アトリエ訪問「生のアート」へ挑戦続行 ~田島征三さん訪問~

「ベトナムの子どもを支援する会」の野外展(1960年代)「日の出の森にゴミを埋めるということは・・・」野外展(1990年代)で田島征三さんと顔を合わせることはあったが、なにしろ大勢の人の中、じっくり話したことは無く、「いつか、ぜひ」と僕は思って来た。

 11月の冷たい雨の中、迎えに伊豆高原駅まで来てくれた奥さんの喜代恵さんの赤い車でアトリエへ。久しぶりの田島さんは静かな和室で僕たちを迎えてくれた。机の上にはいろんな絵本が登場してすぐに話は盛り上がっていった。

 

聞き手:首藤教之(日本美術会会員)


<絵本について>

田島 はじめて絵本が出版された60年代は、まだ作家も少なかったけど、時代は変わって、今は年間2000の絵本が出るようで、芸術として画期的な絵本を出しても、売らんかなの商品絵本の中に隠れてしまう。

 

首藤 絵も絵本もメディアとして見るならば、半世紀の変化は極めて大きいですね。

 

田島 最近は、中国で「しばてん」「やぎのしづか」が出版された。韓国でも「とべバッタ」をいちはやく出してくれたポリム出版というところの社長が僕を気に入ってくれて「やぎのしづか」の合本も出してくれた。で、その社長のところでとても良い絵本の原画があったので、「これはすごい」と言ったら「どこがすごいんですか」と怪訝そうなので「なにか、めちゃくちゃなところがいい」と褒めたら、その絵本を出版したんですよ。そうしたら、その絵本がBIB(世界絵本原画展)のグランプリをとってしまって、それで、喜んだ社長に「田島さん、もっとめちゃくちゃなのを出しましょう」と言われてね。今制作を進めているところなんです。「やぶの中」って言うんだけどね。魚の形をした池があって、まわりに6本足の鳥とか2本足の昆虫が住んでいて、雨宿りの木があり、魚も雨宿りする。具象的なものと抽象的なものが混じり合い、ストーリーでないようなストーリーもある。「めちゃくちゃ」であるということ、常識を超えるということは面白く、難しいです。

 

 

<アール・ブリュットとの出会いから  >

土鈴・伊藤喜彦
土鈴・伊藤喜彦

首藤 欧米ではどうなのですか?

 

田島 欧米では僕の本は全然出ていないが、30年ぐらいしたら「しまった」と思うんじゃないかな。(笑)

 フランスの「アール・ブリュット展(2010年)」は、200万人が入って3ヶ月の予定が1年に伸びたというものですが、準備の段階で館長のマルティン氏が日本に来たときに、僕の木の実の作品を目に留めて共感してくれたんです。話の後で、「ところで、あなたはノーマルですか」と問い、そうだと分かるとがっかりしたようだったが結局僕も出品することになった。

 それから今度、日本のアール・ブリュットを全国から集めて、スイスのアール・ブリュット資料館とフランスのマルティンさんが館長を務めるアルサンブリュール美術館でやるアール・ブリュットの公募展に出すものを選ぶ審査員をするんですよ。日本は今アール・ブリュットばやりでね。最近も全国同時に4カ所でアール・ブリュット展をやっていた。

 アール・ブリュットの「ブリュット」というのは「加工されない」「直接的な」という意味ですね。「安土城考古博物館」で、昨年秋に「 造形衝動の一万年~縄文の宇宙/円空の衝撃/アール・ブリュットの情熱~」という展覧会が開催されて、縄文の土偶、円空仏、と並んでアール・ブリュットの作品があった。それが縄文時代と響き合っていたのはたいへん興味深かった。

 自分のことでは1984年に伊藤喜彦という作家の土鈴の作品を見たときに衝撃を受けたんです。彼がいる作業所の信楽青年寮を訪ね、彼と出会い、互いに共感し合ったということがある。

 

