アンデパンダン展の風刺漫画家-石子順氏講演から

本記事は、組織部企画の新入会員歓迎会・特別講演として、2014年9月28日に日美アトリエで行われた石子順氏の講演記録です。日本アンデパンダン展-歴史を創った作家と作品(1)(日美製作 CD)集録の多くの作品をみながら、作家のひととなりが語られましたが、紙面の制約から代表作品のみの要約とします。石子順氏は新聞紙上でご存じの映画・漫画評論家です。1935年京都生まれ。1953 年まで 10 年近く中国東北で少年時代を過ごします。帰国して大学卒業後、中国映画の字幕翻訳から映画評論の道に入り、手塚治虫に出会い漫画評論にも取り組みます。「手塚治虫マンガ館」、「日本漫画史」など、漫画や映画について多くの評論や著作があります。最近は、ちばてつや、赤塚不二夫を始めとする中国引上げ漫画家展を各地で巡回するなど、日中友好の立場からも精力的に活動されています。

「みんな怒っている」8回展(1955)
「みんな怒っている」8回展(1955)

◆柔の漫画家 まつやまふみお

1967 年 に初めて「文化評論」誌に漫画評論、「白土三平論」と「手塚治虫論」を書き、ストーリー漫画からはじめましたが、その後、漫画のルーツを探るうちに、まつやまふみおや宮下森に出会いました。これは一コマ風刺漫画でした。まつやまふみおは、1902 年、長野県小県郡大門村(現:長和町)生まれ。1925 年上京して本郷研究所で学び、柳瀬正夢らとプロレタリア美術運動で活動、投獄もされました。1967年の冬、アトリエに訪問した折り、達磨ストーブに、燃料節約で雑誌をくべていたのですが、それが「クマンバチ」だったのでびっくり。これは彼が 1947 年に創刊した風刺漫画雑誌です。もったいないので何冊か貰った記憶があります。1946 年に日美が創設されましたが、まつやまはその創立会員のひとりです。翌 1947 年にアンパン展が始まり、アカハタで一コマ政治漫画を描きながら、タブロー漫画を毎年発表していきます。「みんな怒っている」は、第五福竜丸がビキニで被爆したときの告発作品です。被爆した船員で久保山さんは亡くなりました。水揚げされたまぐろは焼津港に大きな穴を掘って全部埋めました。まぐろも怒っているのです。なぜ蛙がいるのかよく分かりませんが、まつやまさんは、いろいろな動物などを使った比喩がうまい漫画家です。

1963 年に鳥獣戯画集という画集を自費出版しました。このとき、ライバル関係にあった近藤日出造が、まつやまはこんなに絵が上手い画家だったとは知らなかった」と褒めたくらいです。とくにカラスはよく出てきます 。 たとえば「ダレスとカラス」。語呂合わせですが、水爆の上に乗っているダレス。カラスは負ける者のイメージ、薄暗いもの 、暗黒の比喩であり、それに対峙するのは鳩です。

まつやまさんの漫画は、みていると可笑しくなってきます。登場人物はあくどく描かれてはいても、どこか愛嬌があり、愉快になってくる。田中角栄でもそうです。可笑しいというのは、風刺の毒にあたった笑いです。「ひんまがった微笑」は、作者が人づてに聞いたところでは、田中首相はこういうふうに描かれたことを喜んでいたそうです。背景には、田中の日本列島改造論で拡大した公害が描かれています。田中は顔面神経痛で顔がひきつれていたのですが、この時期ルーブル美術館からやってきた大人気のモナリザの微笑がカリカチュアライズされています。描かれた相手も憎からず思う。これが風刺のゆとりです。漫画家のゆとりともいえます。政治漫画では、一目で誰かと分かることが必要です。有名な作品なので掲載は省きますが、「わたしはひばりがききたい」(1968 年平和美術展)は、ベトナム空爆へ向かうB52が空を覆い、小さな女の子が耳を塞いでいます。これは子供の姿を通して日本の民の声を代表さ2せた優れた作品です。爆撃機はリアルではなく、空を覆う怪物としてカラスより怖いものとして描かれています。 まつやまさんは、1947 年に日美だけではなく、日本童画会の創立にも加わります。当時まだ無名だった岩崎ちひろさんも参加しています。戦前の青年時代には、「こどものくに」で有名な岡本帰一宅に書生として入り、童画の世界に入ります。先にあげた「わたしは怒っている」や「ひばり」などは、この童画と政治漫画が一体になっている作品です。これはまつやまさんの独壇場ではなかったかと思います。晩年の 1980 年、「まつやまふみおの世界」刊行に当たり、宮下森の推薦で日本漫画家協会特別賞を受賞しました。

