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6月の美術館のリアリズム

美術館を見るために東京都心を回るのだが、まず周りの新しい建物やそこに入った店、飲食店の多彩さ、その街の景色の変貌に驚かされる。地方の都市に行くこともあるがさびれてきた街も多く、あまりの違いよう。もちろん美術館も耐震などに備え改築されたものも多い、この6月はフォートリエ、ヴァロットン、少し前はバルテイス等異色?画家の展覧会があり、入場料安くなる「東京駅周辺美術館共通券」を手に入れ見て回った。この中に1500円と入場料も高めなのもあり、カタログも学芸員の研究の成果か厚く値段もはる。詳しく内容を記述できないが、フォートリエには戦前のスーテインらの影響下にある茶色の勝ったリアルな人物画。ヴァロットンは風景画にも独特なものがあり、神経と共に空間も麻痺したような平面的な後期の作。バルテイスにもクールベを思わす重厚な風景、また一見未完成?中国の影響を受けた魅力的な作があった。それぞれ興味深い。

ある美術館は小さな入口から劇のように階段や部屋を巡り、出口にはアンケートが待っている。そこでは展示への感想とともに<職員の対応に満足できましたか?>という欄さえあり、感想も美術館の作った劇に乗せられたというしらじらしたものに。なぜ現在これらの画家たちなのか、これは都会人に受けいれやすい画家?主題も官能的なものを持ちその生涯も興味を持たせる。破滅型、聖者型が昔の日本では好かれたが、もう今では現実離れした好みでしかない。もっと微妙なもの、都会人の心性に刺激を与えるもの、美術館とはさざ波のようなしかし閉ざされた<気分>を誘発する場でもあるのか。作品というものものその時代の「生」と重ね合わせられ、鑑賞者によって生乾きのものが乾燥されたものになる、美術館というものはその完成を横目で待っている、プロデユーサーはその役目も果たすのか、壁にかかって空気を必要とする作品もある。


6月にはリアリズムと関係する二つの展示があった(吉祥寺美術運館と上野国立西洋美術館)こちらは公立美術館、入場料も常設展示扱いでカタログも安い。まず吉祥寺へ、ここは美術館への路地、横丁が再現され小奇麗にした屋台の飲み屋が続いて若い客も多い。駅から3分、「われわれは<リアル>である」展へたどり着く。小さい展示場、職員の「お荷物はロッカーにお願いします」という呼びかけは珍しい。いまはやりのコミック連載のマンガの展覧会と思ったが全く違い「1920年代から1950年代、プロレタリア美術運動からルポルタージュ絵画運動まで、記録された民衆と労働」と副題にあり、壁に油彩作品、版画。机には雑誌、パンフレットの表紙、漫画などその時代の証言、商業美術の安価な紙に印刷された資料が隙間なく展示されている、ガラス越しにのぞきこむそのざら紙にしみ込んだ黒や赤の色、内容よりもその色のけばけばしさ。押し合いへし合いしているイメージの束が狭い場所からあふれている、柳瀬正夢による「読売サンデー漫画」原画なども展示、戦後のサークル運動の機関紙などもあり、そこに載っているマンガやカット、その水準が高いのに驚かされる。写真、映像は抜いてあるが最後に佐久間ダムの映像がある。

「民衆と美術がこれまでになく接近した時代を見通し、その時なぜ民衆がえがかれたのか、なぜリアルが目指されたかを問うことで同時期、美術が社会において求められた役割や、その関係性について考えるきっかけ」という展示の願い。前に美術運動に執筆していただいた足立元、池上善彦両氏らも協力者に名前がある。「美術運動」も内灘についての文章が載った号が展示、所蔵先は印刷物のほとんどが「漫画資料室MORI」より。

葉山の神奈川県立近代美術館では「戦争と美術40年から50年」と銘打った展覧会が去年あ-り時代の代表的な絵画が集まる。吉祥寺ではその裏展示?とでもいうもの。時代を輪切りにするならこの展示の方が共感を呼ぶかも、そこには時代への共振、生きる切実さ、危機感が現れるのだろうか、今の鑑賞者の中にもひとりひとりの批評が現れるといい、その時代を作者が、鑑賞者個人が生きたように。多彩な展示によって時代が一つのトルソのようにただの石膏ではなく肉体をもって現れるようだ。

             

展示の最後のセクションでは戦後のルポルタージュ絵画の展示。浜田知明、池田龍雄、飯田善国らは作者の初期の代表作の展示もある。「リアル」「リアリズム」という言葉も問題になるが、実生活でも使われているその歴史的意味は「美術運動」128号リアリズム特集に3氏のわかりやすい解説があり教わる。ただここではドイツ文学者高橋英夫の文章(「神を見る」筑摩文庫)その思考をヒントに少し考える。「もの」を「見ること」の問題は時代によって変わっても普遍的のものと思うゆえ。