首藤 かねてから疑問を残しているんだけど、「アウトサイダー・アートの作者」というように考えられている人たちの非常に生命力、迫力のある作品を賞賛するとき、いわゆる「健常者」

のわれわれはダメな存在なのか。そうではない筈だがー。

田島 芸術の問題としてどこで線を引くかということですね。アール・ブリュットの探求をしたデュビュッフェは、精神病院での作品に注目してコレクションをつくった。日本では知的障害者といわれる人の作品が多い。いろいろ見て来て気づいたんだけど、そういう人の創ったものがすべて良いかというとそうではない。心を揺さぶられるものがあるが、単なる手芸というものもあるしー。「痔の人の絵の展覧会とか、胃が悪い人の作品を集める意味など無いだろう」と主張を言ったこともあります。

 

 いいものはいいもので一緒に並べよう。よくないものはよくないじゃないか。特に福祉の世界には平等主義があるんだけれど、いいものを選ぶってことで芸術なんだから、何もかも一緒にするなって言ったんです。あとで気づいたんだが、デュビュッフェもかつて同じことを言っていた。

 芸術作品は説明ではなく、そこから押し寄せてくるようなものがなければならない。佐川美術館というところで、佐藤忠良と平山郁夫のコレクションを見る機会があったけど、平山の作品

は何か高みからものを見ているような感じで、上手で立派かもしれないが、なんの感動もない。バブル期にもてはやされた絵にもそんなのが多い。それに比べれば、熊谷守一さんの、自分の庭に閉じこもって創った作品など迫力がありますね。

 

 どう人にメッセージを伝えるか。アール・ブリュットのようなものがあって、その対岸に平山郁夫などの上手なだけのものがある。

 今、アール・ブリュットをキーワードとして、生き方の問題を含めて、美術とは、芸術とは何なのかを述べた本を書いているんです。

 

〈野外展そして絵本と木の実の美術館へ〉  

首藤 日本アンデパンダン展に対して、アマチュアの展覧会で権威など無いという見方があります。確かに一般公募のように「偉い先生」がいて賞を出して皆がそれを目指すなどということもなく、プロ・アマという概念も超えているところがある。しかし、そこには人間としての想い、主張がほとばしっているものが確かにある。公募展といっても別種のものです。

 

田島 アール・ブリュットをめぐる問題と似ていますね。人に誘われて有名な公募展で絹谷幸二など見たが、技巧の世界を見ているだけという感じだった。しかし組織がある間は権威主義の展覧会はあるでしょうね。

 

首藤 かなり以前から美術の報道はそういう展覧会世界には見切りをつけてトリエンナーレ、ビエンナーレ中心ですね。そこではいわゆる「絵画」は少ない・・・。

 田島さんも昔は平面作品だったが、近年は次第に立体的になっていますが。

 

田島 いつの間にか、空間を感じさせるものに目を向けるようになってね。神奈川県藤野の野外展に誘われたり、アール・ブリュットと出会ったり。

 スイス、ローザンヌのアール・ブリュット博物館で貝殻でつくった顔の作品とか等身大の馬の作品の、一種のしつっこさに感銘を受けたりしましたね。

 そして流木の作品をつくって発表もして・・。

 新潟県十日町で、木造校舎を使ってそういう作品の展開をやっています。企画者の北川フラムさんからは、「美術館にしてくれ」という話だったが、僕は校舎をまるごと作品にしようと考

えた。体育館から始まって、空間そのものを絵本にした(「立体絵本」というのとは違う)。流木や木の実のオブジェ作品。大きなものなのでボランティアの人たちの参加を得て制作したんで

す。ここには、ボランティアも増え、見に来る人も増えて廃校した校舎に子どもがたくさんいるんですよ。そこでの人のつながりも生まれ、知り合って集落の人と結婚した人までいますよ。

 

