· 

「脱原発・憲法改定反対」メッセージ集

「脱原発・憲法改正反対」 強行採決の特別秘密保護法は撤廃! 新美 猛 日本美術会
「脱原発・憲法改正反対」 強行採決の特別秘密保護法は撤廃! 新美 猛 日本美術会

 ※美術運動141号(2014年3月発刊)

 

2013年末は「特定秘密保護法」反対の大きな戦いがあった。残念ながら通過してしまったが、法案への疑義が収まったわけではない。同時に2011年東日本大震災と福島第一原発事故の深刻な被害と影響は依然として続き、収まっていない。

日本人は大きな危機意識を持って今を生きている。

昨年の12月20日締切の本メッセージの呼びかけは日程や費用や人手の問題で100人ほどにしか呼びかけが行われていない。したがって、本当はもっと多くの美術家や美術関係者の方々に安倍政権の右傾化への危機感を持って居られると確信している。

(美術運動・編集)

替え台詞 当世「原発店」(げんやだな)

小池 仁 日本美術会  


しがねえ戦のドジが仇、命の綱も切れ切れに、東京・広島・長崎と、うちのめされてもまだ懲りず、首つながったる戦犯が、慣れた次第の三百代言、言葉巧みに民欺いて、アメリカ様々尻なめて、お先棒かついで、もと来た道へ、憲法変えても戦争だと、暴走街道まっしぐら、死んだと思った亡霊が、又ぞろ息を吹き返す。こうなる筈じゃなかったと臍を噛んでも追いつかねえ、こんなざまになろうとは、お釈迦様でも気がつくめえ、ご生楽なる皆様よ、馬鹿が増えるとこうなるぜ。USAに呑み込まれ、51番州になってお恵み頂くか、それともニホンで居てえのか、どっちにするんだ皆の衆。性根をすえて考えなせえ・・・・チョ~ン


アーティストとしての作品創り

田島征三 美術家


アーティストとして社会の動きとどう対するかは、常に大きな課題であり続ける。直接行動、ビラ、ポスター等への協力、アーティストとしての作品創り。ここでは最後の問題について語りたい。政治的な問題への関心が強ければ強いだけ観念的な作品を創ってしまいがちだ。そういう作品がぼくを日本美術会の展覧会から遠ざけている。又、政治に無関心なヤカラの作品、例えば現代美術の作家による「レーチェル・カーソンに捧ぐ」という作品がアルミで出来ていたり…上記、二つは芸術作品失格だが、ではどうこの問題に立ち向かうか。これはぼくのアーティストとして一生の仕事です。このことを、ぼくは妻有の地で、瀬戸内海ハンセン病の元収容所の島で(廃校になった小学校を丸ごと作品にした)、我が国が見捨てた者や場所とどう向き合うかを作品にしてきました。紙面がないのが残念です。


平和を願う美術家の仕事

鯨井 洪 日本美術会代表


“平和と自由を願う美術家は、憲法改悪を許さない”は日本美術会総会で特別決議として採択された。又、過去の常任委員会でも、国民の多数が慎重審議をのぞむ。秘密保護法案に反対することが確認された。裁判になっても何が秘密かわからないまま罪に問われ、人権が守られない恐れがありますと或る政治学者が述べている。時の政権の都合で、人権蹂躙が恣意的に運用されてはた

まったものではない。先日銀座の画廊で高名な美術評論家が、この国の亡びを100年200年生きて見とどけたいと嘆いていた事が印象的だった。想えば、国防軍と云い出している側は、アートの先輩が遺していったディックスの反戦画の仕事、(僕は訪独時にドレスデンは台風で行けなかったが)、ピカソの“泣く女”は具体的で、身近な人には95才でも脳裏に焼き付いた戦争体験を元に制作している浜田知明さんの仕事をどうみているのか、を問いたい。