「黒ダイヤ始末記」20 回展(1967)
「黒ダイヤ始末記」20 回展(1967)

剛の漫画家宮下森

宮下さんは、1916年中国湖南省長沙の日本領事館で生まれたそうです。ここは毛沢東の出身地で熱気のあるところです。漫画の資料を集めているとき、1962年刊の日本漫画家年鑑で、宮下森の「炭鉱の月」という凄い漫画をみました。これは月がドスになっていて、当時暴力団によって組合員が殺された事件を風刺し,告発したものです。60年代初頭に三池闘争が始まりました。エネルギー政策は石油にシフトし、閉山によって炭鉱労働者と家族を切り捨てていきました。それに抵抗する運動の典型が三池闘争でした。この作品が宮下森の批判精神を高揚させる契機になったのではないかと思います。宮下さんは、「クマンバチ」で戦後デビューしました。まつやまさんとは違ったスタイルでヨーロッパの漫画家のイメージがあります。宮下さんは団地ブームの中での生活漫画を描きます。また版画も制作しました。展覧会作品には抽象的なものもあります。

「バラバラの喜び」18 回展(1965)
「バラバラの喜び」18 回展(1965)

「バラバラの喜び」は、当時建設ラッシュだった団地生活とテレビ普及の時代状況を描いています。いまスマホ時代ですが、どちらも日本人の人間的な繋がりを失わせていくように思います。当時の入居者が一斉に老齢化し孤立化が問題になっているいまを、1965年に鋭く見据えていた作品です。1991 年 44 回展の「サダム・フセインのヒゲ」は、ヒゲが戦車で、まつやまのニクソン、ジョンソン、ケネディの風刺顔とはちがう怖さ、権力を持った者の恐ろしさ、民衆を蹂躙する姿を描いています。まさにフセインの末期をすでに予感していたかのようです。

「すでに脳死状態である」45 回展(1992)
「すでに脳死状態である」45 回展(1992)

「すでに脳死状態である」は、宮沢喜一の頭の中になにが入っているか。脳死状態です。まつやまの柔に対して宮下の剛。批判する相手をズバッと切り捨てます。描かれた相手が妖怪じみている、妖怪にも善し悪しがありますが、これは悪い妖怪です。凄みがあり、目などリアルです。時代がおかしくなるにつれて怖さを強調していきます。

まつやまの描く対象は、怖さよりもこれならやっつけられるというおかしみがありました。宮下のずばりと描く首相はまさに宮下の強烈漫画です。こんな首相像を描いた漫画家はほかにいません。まつや 「すでに脳死状態である」45 回展(1992)まの田中角栄像とは大変対照的です。首相の頭を解剖してみせるという凄まじい漫画です。しかし、宮下はやさしい絵、たとえば子供の絵本も描いています。新聞漫画では、作品の違いが端的に顕れています。まつやまはなめらかな筆使いがうまく、宮下はペンで鋭い線を描きます。この違いには、年代の差もありますが、漫画家の姿勢、技術の違いも含まれます。二人は、新聞政治漫画をその日その日で棄てられていく漫画ではなく、残していく作品に引き上げたことで共通しています。まつやまは四コマ漫画をほとんど描きませんでしたが、宮下は描きました。二人に共に影響を与えたのはドーミエでした。

 