鉢&田島征三 絵本と木の実の美術館「 教室の三人」
鉢&田島征三 絵本と木の実の美術館「 教室の三人」



ここで一休み。机の上のハングル文字の絵本に興味が湧く。

他にも初めての田島さんの絵本もいろいろあってー。

 

 

〈日・韓・中の絵本作家との交流〉

クォン・ウン・ドク「ハルモニ」
クォン・ウン・ドク「ハルモニ」

 田島 日・韓・中の絵本作家の交流は12人が集ってソウルや南京で意見を闘わせてきたんです。合同で一冊の本をとも考えたが、結局、シリーズの形で一冊ずつ出すことにしました。反戦・平和のメッセージは大切だが、どれほど芸術として優れたものになっているかが問題でね。韓国のクォン・ウン・ドクの「ハルモニ」という絵本は従軍慰安婦問題がテーマの優れた美しいものだけど、日本の出版社はどこも躊躇して出そうとしない。広島の高校生にいつかこれを見せたら「どうしてこういうことを教しえてくれなかったのか、怒りを感じる」と言っていた。

 

首藤 これは気品を感じさせる、いい本ですね。それとこっちの、田島さんの「ぼくのこえがきこえますか」というのは、これはストレートに戦争反対のものだけど、とてもいいです。

 

田島 半具象と抽象の組み合わせですね。

 

首藤 組み合わせることで、読者のイメージ世界を一気にふくれあがらせ、深化させていますよね。

 


〈社会の問題と芸術の力〉

「コノクニノアシタ」
「コノクニノアシタ」

ところで、みんながパソコンを持っているような時代の中での書籍離れとかの問題も言われていますが。


田島 その中で、紙で見て初めて分かるようなこともある。ウェブだけだと、どこかに置き忘れることもあるんじゃないかと思う。こういう時代だからこそ紙媒体の力が大切。また、人が住み、活動し、自然と一緒に成っている空間での、僕が今やっているようなことの意味がある。

 直接の、社会問題に対するプロパガンダだけでは皆きつく、重く、嫌になってしまう。問題の深みに触れ、表現することで、見る人の奥にしまってあることが立ちのぼってくるのに気づくと

き、自分そのものがそこに入り込んで「ああ、そうだったのか」と思う。そういう作品を作ることが僕の理想です。


首藤 表現は自由であることが一番で、探求によって深まっていくことが何より大切なんだけど、私たちの日本美術会でも歴史の上では、今からでもよく振り返らなければならないことが

ありますよ。


田島 僕も「こういうの、頽廃美術でしょう?」って言われたことがある(笑)。

 硬直化している頭で、こうでなくてはならないと決めてくる。政治的なことも、芸術的なこともそれでは面白くない。これは日本美術会だけのことじゃなくて、いろんな団体にもイロがあって、それに対して時々反乱が起きたりしてきた歴史があります。

 「人人展」も当初は山下菊二や中村正義、僕などがいてやったが、やがて変質して行った。

 芸術は一人の、個の中から生まれるワンマンショーのようなものだから、無理に団体としてくくっていくと、どこか違うところへ行ってしまうように思います。「九条美術の会」も良いメッ

セージを出す場としていいが、恒久化すると「芸術の力」とは違うものになるんではないかと思うな。


首藤 芸術家には群れたがらない人も多く、それにも理由があると思うんだけど、芸術家が集うとき、芸術そのもののために集ってその意識にあくまでも沿って活動する、それと芸術家が社会的課題のために集ってそういう活動をするということは、よく意識してやらないといけないことですね。

 今日は長い時間、ありがとうございました。


 


窓の外の紅葉も高原の闇に包まれ、貴重な話も終わった。美術家には「変人」も多いという話も出たが、確かにそうだし、それは何を意味するのか、考えさせられる。また、絵画に対して絵本(あるいは絵本のような様々な表現)という独特の表現についてもあらためて興味を持った。新潟の田島さんによる田舎校舎の作品にも会いに行きたくなった。

 

聞き手:首藤教之(日本美術会会員)