イタリア初期ルネサンス:美術の冒険者たち

※美術運動141号(2014年3月発刊)


盛期ルネサンスの巨匠レオナルド(1452‐1519)、ミケランジェロ(1475‐1564)らの優れた芸術も「一日にして成らず」。それを準備したイタリア初期ルネサンスの芸術家たちの試みと創造はとても興味深く、15世紀のフィレンツェを中心に、いくつかの観点からその一端をたどってみたいと思います。

1.友情と尊敬心で結ばれた芸術家集団 
・ブルネッレスキ(1377‐1446)は、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の木彫「十字架像」(1410~1415頃。図1)の制作と遠近法実験装置の考案を通じて 彫刻と絵画の分野に新風を吹き込み、その後、「フィレンツェ大聖堂円蓋」(図2・左奥)の建設という大事業に生涯を捧げました。ドナテッロ(1386頃‐1466)は、甲冑師組合の注文による「聖ジョルジョ像」(1416頃)等で人間の内面を深く表現した彫刻術を確立しました。マザッチョ(1401‐1428)は、「ブランカッチ礼拝堂壁画連作」(1424~28頃)等で、遠近法的秩序のもとに人物と背景を統一しつつ、人間の尊厳を絵画の中にゆるぎなく表現しました。 
・フィレンツェ・ルネサンスの創始者とされるこの3人は互いに親交があったと伝えられます。実際、マザッチョ作「聖三位一体」(1425頃。図3)の中のキリストは、ブルネッレスキ作「十字架像」を正面やや下から忠実に描き取ったもののようです。彼らは、年齢も主な活動分野も異なりましたが、共に研究と創作に励み、各人の成果に学びあい、惜しみなく教えあっていたのです。

2.歴史的・国際的視野にたつ普遍的真理の探究

・ブルネッレスキとドナテッロは連れだってローマに行き、遺跡を発掘しながら古代ローマ美術を研究したと伝えられます。―その建築の作例にはパンテオン(図4)、コロッセオ(図5)等があり、コンクリートは古代ローマの発明した技術です。彫刻の作例には肖像、競技者像、神像が多く、ギリシア彫刻の模刻(図6)も盛んでした。絵画の作例には、邸宅を飾るフレスコ画(図7)、モザイク画(図8)等がありました。―こうした自然界の素材と法則の理解、人体に関する研究等に裏打ちされた古代芸術から、初期ルネサンスの芸術家たちは技術的知識と芸術的発想を豊かにし創造のヒントを得ました。
・また、初期ルネサンスの芸術家たちはルネサンスの偉大な先駆者:ジョット(1267?~1337絵画、建築)、その親友アンドレア・ピサーノ(1290頃~1348または49彫刻)らの芸術遺産からも自然の見方や表現方法を学び、アラビアの光学やフランドルの油彩技法をも学び取っていきました。

3.遠近法の研究 
・二次元の平面に三次元の世界を表す遠近法は、光の直進という性質と幾何学、眼球の構造と視覚的認識のしくみ、そして実際の絵画化の問題です。当時の遠近法研究の試みを、筆者が原作を観察、計測しその画法を推定して描いた模写を示しながら述べてみます。
1)素朴な遠近法:見る人の視点をただ一点に定めて描く方法。写真機と同じ原理です。ブルネッレスキは実験画「洗礼堂」「パラッツォ・ヴェッキオ」(ともに1413以前?)でこの方法を実証しました。マザッチョはおそらくすべての作品をこの方法で描いており初期の「サン・ジョヴェナーレ三翼祭壇画」(1422。図9は中央翼)では、視点が大変に近いため、下に行くほど強く見おろす形で窮屈な印象です。「楽園追放」(ブランカッチ礼拝堂。図10)では、程良く離れた距離の視点からアダムとイヴを見おろし天使を見上げ、主題に即した臨場感ある描写に改良しています。        
2)両眼視の遠近法:右目で見た像と左目で見た像の二つを合成して描く方法。トリックアートや3D映画も同じ原理です。ウッチェッロはこれを得意として「ジョヴァンニ・アクート騎馬像」(1436。図11)では真横からの姿ながら扁平にならぬ堂々たる立体感が、「大洪水」(1447~48頃。図12)では嵐によって見る者の方へ吹き飛ばされてくる樹木の劇的進出、強風に抗して立つ人物の存在感等が鮮やかです。
3)多視点の遠近法:人は通常、定点からでなく高低遠近いろいろな角度や距離から物を見て取る。それを一枚の絵にまとめる画法です。ピエロ・デッラ・フランチェスカは、「聖セバスティアーノ」(「ミゼリコルディア祭壇画」(1445~55頃)の部分。図13)を、頭、胴、脚、足に四分割し、それぞれ視点の高さを変えて上から下まで美しく描き継いでいるように見えます。「キリストの復活」(1458~1465頃。図14)は、画家の故郷の町サンセポルクロの市庁舎がフィレンツェによる占有から返還された機会に描かれたと考えられるフレスコ壁画です。額縁の役目をする柱や梁はだまし絵風に観賞者の眼の高さから見上げたように描き、棺の前の兵士は眠る兵士の肩の高さに、背景はより高い所に視点を取って描いています。そしてキリスト像だけは透視図法ではなく、正面・無限遠の距離から見た平行投象で全身ズバリと描き、「永続」や「独立」というこの絵のテーマを強調しています。
4)遠近法の理論的整理も進み、アルベルティは「絵画論」(1435)で素朴な遠近法を解説。ピエロ・デッラ・フランチェスカは「遠近法論」(1475~1480頃)で、建築物、人物等の描き方を図解しました。