宮下のもう一つの際だった活動は、漫画家に発表舞台を創 ったことです。「漫画通信」という冊子を労働組合向けに発行 し、職場の漫画家に描く場を与えたり、いくつもの展覧会を 企画しました。アンデパンダンにも昔は漫画部門がありまし たが、グループ展を企画し、1971 年にシャリバリ展、その後、 日本漫画の会展、クマンバチ展という三つの漫画展を創設し、 今も子息、宮下泉さんが企画に加わり続いています。さらに、 ダンアートというデザインセンターも立ち上げ、労働組合紙 誌やポスターなどの版元として漫画家の発表だけでなく雇用 の下支えをしました。宮下は労働組合を中心とした漫画家の 組織者でした。1953 年に日本労働漫画クラブを結成。国鉄、 全逓、金属の組合で漫画を描く人たちを結集させました。ま た、二科展の漫画部門にタブロー漫画が入選・入賞し、既成画 壇にも参加しています。日本漫画家協会の創立に協力し、同 協会の日本漫画年鑑の発行を続けるなど、幅広い活動をしま した。

「もっと鳩ポッポうたいたかった」(1978)
「もっと鳩ポッポうたいたかった」(1978)

女流政治漫画家のホープ田村久子

田村さんは宮下の創立した労働漫画クラブから輩出した一人で、労働組合や商工新聞に政治漫画を描いてきました。平美やアンパン、ピエロ展などに女性の立場から描いた政治風刺のタブロー漫画を出品してきました。「田村久子ただいま仕事中」(1978年刊)という漫画集がありますが、ベルバラで人気漫画家の池田理代子は「女流漫画家の中で政治漫画が登場しないのは切歯扼腕ものでした。ですから田村久子さんは私たちのホープであり誇りです」と語っています。この画集に掲載されている「動物シリーズ」は宮下森や上田トシ子に推されて日本漫画家協会の漫画大賞を受賞しました。


「もっと鳩ポッポうたいたかった」はその代表的な作品です。作者も語「もっと鳩ポッポうたいたかった」(1978)っていますが、本の装丁、パンフ、ポスターなど多くの印刷媒体で広まりました。1977年厚木基地からの米軍ファントムジェット偵察機が横浜市緑区荏田(当時)の住宅地に墜落。直撃を受けた家の母親と亡くなった二人の幼児への熱い涙、日米政府への強い怒りを描いています。白鳩に乗った痛々しい包帯巻きの二児が指さす空の暗雲。この強烈なコントラストが軟らかい女性の感性で描かれて、まつやまの「ひばり」と対比すると、その感性の違いがわかります。

「不信・母乳汚染」24 回展(1971)
「不信・母乳汚染」24 回展(1971)

「不信・母乳汚染」は、1968年九州で起きたカネミ油症事件以降問題になった環境汚染を告発した漫画です。ライスオイ

ル精製中にダイオキシンという猛毒が発生、妊娠中の胎児や母乳を飲む乳児に障害を与えました。田村久子は、生命を育てる母親の大切な乳房を美しく描き、それが子供を害してい

く不条理を批判します。田村久子は母と子を中心とする政治漫画を描きました。女性で政治風刺漫画を描いた人はほとんどいません。手塚治虫は、田村の新聞政治漫画について語っています。「辛辣なサンショのようなご作品をみた時、失礼ながら、これは女性の方かなと思ったくらいでした。女性の漫画には、よくいえばまろやかさ、わるく云えば乳くささがあるのに、田村さんにはそれがない。どういうわけか毛ほどもないのです。第一印象から、風刺はシャープで痛烈で男性的です。」(文化評論1989.8)聞くところによれば、全国税労組の新聞に掲載された田村久子の池田首相批判漫画を、怖かった、恐れ入った、といったとか。現在でも「くまんばち展」に出品しており、まだ仕事中です。

かつてはアンパン展にも漫画コーナがありました。漫画はまさに直裁的な「時代の証言」です。新会員のみなさまにも美術としての漫画にも挑戦して頂きたく、私の著書「カリカチュアの近代-7人のヨーロッパ風刺画家」を進呈します。まつやまふみおの愛したドーミエやチルレなど見ながら、アンパンの先輩にならって、作品の幅を拡げる糧になれば幸いです。(談)


記:松山しんさく