今展は冨田さんが東京芸術センター主催の彫刻コンクールに応募・受賞したことを記念して開かれた個展である。ちなみに東京芸術センターが主催しているコンクールは、ピアノ・ヴァイオリン・絵画・彫刻・映像があり、各々の受賞者は、芸術センターでリサイタルや上映会、個展も開催している。
「石は非常に堅牢な素材だと思われるかもしれないが、時としてすごく割れやすく脆いものなんだ」という話を冨田さんの口から何回か聞いたことがある。彼は本来の意味である石という素材の性質について語っていたのであろうが、私にはもう一つ重要な意味が含まれているようにずっと感じていた。
一見堅牢に見えても壊れやすいもの、脆いものとは何か。それは地球環境であり、自然であり、社会であり、家族であり、人間の心であり・・・等々。大きな地殻変動に対して、人々は為す術もなく呑み込まれ立ち尽くすしかなかった3.11の現実、壊れる筈のない原発が脆くも崩壊した現実を我々は目の当たりにした。意味の内容については私の勝手な思い込みかもしれない。しかし石という素材が持っている堅牢で脆いという矛盾する性質に魅力を感じていることは、彼の作品が如実に語っている。
一連のシリーズである「列」では、ブロンズで作られた小さな人々が必死で前へ進もうとしている姿にも見えるし、大きな力(石)の上で力尽きて今にも崩れてしまいそうな姿にも見える。そう感じさせるのに大きな役割を果しいるのが、石の自然な割り肌で表された部分と人為的に
形作られた部分の絶妙なバランスがあると思う。今回は1点しか出品されてなかったが、過去何点も制作された「橋」シリーズにも同じことを感じる。
機能とシンプル性を考えて橋の形を、再
び彫刻として造形する意味はどこにある
のか」という質問をしたのを思い出した。
今考えると、ずい分見当違いの質問をし
てしまった。こちら(過去・現実)とあちら
(未来・希望)を繋ぐ橋が、崩壊寸前まで
じっと踏み留まっている形-制作過程ではずい分割れてしまった作品もあったそうだ-に冨田さんの意図があったのではないだろうか。
冨田さんの仕事として新たに加わったワイヤーによる作品も、高い天井をうまく利用して展示されていた。彼の作品の殆どは長野県富士見町にある石彫の仕事場で制作されたものである。様々な事情でなかなか仕事場へ行けない時期があり、その時東京の葛飾のアトリエで制作
できるものとしてワイヤー作品を考えついたという話であった。
困難な状況を逆手に取って新たな創作の可能性を切り開いた、その思考方法に
関心させられた。繊細な線の集積である。遠目に見るとまるで鉛筆デッサンのようだが、そこは立体、鉛筆デッサンより実在感がある。ワイヤーの密度によって微妙な濃淡があり、廃材の合金パイプを使った「列」と、組で壁面に展示されたワイヤー作品は、私にはまるで黒い太陽の
下、灼熱の地を彷徨している人々に見えた。最新の作品「離りてみれば」は、冨田さんの制作方法、制作意図が最も端的に表現された作品だと思う。石という素材と、割る・彫る・削る・磨くという造形方法と、そして冨田さんの心情がピタッと合った結果生まれた作品でる。それ由、見ている私達は納得させられ、心を動かされるのではないだろうか。
大島美枝子 おおしまみえこ
冨田憲二 とだけんじ (日本美術会会員)
昨年11月、ムンバイ(インド)での石彫プロジェクトが半分ほど経過した或る日、1日休暇を取って船に揺られ、3度目になるエレファンタ島へ足を延ばした。船着場から長い石段を上り切って、メインの石窟寺院のさらに奥まった何番目かに大きくはないが崩れかかった石窟がひっそり佇んでいる。ほとんど光の差し込まないストイックな洞窟に出会うと、闇だとか、死だとか、孤高だとかいろんなことが思い起こされ、なぜか胸が熱くなる。意識して、反省的に石を削り落とし、閉鎖的な空間を彫り続けて来たものだから。
帰国して数日後に始まった個展に黒御影石、白大理石、鉛といった禁欲的で少し重苦しい素材が立ち並ぶ。異質な素材である鉄線を天井まで4mの高い壁面に絡ませる。未知への触れ合いと隠れた空間から開かれた空間への移行を試みる。
海と陸地が繋がる海岸線、対立と受容のせめぎ合う山陰の静かな入江で育った僕には、奥行きの深さと海の向こうの無限の広がりが矛盾を孕みながら連動し、いつも頭のどこかで交差して、流動的であいまいな水の境界線のように、未完のまま、開示しているような気がする。 |
大島美枝子 (日本美術会会員)
1946 大阪生まれ
1970 武蔵野美術大学彫刻科卒
1972 日本アンデパンダン展
2007 ITM大学主催インターナショナル彫刻
シンポジウム(グワリオール・インド)
2014 ナヌ・カヤック・アートファンデーション主
催石彫シンポジウム(ムンバイ・インド)
他:個展・企画展・グループ展 多数
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