リアリズムは「もの」を言い表すラテン語のレスに基づくという説明を引く高橋は、リアリズムの可能性とは、「もの」の表面描写だけでなく、秘められたその対象の本質をどこまでつかみだせるかという問題という。「もの」にむけられた作者の視線の方向、そして「もの」の変貌を大別すれば「もの」から「神」へ、「もの」から「他者」へという二つの方向に分かれ、「もの」が見出された後では「もの」を見出した視力が逆に人間のあり方に影響をおよぼしはじめることを説く。

「見る」ことは元来人間が視線となって己れの外に飛び出していき、外部で「もの」と出会い人間を拡散させ、すべての精神活動に踏み込むことができる。その矛盾の上に視覚そのものの純粋化や強化がはじまり、「もの」は「神」になりもする。ただ大岡昇平の言葉を引けば(戦地での歩哨の経験を書いているのだが)、視覚は物象を正確に映すのに距離の理由で私達がそれを行為の対象とすることができない。その「視覚の不幸」をつきつめていった人間の行方のひとつとして、画家でいえばゴッホが生命をかけてもとめたような神への道、神に直面する「観つつ畏れる」究極の人間の姿が顕れる。

見るもの全てが「神」に見えるとしたら不幸も幸福もないのでは、しかし死の瞬間にも「見る」ことで「神」を感じとれる、それはなんという慰めだろう。

ここで強引であるが近現代日本の美術家を見ると、神に向かう画家は靉光や麻生三郎、小山田二郎らの作がまず浮かび、他者にむかう画家として「新しいリアリズム」に結集した中谷泰、吉井忠、佐藤忠良らの画家、彫刻家があてはまるのではないか。しかしこのルポルタージュのセクションに登場する美術家に絞れば、ここに登場する画家達は労働現場を描き、その上でビジョンを獲得した人が多い。戦争経験者も多く、それが世界の暴力を(また戦後にもその持続を日本に見るなら)身を持って生き、「観た」葛藤が作品を生み出しえたならこれらの作は神へ向かうという可能性があり、ただの美醜をこえた作として現代にも訴えるのでは。社会が「もの」となる「物象化」の中で観たものが作者の内部で力を持つ、個人を超えたビジョンが生まれる。

                  

多彩な展示の中に日本マンガ奉公会「決勝双六」という珍奇なものがあった。28の画面を持つ国策のすごろくであり多くのマンガ家が協力して絵を担当。そこに顕れた底抜けの楽天的な日本人の姿、あがりが日本国の勝利。この一コマに宮尾しげをの絵があるが、幸福な表情、大工さん二人の仕事の休中国へ納税すること、国へ貢献することを満足な笑みをうかべて話し合っているのだ。そのとなりのコマには仕事から帰ってきたサラリーマン風ダンナが割烹着を着た奥さんに迎えられる図、しかしオクサンの顔が驚くべきことにアメリカ大統領になっている、ヒミツはオクサンにでも喋ってはいけない、どこにスパイがいるかもしれないという警告。しかしこれは首相一家の話か?

この笑い顔はまたよみがえるのだろうか。あの双六に現れていた顔は。この戦争後日本は変わったといわれるが、現在社会に偏在するものがはっきり浮かんでくるだけなのだろうか。中村光夫の前回のオリンピックの時の文を思い出す。「額に汗して働き、血の犠牲を払いながらそれが自分のためというだけでは気がすまず、外国人にお世辞を言われ、頭を撫でてもらわないと安心できない「よい子」根性が僕らの性情に深く食い入っています。太平洋戦争はこのよい子のたまたま働いた非行であり、オリンピックで名誉回復というわけでしょう」日本人は変わったのだろうか。

                 

個人的な思い出でいえば、労働と美術というと20年前、民美所長だった西良三郎が日本美術会理論部で語っていたことを思い出す。「マルクスは労働を生産労働と非生産労働に分けた、生産者のポケットマネーで生きていた美術家は<非>。ところが現代は情報化社会になり美術も生産労働に入っている、それで生活する人が出てきた。戦後の貧困の時代から過剰の時代に入って、物質過剰、情報過剰、それと共にじつは美術家の過剰がある。生産労働から解放され、余暇を美術で費やそうと美術家なってくる人が多くなってくる。」「資本主義の発展は個人の自覚を高めるとともに疎外という相反するものも広げている。貨幣が総ての上位に位して人間が従属されるという反面、平等も意識された。」絵では技法とモチーフの問題も語っていた「技法はモチーフと結びついて技法的選択が行われる。技法の貧困から、時代がたつと社会的環境の中で消えていく町工場や煙突等古いモチーフに執着せざるを得ない。」おもしろい問題を出したのだが議論が進まなかったのは残念だ。