死守したい表現の自由

森下泰輔 美術家・美術評論家


今日の問題点というのは、議会制民主主義のあり方そのものの欠陥にあります。国民の過半数のノンポリ層がまず選挙に行きません。現在の責任政党にしても得票率がきわめて低くとも多数派を維持できるという選挙制度そのものの不備が顕れています。しかし、現行の議会制民主主義では、この制度を全面的に無効化するわけにもいかないのです。脱原発問題や、あるいは特定秘密保護法成立、来たるべき増税社会、もしくは憲法の改正など、与党は多数決の論理を盾にしてやりたい放題やってくるでしょう。こうした社会状況に対して「美術」はほとんど無力です。ましてや商業主義・拝金主義が巷に横行して、純粋な芸術行為はますますマイノリティのものとなっていくようです。しかしながら、それであっても覚醒した美術家は作品などを通し、表現の自由を死守していくべきだと思います。かつて戦時下であっても決して自説を曲げずに創作活動を続けた幾多の先達のように。


今日本は何処へ行くのか - 暗黒の入り口に立たされた国民 - 

岡部 昭 彫金家


福島第一原子力発電所の大事故は巨大な地殻変動が真の原因ではない。これは原発とプルトニウムの恐ろしさの知識があっても、真実の姿を認識できない政治家、官僚、経営者と学者達が企業の利潤と天秤にかけ、引き起こされたものだ。その後2年以上経っても放射能は際限なく漏れ、対策は臨時工に任せ、あのエリート達は今も原発を我が国の発電の根幹とし新増設も由と決めた。この真の目的は銀行と巨大企業の利益の為と言われているが、もしそうならまた何処かで大事故が起きても不思議ではない。一方国会では憲法の改正が多くの批判で不可能とみるや、突然秘密保護法も誰もが納得いくような審議もせず多数決であっという間に押し通したが、この強引さと周到さをみれば、国民に言いたくない知られたくないものが山積みに在るからだ。私達は温

暖化という異常気象と共に、暗黒の入り口に立たされているのだ。私達の真実を語り描く力でこれを打ち破らねばならない。


秘密保護法の先に見える「特高警察」の影

辻 惟雄 美術史家


「特高警察」ーこの忌まわしい名前を知っている世代の最後が私たちです。秘密保護法の先には、この名前が再び現れるでしょう。年寄りのかぼそいつぶやきですが、集まれば一つの声になるかも。 頑張ってください。



宇宙の律と人類の運命  

大西弘之 画家


御申越しの件述べさせて頂くと色々ありますが、小生特に考える1事を取上げて見ます。

大きな問題として今人類は多難の運命を巡って居ますが例の宇宙開発と称してヤタラ飛び出していますが、宇宙には宇宙の律と云うものがあるでしょうから、其れを撹乱させることに寄る惑星への跳ね返りは当然あると考えます。世の学者諸氏に考えて欲しい問題です。今衣食住に事欠く地球上の弱小民族は天災、人災の坩堝にあるのです。此の様をどう見るか世の賢者達に訴えたいです。猶国内の問題として第9条の件ですが、小生は全くの戦争反対(経験もしてますから)です。又の機会に述べます。

(96才)


表現の自由を守るために

山中宇佐夫 美術評論家


アベノミクスとかいう、どこかの国のはやり言葉をまねした言い回しをふりかざして、さもなにか新しい政策であるかのごとく登場した安倍政権。その実体は、いままでの自民党政権のなかでも例を見ないヒドイものであることがわかってきました。国民の圧倒的多数の反対で憲法九条が簡単に変えられないことがわかると、こんどは「積極的平和主義」と称してアメリカのやる戰争に海外で参加できるようにたくらむなど、ロクなことは考えません。福島原発が放射線汚染であんなにひどいことになっているのに、ウソでかためたような発言をしています。

12月6日には、みんなが反対した秘密保護法を国会で強行採決するなど、やることが無茶苦茶です。わたしたち創作にいそしむ者は、表現の自由をまもるために一層力をつくそうではありませんか。


