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ウィレム・デ・クーニングについて

1966年、京橋の国立近代美術館で開かれた現代アメリカ絵画展には、デ・クーニングの1 0 0号をこえる油彩「女Ⅵ(1953)など大作4点が出品されていた。大きく激しい筆あとを残す暴力的な画面を見て、地方から出てきたばかりの私は、現代の絵画はここまできたのかと衝撃を受けたものだった。


デ・クーニングが1950年から1952年にかけて制作した「女Ⅰ」

について、東野芳明氏が作画途中の写真を数葉まじえてその悪

戦苦闘のようすを紹介している。(みづゑ1961年8月、10月号)

大きく見開いた目、歯をむき出した口など、こちらに挑みかかっ

てくるような攻撃的な坐像である。構築と破壊をくり返した後

の熱気が図版からも伝わって来る。「女Ⅵ」もその連作の一つで

あった。

1978年、西武美術館のアメリカ現代美術の巨匠たち展には「ピンクの婦人」(1944)、「八月の光」(1946)、「郵便箱」(1948)など5点がならんだ。アーシル・ゴーキーの線をもっと

強く伸ばしたような闊達な線は最後まで残り、見る人の心を自由にとき放ってくれるようだ。彩色は一見無造作なようだが、よく見ていくと、細かい神経が行き届いている。デ・クーニングの

1940年代のさまざまな試みがうかがえる内容であった。


 今回のブリヂストン美術館展の作品は、1950年代初めのドローイング2点のほかは個人のコレクションを中心とした1964年から1970年にかけての女性像で構成されていた。50年代に

描かれた女性像に比べると、その内容の精神性が薄れ、もっと即物的、肉体的なものに変化してきている。黒の輪郭線はあいまいになり、絵具を直接画面にたたきつけるような方法で、人体

も太い筆あとの帯のなかに埋もれてしまい、高熱の中で溶けてしまったかのような印象をうけた。明るいやわらかさが画面を支配して、開放的で奔放な現代アメリカ女性の一面を表現して

いる。以前にあったビリビリとした緊張感は後退しているようだ。大きな縦長の作品も含めて紙に描いた仕事が多く、油彩によるドローイングとみることもできる。しかし彼の作品全体の中

で考えるとき、これはある時期の一面にすぎないのではないかと思った。彼が最も充実した作品をつぎつぎと発表していたのは、アーシル・ゴーキー(1 9 0 4~4 8)、ジャクソン・ポロック(1912~56)等と並走していた1940年代、1950年代であろう。エナメルを用いた黒と白の抽象の大画面、木炭なども使ったスピードのある線の残る人物像、抽象的な風景画など、いわ

ゆる抽象・具象といった境界をこえて先の見えない限界まで追いつめたその試行の過程が最後まで残る作品群が思いうかんでくる。きれの鋭い線の走るすばらしいドローイングとあわせて彼の全体像を通しで見わたすことのできる大きな回顧展の日本での開催が待たれる。


手島邦夫 てじまくにお (日本美術会会員)