西は進駐軍でピアノを弾いて生活していたとき(浜田知明も参加していた自由美術7人展で)中島保彦より米軍を助けるファシスト呼ばわりされたという。これに対して、労働者の味方といいながら絵を描くだけで労働をしていないことを責めると「俺は労働している、絵を描くのは労働だ」中島に自信満々に言われ反論できなかった。はたして芸術は労働になるのか、その疑問に動かされてマルクスを読み始めたという。(西は青木書店から出た精神労働についての本のうち大衆音楽についての項を執筆している)


続いて上野国立西洋美術館へ行く、地下の展示がメインの展示であるがいつも洞窟に入っていくような気持ち。(地下で天井のスペースの広いからなのだろう入口は贅沢なスペース、広い)地下の特別展会場で銅版画家カロ(百点以上所蔵しているのには驚く)の展示と作家平野啓一郎構成、所蔵品を中心にした展示2本の意欲的展示。

銅版画、白と黒の世界であるのでカロ、まずよく知られたのが「戦争の悲惨」戦場の姿を遠近法でとらえ、横長の画面、まるで木が自分の獲物を誇るように両側の枝に20名ほどが首を吊るされている作。ロレーヌ生まれのこの宮廷画家にとっても(宗教画を描いているラトウールとは同じ時代)、それが日常の姿でもあったのだろうが、この鋭い線で刷られている画面は衝撃的である。その他にも多彩な作を作っているが、きびしい線が感情を入り込むのを閉ざしてしまうようで描かれた人、自然に共感するのがむつかしい、じっくりながめて根気が私には欠けている、この金属とインクの力がリアリズムを成立させる力とすれば日本人には異質であった世界かもしれぬ。明暗の勝った1400点以上ある素描も外国より借りて全体像を示す手もあったようだ。


白い空間に単色の版画のカロの展示、そちらを終わり小さな階段下りると壁紙の色もめまぐるしく変えている、観客を私的な場所へ招待するような空間、天井も下げてある。この平野の言葉と作品の展示は成功といっていいのでは、所蔵品の魅力を最大限に引き出すという目的から「非日常からの呼び声」というテーマを決め、6つの章に分け、「幻想」「妄想」「死」と続く、最初の一点から最後の一点までを一連の物語のように組み立てているという。それぞれの造形にそそぐ平野の目は豊かだ、2,30年前美術批評も半分は詩人や作家であった、いまはすっかり批評も学者、プロデユーサーのもの(学芸員というのか)になったようだ。いまでは小説家など出る幕がないのではと思っていたが、ヴァロットン展では相乗効果を狙って展示作品の家族のいる場面をテーマにした小説があった。いずれにせよ会場をひとつひとつ解説を読みながら見るのはつらい、渋々カタログを買って文を読む。また作品を見る。

例えば、ロダンの「ヨハネ」ブロンズ像も最後のセクションに出ているが、等身大より微妙に大きく却って偉大さを感じさせると説き、「右手を挙げて歩いている作であるが左肩がグッと内側にはいっているところや長い腕に輝きがあり、顔では左目がギリギリまで左を向いているところにも独特の力強さがある」、確かに見ていくと自分の目は左肩に引き寄せられ、視線は宙に浮くと思う暇もなく?ヨハネの顔にぶつかり自然に左に傾いているヨハネの目を追っていく。そしてその視線は像の左目の向いている方角へ離される。大きな呼吸のようなしかし一瞬の経験。これは平野の文がなければ自分だけではとてもここまで体験できなかった。この展覧会、鑑賞者も平野ファンが多く盛況だったようだ。


地下からエスカレーターに乗り一階常設展に、ロダンのブロンズの林立する展示、そこにも天井から光、いつもあるヨハネは光をみていたのか、ここは美しい空間だ。2階古典的な絵画見て別館に移り上より四角い立方体のようなマイヨールの「夜」彫刻を見る。一階にくるとガラス越しに中庭を囲みブールデルを見ながら休む、ここには現代の彫刻がないことに気が付きぼんやりしていると白い壁を背景にレシーバーで武装しているような女性職員。中庭のケヤキを見る、光に育てられ、色と形あるものを確かめるのは楽しい時間だ。この建築はいい、コルビジュと日本の関係者の「美術館を作る」という意思が合致したのだろうか、隣の東京文化会館の二つのホールも品がよく音もいい。戦後ほとんど最初の本格的ホールと美術館だったかもしれぬ。初めのものがよかったとはいいたくないし、実際いいものが他にもできているのだろう、色々な土地を見て歩く必要がありそうだ。


小野章男