アナザースカイ~風が吹くとき

稲見明子 green vibration展事務局


世の中が騒々しい。子どもの頃から平和教育を受けて来た。私たちの世代が2度と戦争など起こすわけがない。そう信じて来た。戦争に行った父親は口が重く、それについてあまり多くを語りたがらなかった。晩年の父を思う時、胸に封じ込めた思いの重さを感じた。誰しも普通の平穏な生活を祈っていたに違いない。それでも戦争は起こった。特異な時代だったのだろうと思っていた。しかし、最近世の中の政治家や評論家、マスコミの論調を見ると不安に感じる事がある。

3.11東日本大震災、そして福島原発事故…誰しも価値観が変わったと思った。

しかし、世の中が落ち着きを見せるにつれて、それは何かに差し替えられてしまった。その何かは、とても尊いものを奪いつつあるように思う。関東大震災後の日本が辿ったあの暗黒の道を再

び歩き始めているように見えるのは、思い過ごしだろうか?大きな災害は、人の思考を停止させるのだろうか?恐怖のイメージは、更に負の連鎖を生む。

ならば、アートはどうだろうか?共感する世界のイメージを伝える事が出来るのではないだろうか。この行き先の見えない世界で、愛する家族や大切な人たちと、どのような世界を共有して生

きたいのか?見失っては行けない、守りたい世界がある。ならば、負の連鎖を断ち切る+αの風を吹かせよう。それがいつか対岸の誰かに届くだろう。新たな芽吹きの時を信じて。


「自由な表現を萎縮させるな」

坪井功次 関西美術家平和会議 ・日本美術会 


自由も民主も踏み躙り、公明正大な論議もなく、みんなの声も振り切って、国会の威信を投げ捨てた強行採決。今の日本で歴史を後戻りさせる「特定秘密保護法」に怒りと不安が入り交じる。権力の力以上に国民自身が自主規制する状況を危惧する。社会に厭世観が蔓延し、報道機関をはじめ表現する私たちにとって重い足枷となる。芸術は政治や社会の矛盾に対峙するなかで新しい表現を創り出す。世界から日本の民主主義が問われている。表現の自由を奪う悪法に断固抗議する。


昭和の怨念の声を聞くべし

大野 修 自由美術協会 


発電の方法は種々あるが、いずれも故障、事故はついてまわる。その時、被害甚大、修復が不可能なのが原子力発電で恐ろしいものだ。3/11の事故は勿論だが、日本の海や港を原子力を動力としたアメリカの潜水艦や空母が徘徊しているわけでこれも恐ろしい。3/11で安くあがるという神話は覆り、核のゴミの手に負えないことも私達は知ったわけだが、原子炉を温存し輸出までしようという政策は断固アウトの宣告をしなければならない。

安倍政権は戦後最たるキョウケン内閣で国民の心を縛る秘密保護法案を、予防注射をする間もあたえず強行。これは戦前の治安維持法、国家総動員法に続いて最後の悪法1941年の国防保安法につながるもので私達は昭和の怨念の声を聞くべしだ。このままだと憲法改悪をやりかねない。何人も、改正の意思を持つことは自由だが、96条まで手を伸ばすことは許さない。


戦後最大の危機に直面して

武居利史 美術評論家


基本的人権を脅かす特定秘密保護法の採決強行は、国民の批判を浴び、また不安感をかきたてた。しかし、それは序の口にすぎないだろう。安倍政権が目指すのは、戦争放棄を定める現憲法を、なし崩し的に変えていくことで、日本を戦争する国へと根本的につくり変えてしまうことにある。戦争を準備するだけでなく、領土問題などをめぐって日本と近隣国とのあいだの緊張を高め、本当の軍事衝突へと導く危険性も存在している。第二次大戦後の日本にあって、安倍政権はもっとも好戦的な政権だ。自由も、平和も、芸術文化の発展には欠かせないものである。芸術文化に携わる者として、そのような政府の暴走を黙って見過ごすことはできない。戦後最大の危機に直面して、多くの国民が日本の行く末を案じている。この時代にどう立ち向かうか、美術関係者の態度も問われているのだ。試練を乗り越え、私たちの力で自由と平和を守らなければならない。


