われわれは〈リアル〉である「1920s-1950s」展開催後記

われわれは〈リアル〉である 1920s-1950s
われわれは〈リアル〉である 1920s-1950s

筆者は、勤務地である武蔵野市立吉祥寺美術館で2014年(5月17~6月29日)に開催した「われわれは〈リアル〉である 1920s‐1950s―プロレタリア美術運動からルポルタージュ絵画運動まで:記録された民衆と労働」展を企画・担当した。十五年戦争を挟む激動期に興った労働(者/運動)をめぐる表現に注目した本展。筆者の浅薄な認識を晒すようで甚だ不安ではあるが、この場をお借りし、簡単に振り返ってみたい。


(1)展示概要

構成は戦前、戦時下、戦後に区切る3部とした。約150㎡と狭小な展示室に、所蔵品と計16箇所からお借りした油彩・日本画・版画約50点、漫画・雑誌等の資料類約90点、映像資料1点が並んだ。


1.プロレタリア美術運動とその時代

プロレタリア美術を概観するこの部屋では、柳瀬正夢や矢部友衛の作品とともに展覧会絵葉書、『美術新聞』、『労働者漫画』といった珍しいプロ美関係資料が並んだ。また、異なる立場から労働者に目を向けた例として当市にゆかりある画家・堀田清治と清水登之を紹介するとともに、岡本唐貴らプロ美画家らも参加した娯楽色の強い諷刺漫画誌『東京パック』などにも目を向けた。


2.戦争と民衆 戦争画と勤労・増産絵画

ここには太平洋戦争中に描かれた闘う兵士像2点を展示した。清水登之の《突撃》(1943年、栃木県立美術館蔵)と江藤純平の《砲撃》(1944年、武蔵野市蔵)である。これと共に銃後の勤労増産体制を伝える小畠鼎子の《増産》(1944年、武蔵野市蔵)、須山計一の《鍛工作業》《仕上げの女たち》(2点とも1943年、須山計一記念室蔵)と、雑誌表紙に現れた女性・少年の勤労画等を概観した。


3.戦後、ルポルタージュへ

敗戦直後の諷刺漫画誌『クマンバチ』など漫画・雑誌に描かれた労働者像、炭坑に生きる人々を描いた千田梅二の版画等を紹介しながら、戦時下の兵士像に対応させる形で浜田知明《初年兵哀歌》(1951年~)と飯田善國《戦争B‐文明の没落》(1955年、目黒区美術館蔵)を置いた。また、労働や、民衆の周囲に起こる社会的事件を描いた(=ルポルタージュした)池田龍雄、桂川寛、中村宏、尾藤豊らの活動を確認した。ここに対照的に並置した岩波映画『佐久間ダム(総集編)』(1958年)は人間を凌駕する機械文明を肯定的に捉えた記録映画である。このほか、北関東版画運動を牽引した鈴木賢二、前衛美術家らとの交流もあった詩・版画・漫画等の職場サークル活動などを見渡した。


(2)本企画の出発点

本企画は所蔵品で何か展覧会を、という課題からスタートしたものだ。いずれも武蔵野市ゆかりの作家として当市に所蔵される堀田清治、江藤純平、小畠鼎子の作品(前述)は戦時体制期の「働く」人を描いたものだが、これらの作品を通して、この時期に労働者や民衆が描かれた意味を考えてみたいと思った。先行研究/展覧会に学ぶ中で、戦前のプロレタリア美術運動と戦後の民衆的美術運動や前衛美術の動きが、どのような連続性と断絶を抱えているのかという点が疑問となり、これを考えるきっかけになればと思い、本展では戦前~戦後を連続的に捉える視点を設定することとした。プロ美の活動が興る1920年代から、戦後の民衆的美術運動の復活とそこに発生した「ルポルタージュ」的動向が一旦の終息を迎える1950年代までで区切りをつけることとしたが、この時期民衆に目を向けた美術がいずれもそれぞれの立場から「リアリズム」を追求していること、これも注目点となった。


(3)展覧会タイトルについて

 長いタイトルというものは往々にして不評を買う。だがそこにはそれなりの理由もある。

「われわれは〈リアル〉である」という主タイトルには、大衆・運動・プロパガンダといったものに必ず付随する「集団性」を確認しつつ、「リアル」を追求した(とされる)表現/テーマにおいて、その「リアル」とは一体どのように規定され得るものであろうかということを逆説的に問う、という意図を込めた。


本展は極めて小規模であったにせよ、戦前から戦後にかけての民衆的美術運動を展望しようとした点と「戦争画」をその一連の流れの中に位置づけた点、雑誌や漫画といった「資料」類と「タブロー」類を相互対応させながら提示した点などは、新しい展示の試みであったように思う。できれば閉会以後もこの展覧会を埋没させることなく、いつか現れるであろう本展の記録を手に入れるべき誰かが、確実に情報にアクセスできることを願い、キーワードとなるものを可能な限りタイトルに含ませた。


まとめ

来場者数は当館の企画展平均動員数に比してやや控えめであったが、「地味」と評されるこのようなテーマにしては健闘した方ではなかろうか。美術メディアからの注目はほぼ皆無であったが、一部美術(館)関係者の関心を獲得し当館には珍しくその来場率が高かった。館内アンケートによれば、企画について概ね好意的に受け止められたという感触を得、同様のテーマで規模を大きくした展示を見たいという意見をよくいただいた。ただし、企画者の理解力とプレゼンテーション能力の不足により、本展の意義付けを来場者各人の知見に委ねることとなってしまった点は反省すべきところである。

最後に、資料(どれも極めて貴重なものである)提供から展示構成へのご助言に至るまで、漫画資料室MORIの全面的なご協力なくして本展が開催に漕ぎ着けることは決してなかった、という事実を強調し、結びとしたい。


大内 曜(おおうち ひかる)


武蔵野市立吉祥寺美術館学芸員

【プロフィール】1980年東京生まれ。2013年10月より現職。