◇17世紀初めから中葉のオランダ。その社会と絵画の繁栄はしばしば「黄金時代」と形容される。1568年に始まる対スペイン独立戦争―それはレンブラントの出身地ライデンが1574年に人口の半数を失う包囲攻撃を受けるなど苛酷なものだった―を経て、ネーデルラント北部がオランダ連邦共和国として独立を宣言したのは1588年。その政治の中心地がハーグ、経済の中心地がアムステルダムならば、デルフトは人口約2万5千、織物業、醸造業、製陶業、水運業等で繁栄する商工業都市であるとともに、市壁に囲まれオラニエ公ウィレムが居を定めた独立運動の中心地であった。
フェルメールの父は、スペイン支配下のベルギーから逃れ北のオランダに向かった多くの移民の一人で、アムステルダムで絹織工となった後、デルフトに定住した。フェルメール自身は、1632年に生まれ1675年に没する生涯のほとんど又は全てをデルフトで送った。彼がこの町を描いた風景画は、古文書に3点記録されているが、現存する「デルフトの眺望」と「小路」はそのうちの2点と考えられている。
◇「デルフトの眺望」は、1536年の火災や1654年の火薬庫爆発事故をまぬかれ、古き良きデルフトの様相を留めていた市域の南部をスヒー川の河口対岸から眺めた絵である。岸辺で立ち話する人の姿、水門を背に停泊し水面からの光を受ける船は、平和と経済的繁栄の証しである。雲が町に落とす影の中、町を囲む市壁の部分は実際の煉瓦をすりつぶして絵具に混ぜ込んだかに見える描法でいかにも堅固である。雲の切れ間から差す光が照らし出すのは、新教会―その堂内には独立運動のさなか1584年に政敵に暗殺されたオラニエ公の墓がある―の塔と周辺の民家である。
「小路」は、町のどこを描いたものか特定することが難しい。この単なる階段状でなくスリットの入った形の銃眼(矢ざま)をもつ正面は、すでにフェルメールの時代においても稀少な建築様式で、16世紀以前の独立運動時代の記憶遺産というべきものだ。清潔な路面、漆喰で補修された煉瓦の壁、使い込んだ窓枠や木戸、家事にいそしむ人、遊ぶ子供は、樹木と蔦、青空を進む雲とあいまってこの町に流れる過去・現在・未来の時間を感じさせる。
◇フェルメールの作品の魅力の源泉には、画家と人々の求めてやまなかった自由と独立への思い、営々として築かれる生活と労働への敬意がひそんでいる。しかしオランダ社会と絵画の黄金時代は、覇権を争って1672年に始まる蘭仏戦争を機に終り、フェルメールも活躍の場を失い失意のうちに生涯を終えたという。彼の生涯と作品は、一時的・局地的でない平和で平等互恵の世界の建設こそ、芸術と人間性開花の道であることをもまた、私たちに語っているように思える。
大塩幸裕(日本美術会会員)
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