憲法9条が支えた美術文化

光山 茂 自由美術協会


江戸時代末期の画家、渡辺華山は田原藩の家老職を全うしながら歴史に残る名作を描きあげた。しかも俗に言う絵かき馬鹿ではなく尚歯会という研究団体で蘭学を究め、「慎機論」を著し、幕府の鎖国政策を批判した。従来日本には狩野派に代表されるように将軍家お抱え或いは社寺の専属職人という形で経済的に保障される代わりに権力者の手の中での表現を越えることはできな

かった。現代の美術家は、治安維持法下の表現の制約から解放されあらゆる表現活動が可能な状況下に置かれている。これはとりもなおさず日本国憲法に基づいていることなのだが、戦後60年余を経て空気のような存在になりつつある。しかし、安倍内閣は歴史を逆戻りさせようと着々手を打って来ている。最終的な狙いは憲法9条の改正である。9条下の60年だったから豊かな美術文化を享受できたことに思いを馳せ力を合わせて9条を守りたい。


強行採決

金山明子 画家


 2006年11月16日、第一次安倍内閣によって、教育基本法改悪法案が強行採決された。抗議のためのデモの渦中の首相官邸前、おもわず「安倍内閣打倒!」を叫ぶわたしの声に「なにを!」と怒気を含んだ警官の、その一瞬の傲岸な表情が忘れられない。

 7年後の12月6日、第二次安倍内閣によって「秘密保護法」が強行採決された。戦前の道ふたたびという声を聞くが、わたしはその戦前をしらない。知っているのは、教育基本法改悪によって、笑いを失った子ども達の姿と、疲れ果てた教育者のすがた、そしてもの言う力を奪われた2000万人を超える非正規労働たちの声だ。為政者が力を行使するということは、国民そのものを蔑視しているということだ。そのことがあたりまえのように大手を振っている今は、暴力の時代、とりわけ、文化が蹂躙されている時代だ。


想像力とその形象化 

十滝歌喜 日本美術会


 3・11以来、原発と震災を内容とした作品を6点作って来た。、、まだつくっている。どうしたら、命題に答えるか。説明ではなかろう。実際、遭遇しても語り切れない。作品は造形化した物であり、指先から生まれる。想像力とその形象化が私の外に出たものではないだろうか。


未来のために脱原発。不戦の誓いを

出店久雄 美術家


グローバル化が叫ばれて久しいが、実態は各大国のご都合を主張して、世界中が資源と富を獲得しようと狂乱を続けている。地球温暖化による異常気象の災害はその結果とも思える。核の平和利用と言って始まった原発は、知らぬ間に50数機も!その原発の安全神話、核ゴミの矛盾は3,11により曝け出された。童話のカエルの王様の様に安倍氏を求めた国民は、特定秘密保護法、共謀罪、積極的平和主義と言って憲法改定を突き付けられている。彼は国民を戦前の様に強権力で洗脳し、羊の群れの様に囲い込んで管理指導して、戦争の出来る国を目ざし、起こった結果には責任を取らぬ政治家としか思えない。私たちは今の豊かさを求めるだけで無く、広い目で地球を世界を見つめて、殺し合わぬ時代を、50年、100年後と続く子ども、孫の世代、そのもっと先に責任を取るべく脱原発、不戦の誓い九条を守り、世界に押し進めるべしと決意します。


女神の自由 

深瀬鋭一郎 深瀬記念視覚芸術保存基金代表


ニューヨークの「自由の女神像」はアメリカ独立100周年を記念して1886年にフランス政府が贈呈した。パリのリュクサンブール公園にある像はそのマケットである。セーヌ川グルネ橋のたもとにある女神像はパリ在住のアメリカ人達が1889年にフランス革命100周年を記念して建造したものだ。百年を経て「フランスにおける日本年」、「日本におけるフランス年」関連事業としてフランス政府の承認の下で日本のお台場にも女神像が建設された。バルトルディ設計になる「自由の女神像」は世界にこれら4体しかない。私はそれを大変誇りに思っており、国内外の友人を観光案内する時は必ず紹介している。然るに「日本国憲法改正草案」(2012年)は表現の自由と人権の制限条項を盛り込んでおり、この精神にもとるものだ。特定秘密保護法も運用次第で危険な内容と思われる。総理大臣が仏大統領と共に除幕式を行った筈の像の前で再考を促したい。


