「ドグラ・マグラ銅版画展 ~ドグラ・マグラの地脈 夢野久作とグリーンファーザー~」 見学記

ドグラ・マグラ銅版画展
ドグラ・マグラ銅版画展 

みなさんは、夢野久作(1889~1936年)という作家と、杉山龍丸(1919~1987年)という人物をご存知だろうか。夢野久作が1935年に刊行した『ドグラ・マグラ』は、現在、日本探偵小説の三大奇書の一つと呼ばれ、今なお、夏になると、書店では夏目漱石や芥川龍之介の文庫本と並んで平積みになって販売されている。杉山龍丸は久作の長男であり、戦後、私財を投じて個人の力でインドの砂漠緑化に尽力した。龍丸の戦後の体験を書いた「二つの悲しみ」は、現在、中学3年国語の教科書に掲載され、インド緑化については、中学1年道徳の副教材福岡県版に掲載されている。

久作の父、龍丸の祖父は、杉山茂丸(1964~1935年)という。明治から昭和初期にかけて活躍した、政財界の黒幕とも、右翼ともアジア主義者とも呼ばれ、政財界の表裏で斡旋奔走して在野の人物である。

『夢野久作の日記』1935年2月14日によると、その父から久作は、「汝(久作)は俺の死後、日本無敵の赤い主義者となるやも計られず」と言われたことが記されている。これについて、龍丸は「日本の政、財、官界が腐敗しそれに抗する新しい機運がある時に、新しい人道主義も立った人間性をみつめた根底からの新しい方向性をつくらんとした夢野久作の考えを指摘したもの」と註解する。さらに「無敵」とは「杉山茂丸自身が中国革命、ソ連の革命に関わったことをで、無敵な存在であったことを意味している」と解釈する。


龍丸は1976年に『夢野久作の日記』(葦書房)を刊行するにあたり、「彼の全てを明らかにしないと、今日の日本は、思想、宗教、政治経済社会全てが多少歪められていますし、学会、出版会も、少し軌道が外れているように考えますので、夫々我田引水して、夢野久作の本質を考えずに、これらの人々に誤解される面もあり、久作が、文を創作するにも、一語一語、学問的にも、あらゆる面から綿密に考えて、努力してきたものが水泡に帰す」と考えていたことを「はじめのことば」に記している。なぜならば、久作は父杉山茂丸の活動拠点である台華社にも出入りをした。そこで得た国内外の情報や人間関係が、また、久作自身の複雑な家族関係が創作内容に影響しているであろう。アジア諸国の独立発展の杉山家思想は、茂丸から久作、孫の龍丸へと引き継がれていく。

 

さて、今回のその夢野久作の『ドグラ・マグラ』である。読む人次第でいろいろなとらえ方ができる作品を、絵の中でどう昇華させていくのか。また、圧倒されるほどのエネルギーをインド緑化に注ぐ杉山龍丸の生き方を、どう表現していくのか。久作の代表作『ドグラ・マグラ』と龍丸の人生をモチーフに、今回10人の銅版画家達が、その世界に挑んだ。彼らは銅夢版画工房に所属し、2013年は、夏目漱石の作品をモチーフに銅版画展を開催している。

 

今回の展覧会は、普通の銅版画展と異なった側面を持つ。それは22枚の作品以外に、夢野久作の関係資料が展示されたことだ。それも博物館展示品級の資料展示である。なぜならば、今回、展覧会を開催することにあたり、展覧会関係者達が、九州大学記録資料館に保管されている杉山龍丸資料から、所在不明と思われていた夢野久作の初期草稿を発見したからである。龍丸が書いていた原稿用紙は、実は久作の初期草稿の裏面を使用していたものであった。その両面に記載のある原稿、久作の新聞記者時代の関東大震災ルポ及びスケッチ画の新聞記事のスクラップブック、久作愛用のテニスラケットの展示も行われた。

 

さらに、久作と龍丸をより深く知るための関係資料・文献・パネル展示もあり、「グリーン・ファーザー・プロジェクト」と銘打ち、カンボジアの子供たちに絵本と夢を贈るため、鳥の形のマスコットのチャリティ販売、寄せ描き銅版画の作品「SEIGA ~生命の樹木~」をプリントしたTシャツ販売も行われた。久作の孫にあたる、杉山満丸氏の著書販売とサイン会も行われた。銅版画展にとどまらない盛りだくさんの展覧会である。

今回は東京と福岡での開催であった。福岡開催は、夢野久作や杉山龍丸の故郷の地での開催である。福岡では、『ドグラ・マグラ』に登場する時計のイメージをもつ、かつて杉山家のあった時計が新たな公開資料として展示された。来年も夢野久作か杉山龍丸かをテーマにして、展覧会を開催するようだ。楽しみである。

 

馬場宏恵 社会人大学院生(日本近代史専攻)

 

 

筆者プロフィール

 

1969年東京生まれ 1996年民美本科卒 法政大学大学院博士後期課程在学

 


東京/森岡書店・2014年8月11日(月)~23日(土)

福岡/立石ガクブチ店・2014年9月14日(日)~20日(土)