被災地とつなぐことが使命だと考えました。今回は震災以降を踏まえたテーマを掲げ、美術館を飛びだしてまちなかも会場に使い、来場者は62万人を超えました。しかし、『中日新聞』10月28日、29日に掲載された記者座談会の酷評を読んで驚きました。批判はかまいません。ただ、影響力をもつマスメディアが取材不足にもとづく事実誤認、恣意的な決めつけ、作家への非礼を行うことは許されません。問題点があまりに多いので、ここでは一部を指摘します。詳細は僕がネット上で展開した反論のまとめをご覧ください(http://togetter.com/li/583137)。これはすでに4万6千回以上も閲覧され、大きな話題を呼んでいます。また小崎哲哉さんも、パフォーミングアーツ部門に関して、10の事実誤認を指摘する「中日新聞5記者への公開質問状」を発表しました(http://www.realtokyo.co.jp)。

 

記者Eは、あいちトリエンナーレは「根本的な特色がない」と批判しました。しかし、世界で数百あると言われる国際展でオペラも含むのは、あいちだけです。パフォーミングアーツを大きな柱にしているのも、大きな特徴です。また今回は他にはない強いテーマ性を掲げました。それに対し、記者Bは「テーマに合わせて作品を集めた感は否めない」、記者Cは「ベケットありきの作品選定や作品依頼は本末転倒だ」と言います。明快なテーマから作品を選ぶことの何が悪いのでしょうか。また演劇・ダンスでは、テーマに関連してベケットを主軸とすることをあらかじめ何度も記者発表で説明しました。本末転倒の意味がわかりません。次に記者Eの発言「即席で大震災からイメージした直接的な作品が多かった」。まるで、いい加減な作品ばかりのようです。津波で家を流された岡崎出身の作家による写真。やはり津波で家を失った学芸員が気仙沼の被災状況を記録した展示。南相馬の仮設住宅地で被災者とともに二年間を過ごした作品の発展形。震災前から壊れたモノを拾って「修復」する仙台の作家。それぞれのライフワークになった重要な作品群を愚弄しています。出品した気仙沼のリアスアーク美術館の山内宏泰さんからは、「中日新聞記者が東日本大震災という出来事を全く理解していないのだと感じました。・・未来への危機意識を持ち合わせていないのだと感じました。・・被災地で生きている全ての者を「コケにされた」ような深い憤りを覚える内容でした」というコメントをいただきました。

 

最後に記者Eは「よそから持ってきた現代アートなるものを集中的に縦覧させて、地元を疲弊させるだけ」と、座談会を締め括りました。前回に続いてトリエンナーレの会場になった長者町は活性化し、新しく会場に加わった岡崎でもこれを契機にまちづくりの気運が盛りあがっています。本当に現場を見たのでしょうか。あいちトリエンナーレは東京でも大阪でもなされていない大型の国際展です。ましてや越後妻有や瀬戸内の芸術祭のモノマネでもない。記者Eは愛知のまちに魅力がないと卑下しますが、これは愛知の人材、まち、施設、歴史、教育環境の力が結集し、実現に導いた地元が誇るべき国際展です。

 

 

 

*なお、現在のtogetterの閲覧数は、約5万5千ビューに到達した。『中日新聞』の座談会は、togetterの中で原文を読むことができる。また『中日新聞』から完全匿名によるアンサー記事が一度掲載されたものの、それもひどい内容だったため、すぐに五十嵐、小崎ともに、それへの反論、あるいはさらなる説明の要求を行った。しかし、新聞社として、この問題はもう触れないようである。