思い出す夜中の怪電話

 古澤 潤 日本美術会


ヨコスカ平和美術展をはじめた頃(1970)、事務局だった私は夜中の2時の怪電話に悩まされた。「Exhibition ストップ。あなたのお子さん、交通事故、気を付けて…。」一週間ほど続いた。国家権力の手先の青黒い手が受話器からスーっと入ってきたのである。

2013.12.6、秘密保護法は多数暴力で押し切られた。43年前の怪電話と秘密保護法は根をひとつにしている。国家体制を絶対優先し、個人の基本的人権、取材、表現の自由に干渉し奪うものである。敗戦後68年の経験、国際世論の変化、…。1930年代とは違うと思う。廃止を目指して、多様で柔軟、息の長いたたかいを始めたいと思う。

国会の力関係を国民世論で変えていくことだ。


日本国を滅亡に導く安倍内閣

林 紀一郎 美術評論家


ついに安倍内閣は「秘密保護法案」を衆議院で強行採決した。“数の力”というほかない。次には「憲法改定」を画策、「原発再稼働」の推進。かくして安倍政権は、わたしたちの祖国日本を滅亡へと導くだろう。この安倍政権を成立させたのは、ほかならぬ多くの日本国民なのだ。困ったことに、マスコミが「秘密保護法」の危険性を訴えているにも拘わらず、多くの国民がこのことに鈍感なのである。日本国の滅亡を喜ぶのは、米国か、中国や韓国、北朝鮮か?

 “平和憲法”を“戰争憲法”に改憲して、どの敵国と戦うつもりなのか? わが国のかかる状況を、他者はいざ知らず、美術の分野に生きる私たちが腕をこまぬき、黙視していいはずがない。ならば如何に発言し、如何に美術家として行動し、如何に平和を訴えるべきか。そのことを私たち美術に生きる者同士で考え、対応していこうではないか。


秘密保護法案に、美術界はどう対応したのか

ワシオ・トシヒコ 美術評論家


戦前・戦中の歴史の深い反省に立脚し、曲がりなりにも築きつつあった日本の“平和国家”像。それが特定秘密保護法の成立で、東日本大震災やフクシマの原発事故のように、一挙に瓦解した感

があり、前途が闇と化している。法案審議時、美術界はいったいどのように対応したのか。表現の自由に支えられなければならない個の集団としての日本美術家連盟が、反対声明を出したのは、当然とはいえ、一定の評価に値するだろう。しかし知る権利をどこまでも行使し、言論の自由の砦でなければならないはずの美術評論家連盟は、まったくの音なしの構えに終始し、無抵抗だったのは残念。というより怒りさえ覚える。組織全体の実体が、すでに“美術大学・美術館連盟“化し、会員のほとんどが美大系と美術館サラリーマンで占めているからではないのか。要するに、体制のイエスマンになってしまった自粛体質を、そのまま連盟の内側にまで持ち込んでいるせいなのではなかろうか。


原発と憲法9条

坂下雅道 日本美術会


生き方を問うことになった原発事故は15年戦争末期の太平洋戦争、原爆空爆での焦土化。家族や友人、衣食住すべてを失った時の危機的状況と酷似している。3百万人の犠牲の上にたって選んだ生き方が人権擁護、徹底した平和主義、世界に誇る日本国憲法9条である。

戦勝国アメリカによる日本占領、民主主義政策とは裏腹に核を押しつけ分裂、抑圧、監視体制を強め擦り寄る権力者と協同赤狩りを進めてきた、各分野に多くの矛盾をはらみながらの巧妙な策動が続いた戦後68年であった。そうはさせない反戦反核、平和を守る民衆の戦いの年月でもあった。核が欲しいと原発再稼働にしがみつく権力者達、強引に仕上げようとしている「秘密保護法案」は国民に有無を言わせず「国家総動員法」へと進む道である。1945年敗戦の日、私の肩書きは「学徒義勇隊員」、戦争への道に戻してはいけない。