4.社会生活における芸術の役割
・12~13世紀のフィレンツェは、中世市民の衣料の最重要品:毛織物の生産のマニュファクチュア化を進め、1185年には「コムーネ(自治都市国家)」として皇帝から認められました。13世紀前半を中心に結成された毛織物、絹織物、金融など各種の同業企業家組合「アルテ(ギルド)」の連合体「アルティ」が市政を運営し経済、領土、人口を発展させました。14~15世紀には、ダンテのフィレンツェからの追放(1302)、ジュリアーノ・メジチの暗殺(1478)等の富裕階級内の主導権争いは諸階層を巻き込み、安い工賃と無権利状態に抗する「チョンピ(羊毛加工職人)の乱」(1378)等の民衆の運動もありました。また、1348年には黒死病に見舞われ10万を超える人口が3分の1にまで減少しました。シエナとの「サン・ロマーノの戦い」(1432)、ミラノとの「アンギアーリの戦い」(1440)など対外的な勢力争いも続きました。
・芸術はそのような様々な問題を抱える社会の中で、人間と自治的共同体のあるべき姿を公然と表明し論議する手段ともなりました。例えば、「神に直接導かれ自分よりもずっと強い敵を破った」(聖書)とされるダヴィデは、高慢に対する謙譲の勝利を意味するだけでなく、当地では早くから自治都市フィレンツェとその民衆の英雄主義のシンボルとされました。ドナテッロ作の大理石(1408頃)、同ブロンズ(1439~43頃)、ヴェロッキオ作のブロンズ(1468~69頃)の「ダヴィデ像」は、いずれも発注者(メディチ家や大聖堂造営局)の手元を離れ最終的には市庁舎内に設置され、完成当初から市庁舎前に設置されるミケランジェロ作「ダヴィデ像」(1501‐1504)の先例となりました。


5.人間の尊厳 
・初期ルネサンスの芸術家達の生み出した人物像を見ていくとその表現の根底に人間の尊厳に対する確信があるのに気付きます。ブルネッレスキのキリストは、自然にして気高く、「正義と必然の道に生きるなら、人は死してなお孤独ではない」と語るかのようです。ドナテッロの聖ジョルジョは、武人の姿ながら眉間に悲しみをたたえ、戦争のむなしさを嘆くかのようです。マザッチョのアダムとイヴは、絶望的な嘆きに沈みきってはおらず、額に汗して働く「人間としての生き方」へと歩み出しています。マザッチョの同じ連作中の民衆群像も、憐れみや蔑すみの対象でなくこの世界と作品の主題にとって不可欠の存在として描かれています。
・イタリア初期ルネサンス美術の綺羅星の如き傑作の数々は、盛期ルネサンスへの道程として興味深いだけではありません。それらは、自由に開花していく人間の諸力や 自治的で人間の尊厳が守られる平和な社会への思いをかきたて、私達を限りなく励ましてくれるのです。


大塩幸裕 おおしおゆきひろ (日本美術会)


・写真・模写はいずれも筆者。